第11話 走るだけ走った

 走るだけ走ったリュカは空へ向かう。

 気の向くまま、思いのまま空を飛び回る。

 鬱屈した気分を変えるかのように上下、左右、乱高下を続ける。こんな無茶な飛び方をしていれば、困った顔でマリユスが小言を言うだろう。

 護符から軋むような嫌な音が鳴り出す。

 弾ける前にと近くにあった寄宿舎の屋根の上に落ち着いた。上下する息を整え、屋根から見下ろす。

 王都からの騎兵団を迎えた為だろうか、いつもより兵士達の出入りが多い。

 この時間は訓練に費やさす者が多かったはずだと首をかしげる。

 リュカをなんだと思っているのか、ドラゴンの代わりだと兵士達に相手をさせられることが多々あった。

 おかげでリュカは苦手意識の強かった剣の扱いも人並み以上になったと自負出来るようになった。その前から手練れだと誰もが思っていたにもだ。

 訓練に付き合わされるのはいつもリュカだけだったと思い返す。どうしてリュカだけだったのだろうと不思議に思う。マリユス達だって魔法使いなのだからドラゴンの代わりにと訓練出来たはずだ。


 赤い髪が視界の端を過ぎる。


 気が強そうでいて、すぐに押し黙る。彼女にあんな態度をとれば……

 下にまで届きそうな大きな溜息だ。寄宿舎の屋根の上でリュカは一人落ち込んでいく。

 オーロルに当たり散らすつもりなんてなかった。彼女を傷つけてしまったと後悔しても遅い。

 彼女はなにも知らないし、なにも悪くない。むしろ機嫌の悪いリュカに気を遣ってくれたくらいだ。

 ダミアンが来なければ、リュカはオーロルにもっと酷いことを言ってしまったのではないかと不安だ。

 周りが茶化すような特別な感情をオーロルに向けた覚えはなかった。ただ、彼女には自分の事を知られたくないと思ったのだ。

 知ってしまえばオーロルも他の人と、王都の人と同じような目を向けてくるのでは無いかと落ち着かない。疎まれる王子。気味の悪い魔法使い。

 赤い髪を揺らして笑うあの笑顔が見られなくなると思うと、胸が締め付けられる。

 こんなにも自分は臆病だっただろうかと思う。初めて他人に求める感情だ。

 それよりも、さっきのあの態度だ。

 きっと彼女は呆れ、怒らせてしまったと、悔やんでいた。

 あの時の気持ちにどう対処していいのかわからなかったせいもあるが、これは甘えだ。オーロルに我儘を向けてしまったと罪悪感を持っていた。

 我儘が通るのはダミアンとマリユスの二人だけだと自分に言い聞かせていたにも関わらず……

 二人は王城にいる頃から仕えてくれる数少ない臣下だ。何も言わなくてもリュカを理解し、尊重してくれた。

 その分小言が多いのは参ってしまうが、リュカを思っての事と甘んじている。小言を言うのも彼らしかいないのだ。


 晴れていた空はいつの間にか曇ってきていた。

 一雨来るのだろうか空を仰ぐ。雨に打たれるままこの身が溶けてしまえばいいのにと願ったところでそんな不可思議なことは起こるまい。

 そんな事になればリュカの体は毒となって辺りに害をなすと頭を振る。

 育ててくれた夫人の最後の顔を思い出す。吐血に濡れ、赤い涙を溢し、最期までずっと謝っていた。

 どうして今更夫人を思い出すのかと記憶に蓋をするように体を伸ばす。


「これからが大変だ……」


 呟くリュカの声を拾う者はここにいない。

 これからドラゴンの集落討伐だけでなく、王都からの騎兵団の相手もしなくてはいけないと思えば嘆きたくもなる。

 ドラゴンに対しての大変だより、王都の騎兵団の方がリュカは大変だ。暴れたいだけ暴れれば済むドラゴンの相手とは違うのだ。

 ここ、カレンデュラの騎兵団はいわく付きの魔法使いであるリュカを寛大に受け入れてくれている希有な場所だ。

 居場所の無かった王城にある自分の部屋よりも、この街は穏やかに過ごせる。

 王都からの増援が無くたって、カレンデュラの街を守る自信はあるのだ。それだけの力を竜の肉はリュカにもたらした。


 カロリーヌの影がちらつく騎兵団は邪魔なのだ。彼女はリュカに竜の肉を喰らわせたとされる人だ。

 騎兵団がこの街に居る限り何をされるかわかったものじゃない。彼女の脅威がリュカに向くだけなら構わなかった。だけど、彼女の恐怖はリュカの周囲にも向くことがあるのだ。不安だ。

 実質このアンテリナム王国を治めているのはカロリーヌだった。国王であるはずの父フランシスは『傀儡の王』と揶揄されるような人物だ。

 リュカが城を出るときだって何も言わなかったし、会おうとすらしてもらえなかった。

 彼に父親らしい事をして貰った記憶などなく、継母だからとことあるごとに出しゃばってくるカロリーヌのほうがよっぽど親らしく見えた。

 が、それだけだ。母の居ないリュカは彼女を母だと敬おうと思った時期だってある。

 だけど、カロリーヌ自身がリュカを子供として受け入れようとしなかったのだ。

 いつだってリュカに向けられる視線は汚物を見るかのようで、フランシスが助けてくれることはなかった。幼かったリュカは助けを請う方法すら知らなかったのだが。


 気持ちが嫌な方向へ沈んでいく。折角空を飛び回って晴らしたはずだというのにだ。

 全て吐き出すように長く息を吐く。

 ポツリと、雨粒が落ちる。

 大きいな粒はやがて数を増やし、どしゃ降りとなった。

 嫌な気持ちを洗い流してくれるだろうかと、そのまま雨に打たれる。

 ここままで気持ちが荒れるのはいつぶりだろうか?

 カロリーヌの影に未だに怯えているのだろうかと、頭を振る。

 王子の地位がある限り、彼女からは逃れられないのではないかと脳裏を過ぎる。

 リュカに巻き込まれるように死んでいったカロルの笑顔が浮かんだ。

 自分の境遇にオーロルだけは巻き込みたくないとハッキリ思う。

 兵士達が面白可笑しく話すリュカとオーロルの噂を、カロリーヌにまで届かないようにしなくてはいけない。

 その方法も、手段もリュカは知らない。わからないと、放っておけばオーロルが無事でいられる保証はないのだ。

 どうにかしなくてはと、空へ手を伸ばす。

 大きな稲妻が雲を断ち割り、陰っていた空は明るく晴れていき、リュカの足元に壊れた護符が崩れ落ちた。

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