終点(Seattle) 5:終

【ピュージット湾 駆逐艦<宵月>】

 1945年3月25日 朝



 矢澤少佐が時差ボケの悪夢と奮闘する数時間前のことだった。

 <宵月>とYS87船団、そして第三航空艦隊は、ついにピュージット湾へ到達した。目的地のシアトルまで、もう間無くだった。



 西海岸の空は覚めるような青色だった。


――これが北米の空か。


 艦橋最上部の対空指揮所から空を見上げながら、儀堂は感慨深く思いをはせた。2月の末、浦賀水道を出たときは、全く予想だにしなかった出来事が立て続けに起きた。

 ワイバーンの大編隊と死闘、オアフBMの迎撃戦からの突入戦。そしてBM内部の惨状。


「すべてが夢のようだ」


 ネシスが現われてから目まぐるしく世界が変わっていく感覚があった。


「ギドー」


 反射的に耳当てレシーバーへ手をやるも、すぐに儀堂は背後から発せられた声だと気がついた。

 ネシスが立っていた。


「綺麗な空だ。」

「ネシス……お前、部屋にいたのでは無いのか」


 意外な思いを覚えつつ、儀堂は問うた。


「大丈夫なのか?」


 ネシスはくすりと笑いを漏らした。


「お主に心配されるとはな」

「オレには経験があるのだ」

「そうだったな。すまぬ。許すが良い。大丈夫じゃ。なぁに、泣くことに飽いてのう。気まぐれに外へ出るのも良いと思ったのだ。魔導機関あの部屋は、全てがよく見えすぎる。今の妾は自分のまなこだけで、外界を見たいのじゃ」


 ネシスは愉しげに言った。その口調に演技めいたものを感じた。ネシスは、すぐ真横に並び立った。その横顔から、全てを伺うことはできない。


「案ずるな。いつまでも童子のように哭することはできぬ。我らにとって終わりと別れは同義ではないのだ。それに、妾は大きな借りをシルクにつくってしまった。妾は返さねばならぬ。我が妹との記憶、そして、あの忌まわしい月で失われた日々を……」

「そうか」

「ギドー、シルクは我に仇の名を告げた」

「なに……」

「ラクサリアン、それが奴らの名じゃ。お主等の言葉にすれば、"光の民"あるいは"星の使徒"となろう」


 ネシスはただ前だけを見据えていった。


「光、星だと?」

「ああ、ギドーよ。妾はその言葉を紡ぐ度に憎悪に身を焦がしそうになる。妾は思い出したのじゃ。妾の記憶を奪い、故郷を奪った者たちの名じゃ」

「…………」

「彼奴らが妾と同胞を黒き月へ幽閉し。この世界に流したのじゃ。ラクサリアンは天より舞い降りて、妾の世界を蹂躙せしめた」


 ネシスは空を見上げた。つられて儀堂もその先へ視線を移す。

 蒼天を照らす太陽に星々は隠されていた。


=====================


「やれやれ、ようやく娑婆に出られるぜ」


 甲板に出た戸張は外の光に耐えられず、手をかざした。4日前、義堂の部屋で小火騒ぎを起こした飛行士官の謹慎は、本日をもって解かれたのである。


 しきりに両目をしばたきながら、あの野郎と思った。


――よりにもよって無二の親友にして、オアフBM撃滅の功労者を缶詰にしやがった。


 戸張の個人的な見解では、全く度しがたい行いだった。


 内地に帰ったら、小春に言いつけてやろう。いや、待て。そいつは不味い。きっとやぶへびだ。小春のことだから、オレがまた何かやらかしたと思うに違いない。全く、なべてこの世は不条理につきる。


「なあ、おい。そう思うだろう」


 脇に抱えた彼の戦利品・・・へ語りかける。彼の相棒は小さな声で鳴いた。


 飛竜の幼体は、しばらく戸張が預かることになった。本来ならば檻にでも閉じ込めておくべき所だったが、<宵月>にそんなものはなかった。その上、幼体は戸張になついており、他の兵員の言うことを受け付けなかったのだ。


 やむなく儀堂は幼竜の世話を戸張に任せることにした。すでに彼の上官六反田と三航艦司令部には報告済みだった。どのみちシアトルに着いたら強制的に引き離されることになるだろう。


 そんなことはつゆ知らず、戸張は幼い竜の頭をなでた。幼竜は甲板の撫でる風を気持ちよさげにうけていると、じたばたとしはじめた。


「おいおい、暴れんな。危ねえだろ」


 戸張はなだめるように、抱きかかえた。幼竜は鳴き声を上げながら、大空の一点へ向けて首を伸ばしていた。戸張は竜の指し示す先へ視線を移した。その先には巨大な機影が見えた。彼はそのシルエットに見覚えがあった。


「ありゃあ、大艇タイテイか?」


 帝国海軍の飛行艇、二式飛行艇だった。鯨を想起させる全長28メートルの機体に、38メートルに及ぶ主翼を備え、4発の三菱火星発動機を唸らせながら、大空を遊弋している。まさに空飛ぶ戦艦だった。


――内地から来たのか?


 二式大艇は主に中部太平洋と内地に配備されていた。大型機ゆえの長大な航続距離を活かし、広い大洋を哨戒するのに用いられていた。何しろ横須賀からシアトルまで給油なしで、渡洋可能なのだから、その破格ぶりがうかがえる。


「まあ、焦るな。お前さんも、そのうちあれよりもデカく飛べるようになるさ」


 空への欲求を訴える幼竜を撫でながら、戸張は言い聞かせた。それは己自身へ向けられた言葉でもあった。


=====================


【ピュージット湾上空 二式大艇】


「YS87船団は無事に辿り着いたようじゃないか」


 六反田は、二式大艇の窓から眼下の艦艇群を満足げに眺めていた。


「無事なのでしょうか」


 矢澤は同意しかねる声で答えた。六反田は言外の意をくみ取った。


「ああ、無事さ。例え、数十機が空に散り、数万トンが海に没し、幾百の命が喪われたとしても、相対的には無事と言わねばならない。考えてもみろ。あのオアフBMに遭遇していながら、その程度で済んだのだ」

「それは――」

「矢澤君、我々は多くの過誤を犯す生き物なのだ。眼下の三航艦、そして我らの<宵月>と儀堂君も何かしらの過ちを犯しただろう。もちろん、俺や君もな」


 六反田は穏やかな口調だったが、矢澤は自身が叱責されているのだと感じていた。


「俺たちはいつだって何かを間違えながら生きている。とくに戦争という時代では、その比率は跳ね上がる。ならば出来ることはせいぜい過誤を極限に抑え、成すべきことを成すしかない。見たまえ。彼等は北米が欲する必要十分な物資をシアトルへ届けるぞ。素晴らしいことじゃないか」



 YS87船団と第三航空艦隊は1945年3月25日、シアトル港へ入港した。


 船団の損失は1割に留まった。


◇========◇

※2021年6月23日追記

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現できるように応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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