なりかけ-3

『巷で話題となっていた、ゴッホが生前描いていたとされる8枚目の【ひまわり】が贋作ではないか、と専門家によって指摘されていますーー』

 ニュース番組の女性アナウンサーが神妙そうな声色で原稿を読み上げていた。そしてそれに呼応するようにコメンテーターの専門家がその言葉に重ねるように口を挟む。

『やっぱりおかしいと思っていたんですよ。過去のテイストと違っていたんですーー』

 そこから専門家によるうんちくのお披露目となった。過去の絵と現代の絵、何が違うのかを解説した。

 でもそれはただのこじつけのように思えた。何も分からない僕には同じように見えてしまうからだ。

 でも一体どういうことなんだろうか。急に手のひらを返したようにメディアが違った主張をしているのか分からない、謎だ。

 朱莉は『本物』だと主張していた。最初にニュースで目の当たりにした時はさまざまな専門家が絶賛していた。美術界の新しい発見だとかよくわからない見出しをつけてまで報道を何日間もしていた。

 でも急に、僕もあの美術館で見た、不思議な感覚が心中で騒つかせた【ひまわり】が矢面に立たされている。それがずっとテレビの向こう側で映し出されている。ずっとあれに振り回されてきた気がするから奇妙な感覚だ。

 それが急に贋作だとか偽物だとか。まあ事情を知っている僕からしたら言っていることは間違っていない。

 そこから進展もなく別のニュースになったので、僕はテレビの電源を消した。そして黒いモニターには冴えない、髪がぼさぼさの自分の姿が映ったのですぐに目をそらしてしまう。

 朝起きて学校へ行く準備する最中、音が無くて寂しいという理由でたまたまつけたニュース番組がそんな報道をしていたから見入ってしまった。

 準備をほったらかして僕は考え込んだ。なんでそんな話になってしまったのだろうか。

 僕が気を病んでしまってから、朱莉がいるはずの公園に出向く時間が少なくなってしまった。学校の帰り道大抵は通るから顔は出すもののレンさんと出かけているのかいなかったり、いても声かけなかったりしている。彼女の様子に変化はないはず。いつも通りだったはずだ、確証はないけれど。

 まるで魔法が解けたかのように議論が勃発し始めたあの絵画。じっくりと考えてみたいところだけれども、時計を見ると講義に間に合わない時間になってしまっていた。

 急いで服を着替えて外に出た。その瞬間、服の隙間を縫って冷たい風がくすぐるように身体を撫でる。空気が澄む季節になってきている。空がラムネの瓶を日差しにかざしたような薄青い色に染まっている。雲がのっぺりと絨毯のように敷き詰められていた。寒い季節が到来するのを予感させるようなきれいな空気が散らばっているようだ。

 僕は公園に寄ろうとする。もちろんニュースの中身が気になったからだ。朱莉なら何か知っている、もしかしたらいい方向に転がってくれているのかもしれない。

 それだったら知っておきたい。聞いておきたい。久しぶりに顔が見たいという理由もあるけれども。

 近くの公園、中央は大樹が特徴であるそこは、彼女がいるのが当たり前になりつつあった。いつも通り絵を描いていて、僕を見つけたら軽く微笑んでくれる。

 そんな優しい空間が広がりつつある空間だった。

 だけど、見えたのは空っぽ。

 大樹下の空間に、ベンチがポツンとあっていつもだったら彼女が居た。なのに、当たり前だった空間が消え失せていた。

 あれ、と僕は首をかしげる。もしかしたら樹の裏側にいるかもしれない、そう思って公園に入る。

「ねーねー、おにいちゃん」

 その時、公園で元気に走り回って小さい幼稚園児らしき女の子が僕の服の裾を掴み声をかけてきた。僕が朱莉と一緒にいる時に、周りで駆け回っていた子供で、何となく覚えがある。

「きょうも、お姉ちゃんいないんだねー」

 舌足らずの言葉で話す。今日も? 前からあのままだったのか?

「いつからいなかったか、お兄ちゃんに教えてくれる?」

 いいよ! と元気な声が返ってきた。そして女の子は指折り数え、3つ指を立て突き出した。

「これくらい!」

 3日前から……僕はこの期間、ここに来ていなかった。

「ありがとう。君は、お姉ちゃんと仲良しになったんだ」

「うん! まえね、わたしの似顔絵をかいてもらったんだ。やさしくね、話しながらかいてくれて、わたしそっくりだったんだ!」

 わたわたと慌てながら頑張って伝えようとする。その姿は年相応で愛らしい。

「でも、ずっといないんだ、さびしいなぁ……」

「最後に会った時、何か言わなかった? 例えば、用事があるとか何とか……急にいなくなるとは考えづらくて」

「なにも言わなかった……また明日あそぼうね、って言ってくれたのに」

 女の子は少し泣きそうに、顔を歪ませた。

「あっちょっと……うーん」

 涙が流れ、女の子はそれを止めようと目元に手を当てる。僕はそれを黙って見ているしかなかった。気の利いたことが言えないものか……自分の口下手を恨んだ。

 僕は屈んで女の子の目線と自分の目線を合わせた。そして息を吐きながら言葉を探す。何を言えば女の子は笑ってくれるだろうか、これまた難しくて悩んでしまう。

「分かった、じゃあお兄ちゃんがまたここに連れてきてあげるよ。だからね、泣かないで」

「……ほんと?」

 女の子は目元にある手を下げ、まっすぐ純粋な目を僕に向ける。言葉の選択を間違わないでよかった。このまま大泣きされると小さい子を泣かせた不審者という目で見られてしまっただろう。とりあえず一安心だ。

「うん、約束だよ」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 パーっと再び輝いた太陽はお礼を言い右手をブンブン振って僕の元から去っていく。僕も手を振って見送った。

「分からない」

 不意にそんな言葉が出てしまう。

 女の子がいうことは本当だろう。だとしたら、何かあったに違いないと考えるのが妥当だ。

 じゃあその原因は、あのニュースなのか。本物が贋作と魔法が解けたように手のひらを返され報道されたこと、だろうか。

 けれどそれは良いことじゃないのか? 彼女の能力が解き始めて呪縛が無くなる、それを受けショック、ということはないはずだ。今まであんなに苦しめられてきたんだ。能力と付き合ってもいいとは言っていたが、無くなるなら無くなるでいいはずなんだ。

 彼女はどこに行ったのだろうか。小さい子とのつながりを、僕たちとのつながりを絶ってまでどこに行こうというのだろう。

 ぐるぐると疑問が回って脳を刺激する。けれども、その疑問を抱えて僕は何がしたいのだろうか、何ができるだろうか。

 そんな疑問も相まって、僕は心がキュッとなる。


 それから何度も公園に通う。でも空間は空っぽのまんまだった。


 秋が過ぎようとしている。大樹の葉が黄色く赤く色づいた葉が風によってゆらゆら揺れて落ちようとしていた。

 何もいなかった。ベンチには落ち葉が占領していた。


 吐く息が白くなった。また、いない。

 手がかりが無い。だからこうやって通うしか方法がなかった。焦燥感が募る。

 何をやっているんだ、僕は。いないならいないで、彼女はうまくやっていける道を見つけた。そう考えればいいのに。

 自分のことさえも分からない。何がしたいんだ。その気持ちに呼応するように針のように尖った風が体を突き刺して凍てつかせる。

 寒い。今日もいないなら、帰ろう。

 思った以上に心がぽっかりと空いていて、それは何が埋めてくれるのだろうか。

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