太平洋の嵐(Pacific storm) 1

【東京 霞が関 海軍省】

1945年3月16日 朝


 海軍省の一室に、三人の提督が居合わせていた。普段ならば滅多に顔を合わすことが無い組み合わせだった。まず三人とも多忙を極めているうえに、そのうち二人は残り一人を壊滅的に嫌っていた。残り一人も同様に二人を嫌っている。出来ることならば、一生顔を合わせたくないとすら考えていた。


 しかしながら、日本は戦争をしていた。


 そして彼等は、この戦争へ頭の先までどっぷりと浸かり込んだ同志共犯者だった。勝利へ向けて日本を指導しなければならない。そのためならば、好き嫌いなど犬に食わせてしまえば良い。


 少なくとも六反田はそう思っている。他の二人はどうかは知らないが。


「それで、先日お送りした報告書ペーパーの件ですが、読まれましたか?」


 六反田は、彼を嫌う(そして彼が嫌っている)二人組へ交互に視線を向けた。今、彼は海軍大臣室に備えられた応接セットのソファーに腰を落ち着かせていた。正面には山本五十六やまもといそろく軍令部総長、左方の上座には井上成美いのうえしげよし海軍大臣が座っている。二人とも冷ややかな視線を返してきている。


「目は通させてもらった」

 口火を切ったのは、山本だった。

「敵側について、ここまで詳細を得られたのは僥倖だろうね」


 山本は率直な感想を述べた。不本意ながらも、感心すらしているようだった。


「特に怪しげな術と、断片的でもBMに関して情報を得られたのは有り難い話だ。ただ、ひとつだけ懸念がある。これの情報源となっている、あのネシスという月鬼のことだよ。どこまで信用できるのかね?」

「そいつに関してはわかりません」


 六反田は肩をすくめ、山本は眉をひそめた。


「全てが嘘かもしれない。または曇りの無い真実かもしれない。もしくはそのいずれかが入り交じった紛い物の可能性もあります。ただ、一つ確かなことがありますが」

「なんだね?」

「我々にそれを証明する手段がないということです。念のためお聞きしますが、自白剤の類いを試してみますか? 恐らく効果はないかと愚考しますがね」

「莫迦なことを言うな」


 山本は腕を組んで、うなった。


「悪魔の証明か」


 井上が揶揄するように口を挟んだ。六反田は我が意を得たように肯いた。


「その通りです。我々は、あの少女の言うことを当面は信じるしか無いわけですよ。まあ、他に月鬼がこっち側に来てくれれば話は変わってくるかもしれませんが。そんな奇跡を願ったところで、そうそう叶うわけが無いでしょう。今の我々に出来ることはただ一つです。つまり、こいつを仮説として一つずつ証明するしか無い」

「なるほど、そいつの証明のために我々二人に用があるわけだな」


 山本は応接卓のコーヒーにたっぷりと砂糖をぶち込むと、スプーンでかき回した。六反田は正気を疑う目でその光景を眺めていた。井上は頭上へ視線を巡らせ、何かを考えているようだった。


「それで、君は何をしたいのかね?」


 山本はコーヒーを口に含んだ。トルコ人ですら忌避するほどの甘さだが、顔色一つ変えずに飲み干していく。


「話が早くて助かりますよ。まずは手近なところから試しておきたいのです」


 六反田は二人に手渡したものと同一の報告書を応接卓に広げ、分厚い紙の束をめくっていく。そこにはネシスから聞き出したBMや魔導に関する情報が子細に記載されている。

 六反田はあるページで手を止めた。複雑な図形をいくつも組み合わせた幾何学模様が描かれている。


「これの機能をまず証明したいのです。そのために――」


 彼が提案した計画はあまりにも突拍子も無かった。今度は井上が正気を疑う目を六反田へ向け始めていた。


「そんな博打のような作戦に貴重な将兵を投入できんよ」

「真珠湾奇襲よりは、よほど安上がりですよ」


 六反田は山本の前だろうと憚らずに言い切った。彼は山本が4年前に実行した真珠湾奇襲作戦の方がよほど冒険的で博打に近いものだと断じている。これには、さすがの山本も鼻白んだ。


