湖上の月(Moon over the lake) 5:終

【シカゴ沿岸 駆逐艦<宵月>】

 1945年5月31日


 艦橋直上の防空指揮所から天を仰ぐも、儀堂の網膜には歪んだ景色しか映らなかった。

 周辺の視界は全く不明瞭だった。ときおり魚影の群れらしきものが通り過ぎていくのがわかる程度だ。かろうじて水面から差し込んでくる淡い光の帯から、今が夜ではないと判別はできた。


 次回改装の際は、深度計をつけるべきだと思い、儀堂は苦笑した。深度計を備えた駆逐艦など質の悪い冗談にしか思えなかった。


『何がおかしいのじゃ』


 無線越しにネシスが、つっけんどんな口調で尋ねてくる。どうやら嗤い声が漏れて聞こえていたらしい。


「いや、なに、たいしたことではない。よもや、この艦で水中を行くとは思いもしなかったのだ」


 <宵月>はミシガン湖の水面下を航行していた。


『ギドーよ、呆けたのか? お主が命じたことであろう』

「ああ、わかっている。そうだったな」


◇========◇


 9日前、4つのBMから奇襲を受けたとき、望みは完全に絶たれていた。<宵月>彼女は完全に囲まれ、空から一方的に嬲られる寸前だった。


 儀堂にとって、看過できない事態だった。彼はBMを消滅させるために、ここに来たのだ。BMによって消滅させられるために、北米を横断してきたわけではなかった。こんなところでくたばるわけにはいかなかった。


 生存へ向けて儀堂は思考を全力で稼働させ、道筋を導き出した。


 確証があったわけではない。だが、理屈の上では成立すると思った。あの黒い月を造りだしているのは、月鬼だ。そして<宵月>にも鬼はいる。


 あらゆる物理攻撃を無効化する黒い球状の盾。

 それは球体内部と外界の遮断を意味する。


 彼はシンプルに尋ねた。


<宵月>この艦をお前の黒い月で覆うことが出来るか」


 内心では可能だろうと確信していた。ユナモが極小規模だがBMを展開できると月読機関の資料に記載されていたからだった。ネシスは嫌々ながら肯定した。彼女にしてみれば、軽々しくできるものではなかったらしい。


『やれるが、あの黒い月どもから攻め立てられてはあっという間に破られるぞ。お主はわからんと思うが、あの術は酷く力を摩耗させるのじゃ。長くはもたん』

「かまわない。オレは奴らの攻撃を受けるつもりはない。言っただろう? オレ達には転進逃げる以外の選択肢は残されていないと」

『どういうことじゃ? 逃げ場など――』

「いや、あるさ。あるんだよ」


 儀堂は湖面へ目を向けた。


「お前は知らないかもしれないが、この世には潜るふねがあるんだ」


 そして<宵月>彼女は、それらを駆逐するために生まれたふねだった。


◇========◇


 黒い障壁を身に纏った<宵月>は、水面へ潜ることで4BMの包囲を逃れることができた。もっとも、それは儀堂をはじめ<宵月>に乗るものたちにとり、酷く焦れた時間を過ごすことを意味していた。彼等は二日間、同じ水域に留まり、4BMが上空から去るのを待たなければならなかったのだ。幸い、<宵月>を包む球体内部の空気があったおかげで窒息の心配はなかった。しかし、精神的には息が詰まる苦しみに駆られることになった。


 三日目、ネシスより4BMの気配が消えたことを知らされ、儀堂は再び<宵月>の針路をシカゴへ向けた。


 一週間後、彼らはシカゴ沿岸へ到達していた。酸素補充と位置観測のため浮上したときを除き、ほぼ全行程を水中航行状態で向ったため想定以上に時間が掛かっていた。本来ならば二日でシカゴを視界に収められるはずだった。


