第3話 聖女のような微笑み
『金色の竜』となったリュカを聖竜教会が放って置くはずがなかった。『金色の竜』は神といっても差し支えなく、その存在が確認をされたのだ。
リュカが竜の肉を喰らう度に、教会はリュカの身柄を求めてきた。幼くして竜の肉を喰らい生きているだけでも奇跡だと、いうのに何度も竜の肉を喰らい生きているリュカは奇跡以上の存在だ。だが、それ以上に今回はしつこく、教会はその身柄を望んだ。リュカを奇跡と一言で片付けられない。
――神だ。
今を生きる神なのだと、教会は何度もアンテリナム王国に彼の出家を求めていた。
今まで聞き届けられなかったのはフランシスの意向だ。『金色の竜』になったからと教会の望みが叶うわけもない。今までと同じようにリュカは第一王子だからと要望を突っぱねていた。
カロリーヌは教会からの使者に有無を言わせぬ笑顔を向ける。リュカが『金色の竜』になったことは、すでに諸外国まで知れ渡っていた。
『金色の竜』は神に近しい、いや神そのものだ。世界情勢など考えるような教会ではないが、政治の切り札にもなり、また、軍事利用をも考えられるのだ。アンテナリム王国どころか、他国にだってリュカを渡したくはないのだ。
教会がリュカを求めるのも、当然であるとカロリーヌは思っている。思ってはいても、手放せない事情がある。
フランシスが彼に見せる執着のほかに、政治、軍事に大いに役に立つものだ。
実際、カレンデュラの被害を大きくしたはずのリュカへの人気は上昇していた。今魔法使いだと蔑んでいるのは、貴族たちだげと言っても過言はない。手のひらを返したように民衆はリュカを『聖竜』『神』だと持ち上げ、彼が居なくてはあの街は壊滅しいていたと、噂になっていた。
『金色の竜』となって街を救った英雄だと言われているのだ。
「色良い返事を貰えるまでは帰れません」
「困りましたわ。リュカ王子のことは陛下が、いけないと仰っておりますの」
「では、その国王陛下に直接話をさせてください」
「陛下がなんと揶揄されているのか御存じでしょう?」
「……傀儡の」
「陛下は弁が立つ方ではありませんの。簡単にあなた方に言い含まれてしまうと自嘲されてましたわ」
「一国の王がそんなわけないでしょう」
「それにリュカ王子は我が国の大事な第一王子ですわ」
「ですが、皇太子ではないでしょう?」
カロリーヌは聖女と揶揄される笑顔でほほえむ。その微笑みは聖職者にだって有効だ。リュカに竜の肉を喰わせたのはカロリーヌだと噂があっても、彼女の聖女のような慈愛に富んだ微笑みの前では、質の悪い噂だと一蹴されてしまうのだ。
「リュカ王子でもシャルルでも、どちらが皇太子であっても陛下はお許しになりませんわ」
話は終わりだと扉は開く。
「今はカレンデュラの救護で忙しいのではありませんか?」
「……それとこれは関係がありません」
「民衆は手を差し伸べない理想より目先の食べ物ではありません? 王子を求めるよりも先になさることがあるのではありませんか?」
「……また、参ります」
幾度となく繰り返されてきたやり取りに使者は盛大な溜息を残していく。溜息を溢したいのはカロリーヌ方だろう。リュカを手放しても構わないと思いながらも、絶対に手放すものかとも思うのだ。相反する気持ちに疲れが溜まっているかもと、ゆっくりと瞬きを繰り返す。
カロリーヌの部屋はいつだって綺麗に片付けられ、王妃らしい調度品で飾れている。幼い頃から侯爵令嬢として、フランシスの妃候補として育ってきた彼女だ。良い物なら古くても大事に扱い、新しい物はそれこそ財にものをいわせて良い品を手にしていた。
侍女にしたってそうだ。彼女に仕える侍女は昔からずっと側にいる者を除けば、貴族の娘を、王妃に仕えるのだと誇り高い娘を、侍女として側に置いていた。
王妃の侍女を務めたとなれば箔が付く。嫁ぎ先の決まっていなかった者に良い縁談が舞い込み、嫁いだ後も良い待遇を得られやすかった。そのまま職業婦人として地位を築く者だっている。
だからこそ、王妃の部屋の奥付きとして働く彼女は異様だ。
一番奥の部屋には古参の侍女以外は入れない。それはカロリーヌが心から休むためだからだ。だが、その侍女はまだ若い新参者だ。
なにか罪でも犯したのか、罪人のように短い髪は王城いる男性よりも短い。貴族の男性、高官、騎士の類いでも耳に掛かるくらいの長さはあるのだ。王城にいる限り彼女よりも短い髪を見ることはないのではないだろうか。
服の下まではわからないが、罪人の烙印はどこにも見当たらない。
「……また、その気持ちが悪い赤い髪が伸びてきましたのね」
扇で口元を隠し、彼女を蔑むようにカロリーヌは吐き捨てる。この部屋でカロリーヌは己の本性を隠すようなことはしない。隠して困るような本性だと彼女自身思ってもいない。
小さな声で謝る彼女に向かって鋏が渡された。それは自身で髪を刈れということなのだ。
髪は女の命ともいえる大事なものだ。それを自分で刈るということは屈辱以外のなにものでもない。毛先を整えるために鋏を入れることだって一大事だと騒ぐ女性がいるくらいだ。拷問ともいえる所行に誰も口答えする者はいない。
彼女も鋏を見つめたまま動かない。鋏を入れられるような長さではない。
「貴女は決してマリーのようにはしませんわ。目の届かないとこに置いておけませんもの」
乱暴に閉じられた扇は激しい音とともに彼女に向かって投げつけられた。
彼女の頬に赤い痕を残し落ちる。
興味の失せた様子で部屋から出て行くカロリーヌを彼女はじっと見送った。
涙は涸れないのだと頬を伝うものを拭う。
彼に会いたいと、側に居たいと、一目だけでもと、無理をした報いがこれかとスカートを握り締める。
自分よりも彼の方が辛い目にあってきたのだと、鼓舞するも今にも気持ちは折れそうだ。
リュカを追いかけるように王城へ上がったオーロルは、運良く王妃カロリーヌの侍女になれたと思っていた。だが、それは地獄のような日々の始まりだった。
侍女になったその日に王妃付きだと周囲から羨望の眼差しを向けられ、奥の部屋に入ったとたんに罪人のように髪を奪われた。
少しでもカロリーヌの機嫌が悪ければ、鞭を打たれることは当然で、彼女の機嫌次第ではいつまでも暴力は続いた。
幼い頃からずっとリュカが、この狂気に晒されていたのかと思うえば、胸が痛い。
鞭に打たれる理由も無ければ、髪を奪われる理由もない。カロリーヌが気にくわないと、リュカへの嫌がらせの為だけにオーロルはここに閉じ込められていた。
「……リュカに、会いたい……」
溢れてくる想いと一緒に涙と、後悔が押し寄せる。忠告を聞いていればと思っても、後の祭りだ。
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