「誤魔化すのは止めたまえ。この一件とは関係ないだろう」


 井上は叱りつけるように言った。


「海軍としては承認出来ないね。やりたければ、君の機関だけでやればいいだろう」

「わかってませんね。こいつを実行するには、それなりの兵力が必要なんですよ」


 彼の計画を実行するためには、最低でも一個航空艦隊が必要だった。


「あなたもBMとの戦闘を経験しているのなら、お分かりでしょう? まとまった火力を叩きつけて消耗させない限り、この作戦の実行条件は成立しませんよ」

「そのまとまった火力を出せないと言っているんだ。どこにそんな戦力がある? 君だって我が軍の稼働戦力ぐらい把握しているだろうに」

「そいつを何とかするのが、あなたの仕事ですよ」

 六反田は悪びれもせずに言った。


 話にならんと言う具合に立ち上がりかけた井上を、山本が制した。


「航空艦隊は無理でも――」


 山本は六反田が広げたページに目を落としていた。


「それに匹敵できる戦力を整えればやれるかもしれん」


 井上は何を言い出すのかと言いたげだったが、堪えた。彼は山本に借りがあった。山本の後援が無ければ、井上は海軍大臣にはなれなかった。山本は現場よりも後方に井上は向いていると思い、本来ならば自分に回ってくるはずだった大臣職を彼に譲ったのである。


 山本はゆっくりと目の前の小男を見据えた。


「例えば基地航空隊を動員する策がある。それに確かに現時点では戦力に余剰は無いが、あと半月もすれば三航艦も戦力化の目途が経つだろう」

「それでは……」


 六反田は身を乗り出した。


「確約は出来んよ。山口君には君から説得しろ。そういうのは得意だろう?」


 山本は皮肉を込めて言った。


「ええ、それはもう」


 六反田は悪徳商人のような笑みを浮かべた。今の彼ならばシャイロックすら完璧に演じきることができるだろう。


「山本総長、なぜですか?」


 井上は憮然と尋ねた。内心では諦めの境地に達している。こうなったらもう止まらないことは経験上、彼は痛いほど理解していた。


「井上君、あのBMを一つ潰すのに、どれだけ犠牲が出るか、君もわかっているだろう?」

「……ええ、もちろんです」


 井上は豪州に現われたBMを撃滅するため、艦隊を指揮したことがある。その際、彼はBMとの戦いで想定以上の損失を出してしまった。彼が自身の現場指揮官としての限界を悟った戦闘でもあった。


「もし、六反田君の仮説が証明されたら、我々はより少ない犠牲でBMを倒せるかもしれん。初号計画が、いつ終わるかわからんのだ。試すだけの価値はあるだろう?」


 軍機扱いの『初号計画』まで口に出したからには、山本の意思は揺らがないだろう。六反田は確信した。思った通りの展開となり、彼は満足だった。


「突入艦としてうちの<宵月>を出します」

「BMの候補は?」

「オアフ島のBMが適当でしょう。母艦戦力を全力で活用できます。合衆国はしばらく例の反攻作戦にかかりきりでしょうから、こちらに干渉する余裕はないはずです。あと、それから腕の立つ飛行士パイロットを融通してほしいですな。戦意旺盛で腹の据わったヤツが良い。例の方陣が現われたとき――」


 六反田の声を遮ったのは、執務机の電話だった。井上は立ち上がると、受話器を取った。深刻な話のようだった。彼は相手との話を保留にすると、山本へ顔を向けた。


「山本さん、すぐに全部隊へ警報を発してください。航空隊にも緊急発進スクランブル待機をかける必要があります」

「何があったのかね?」


 井上は六反田を一瞥すると、すぐに山本へ向き直った。


「合衆国からの情報です。オアフBMが消えたそうです」


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