 タラップから足音が聞こえてきた。艦橋から昇ってきたのは、副長の興津だった。


「艦長、そろそろシカゴですが?」


 興津がぬっと顔を出してきた。


「ああ――」


 ミシガン湖に身を沈めるのも、これで最後になるだろう。壇之浦作戦も最終段階を迎えている。


――合衆国の反応爆弾が、どれほどのものか。見極めさせてもらおう。


 昨夜、浮上した際に儀堂は無線傍受を行わせていた。エクリプス作戦の進行状況と反応爆弾の投下予定日について確かめたところ、明朝行われることがわかった。


 儀堂は防空指揮所から艦橋へ降りると、そのまま艦長席へ座った。喉頭式マイクのスイッチを入れる。


「ネシス、状況は? シカゴBMはどうなっている?」

『なかなか肝の冷えることになっておるぞ。シカゴとやらの黒い月を中心に、妾達をもてあそんだ4つの小玉どもが回っておるようだ』

「わかった……。距離を置いて浮上する。敵の矛先が向いたら、すぐに潜るぞ。負け戦は御免だ」

『道理じゃな。妾とて、かような水たまりで死にとうない』

「副長、聞いたとおりだ。総員戦闘配置だ。これより<宵月>は浮上する」

「了解。総員戦闘配置!」


 高声令達器スピーカーを通して、興津の声が響き渡った。途端に慌ただしくなる。30分後、<宵月>は12時間ぶりにミシガン湖面へ姿を現わした。


「これより電探、無線封止を解除する。周辺警戒を厳にせよ」


 すぐに電探から報告が上がってきた。


『電測より艦橋へ。対空電探に反射波あり。本艦9時方向に5、高度3000メートル。さらに7時に3つ。高度1万メートルを真方位30へ向けて移動中。恐らく航空――艦橋へ、さらに反応あり! 6時方向から高速で移動する影が――』


 影の正体はすぐにわかった。ネシスの瞳に捉えられていたからだった。


『ギドー、竜じゃ。おそらく、ここの月を守護する者じゃろう』

「何を追っている? 味方か?」

『よく見えん。あれは高く飛びすぎておる。じゃが、恐らくお主等の仲間じゃろうて。翼はあるが、羽ばたいておらぬ』


 儀堂はドラゴンに追われる3つの反応を爆撃機だと判断した。見張員からも彼の判断を肯定する報告が上がってきた。恐らく反応爆弾を積んだ爆撃機だ。


「ネシス、墜とせ」

『任せよ』


 <宵月>の連装砲塔に収められた十センチ高角砲が火を噴き、数秒後に肉片の花火ファイアワークスが ERB-29アポロの目前で展開された。


「よくやった」


 満足げに儀堂は肯きながら、ネシスを労った。彼にしては珍しいことだったが、それだけ危ういところだった。あと数秒遅れていたら、散っていたのは爆撃隊のほうだったろう。


「ネシス、よくやったぞ」


 聞き取れなかったのかと思い、儀堂は繰り返した。しかしネシスから反応はなかった。


「おい、どうした?」

『――ギドー、退いた方がよさそうじゃ』


 ネシスが低い声で言った。


「どういう――」


 儀堂は手にした双眼鏡をシカゴBMへ向け、言葉を失った。


「あいつら、何をする気だ?」


◇========◇


 ERB-29アポロからもシカゴBMの変化は観測された。より正確にはシカゴBMと周辺の4BMで明らかな異常が起きている。5つのBMを繋ぐように太い紫色の帯が形成され、一つの巨大な方陣が出来上がろうとしていた。帯に文字らしきものが浮かび上がると、流れるように帯の中を周回し始めた。


 アームストロングは目前の神話的な光景に圧倒されながらも、合衆国軍人としての責務に従った。


「アポロよりトール各機へ。シカゴBMの様子がおかしい」

『トール1よりアポロへ。こちらも認識しているが、もうすぐ投下空域へ入る』

「トール1へ、少し待て。嫌な予感が――」

『アポロへ無理だトゥーレイト。これより投下する。歴史的瞬間だ。記録レコードを頼んだぞ』


 トール1の爆弾装が開き、放射線を帯びた物体が投下された。


 現地時間、5月31日、午前10時41分。

 人類初の反応爆弾攻撃がBMに対して行われた。


◇========◇

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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今後も宜しくお願い致します。

弐進座

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