第4話 送り主の名前のない小包

 それから幾度となくリュカは竜の肉を喰らわされた。一度でも口にすれば魔法使いとなり、体の中が竜に造り替えられるといわれる竜の肉を、祝いの席で、なんでもない日常の中で。

 リュカの毒味はどうなっているのかと、問題にもなったが誰も本気で取り合おうとしなかった。リュカは王子でありながら魔法使いなのだ。蔑みの感情の方が大きく、王子を守らなくてはいけないと意識が向かないのだ。

 これが王子はリュカ一人であれば意識は違ったのかもしれないが、シャルル王子がいるのだ。愛人ではなく王妃の子であるシャルルが優先されるのは仕方がないことかもしれなかった。


 竜の肉をリュカに盛っているのはカロリーヌだと疑惑は広がっていくが、誰も彼女を問い詰めない。己の身に火の粉が降りかかる心配があるとなれば、手を出さない方が懸命というものだろう。

 事を忘れた頃を見計らったかのように竜の肉はリュカを苦しめた。

 始まりは氷竜、次に喰わされたのは天竜、炎竜と続き、幾度となく死線を彷徨うのだ。

 フランシスをはじめとした誰もがリュカを心配する……素振りだけだった。

 フランシスですらカロリーヌに竜の肉を問わないのだ。その様子に誰も疑惑に目を向けようとしなくなる。

 いつの間にか竜の肉をリュカに盛っているのはカロリーヌだと公然の秘密のように人の口に上り、彼女に逆らえばどうなるのかわからないと誰もが思うようになっていく。

 失職、失脚、転落、行方不明……カロリーヌが直接手を下すわけではなく、周囲が勝手に行うのだ。


 竜の肉を喰らい、苦しみに耐えるリュカにダミアンは同情以上のものを持つようになっていった。

 幼い自分の子を守ろうともしない国王に呆れ、自分の子とたいして歳の変わらないリュカにいらぬ嫉妬を向ける王妃を見限り、何よりも幼い王子へ毒牙を許してしまう自分が情けなかった。

 近衛兵の中で第一王子の護衛を嫌がらないのはダミアンだけだったせいもあり、護衛任務を率先してリュカの側になるよう仕組み、いつしか第一王子リュカの側付きとなっていた。


 リュカが10歳を過ぎると、容姿は益々フランシスにそっくりになっていた。小さな国王のようだとリュカを見かけた者は思うものの、彼は魔法使いだと不吉な存在のようにも思うのだ。

 その日、カロルは趣味の手作り菓子をリュカの茶請けに用意した。貴族の奥方が厨房に立つことは珍しい。だが、彼女は菓子作りを趣味としているのだ。何度かリュカに菓子を作った事もあり、リュカもカロルの菓子が好きだった。


「これ、僕が一人で食べてもいいの?」


 カロルの菓子が用意されている日は乳兄弟のユーグがいつも一緒だった。二人で競うように取り合い、カロルに窘められるのが常だったのだ。それを独り占め出来るとなれば喜びはひとしおだ。

 目の前で素直に喜びを表すリュカに、カロルはいつも以上に優しい笑顔を向けていた。


「ダミアンにも残してやらないよ?」


 大人げないと怒られることも構わずダミアンはカロルの菓子に手を出してはリュカに、カロルに叱られていた。そのダミアンも今日は他の仕事で席を外していた。代わりの近衛騎士はリュカを恐ろしがって部屋に入ろうともしないのだ。

 問題のある行動であるはずだが、リュカは魔法使いだから仕方がないと大目に見られていた。


 その菓子は初めてリュカが目にするものだった。真っ赤なジャムの滴る焼き菓子だろうか、甘い香りにリュカの食指が動く。

 彼の嬉しそうな顔にカロルは涙を浮かべた。


 菓子を一口囓る。


 ドロリと舌が溶け落ちる。体から力が抜け、トロトロと体の外から中から溶けていく。

 覚えのある体が溶けるような感覚にリュカは、菓子を吐き出す。


「!? これは……」

「殿下! 申し訳ありません」


 カロルは地に頭をこすりつけるかのように深く頭を下げた。リュカが問い詰める間もなく彼女は白状する。

 リュカの顔をまともに見ることの出来ない事をしたのだ。今まで大切に、命令以上に心から仕えてきた相手にしたことを思えば謝ったくらいでは済まない。それでも、どうしようも無く、抗う事が出来なかったのだ。


「どうして……」


 カロルの菓子に竜の肉が混じっていたのだ。

 送り主の名前のない小包に入っていた竜の肉を拒絶するということは、アブラハムソン伯爵家の取潰しを意味していた。

 はじめは勿論カロルだって無視をしていた。だが、夫のアブラハムソン伯爵が怪我をして帰ってきた事を発端に、不幸が重なるように家族に、使用人に怪我をする者が後を絶たなかったのだ。

 何度目かの送り主の名前のない小包が送られてきた頃、カロリーヌに呼び出された。

 アブラハムソン伯爵を心配しているカロリーヌに感謝を抱いた。聖女のような微笑みには誰もが絆されてしまうのだ。

 カロリーヌが「ユーグが心配」と言っただけで、カロルは送り主の名前のない小包は王妃からだと思い込んでしまった。


 家を、家族を守る為にはリュカに竜の肉を盛るしか方法がないのだと。

 カロルのリュカへの想いが汲まれることはない。


 リュカにとってカロルは家族以上に大事にしてくれる大切な人だった。ただの乳母ではなく、母そのものなのだ。庇護してくれる者の裏切りはリュカを追い詰めるには十分だ。

 竜の肉を喰らう苦しみが体の外へ体現する。悲しみに、苦しみにリュカは呑まれ、 竜の肉を喰らう苦しみに抵抗するだけで精一杯だ。

 リュカの涙が、涎が、汗が、毒霧となってカロルを襲った。緑竜の肉は今までと違う苦しみをリュカに与えるのだ。


 顔を上げることなく謝罪の言葉を繰り返すカロルは嘔吐くことが増える。それでも許しを請うように謝り続けていた。

 自身の苦しみで一杯のはずのリュカはカロルの様子に胸が締め付けられる。ふと顔を上げたカロルにリュカは息を呑む。


 真っ赤な涙に鼻血、吐血を気にすることもなく、リュカに謝り続けているのだ。異様な姿にリュカは顔を背けてしまう。

 今まで慈悲深くリュカに手を差し伸べてくれていた人を気持ちが悪いと、拒絶してしまったことにリュカは吐き気がする。

 ハッとした時にはもうカロルは動かなかった。

 動かないどころか、硫酸に溶かされるように体から煙を出し、人から肉塊へと変わっていく。

 魔法使いでありながらも、まだ魔法を見たことがなく、魔法の使い方の知らないリュカでも、部屋に毒が充満している事がわかった。

 これは自分の魔法だと。自身からの溢れる毒でこれ以上の被害が出ないようにと、リュカは一人抗う。

 カロルがリュカとの最後を二人で過ごせるようにとダミアンすらも排し、部屋に誰も入れていなかった事が幸いし、他に犠牲者を出さずに済んだことは僥倖だ。

 窓に鍵を掛け、扉を封じる。毒が充満した部屋の中でリュカは苦しみ藻掻きながらどうすべきか、考える。

 苦しいと体を明け渡してしまえば楽になれると思うが、生きろと本能が騒ぐ。

 これは竜の肉を喰らったせいだとリュカは魔法の使用に知恵を絞る。

 まだ魔法を知らない中から毒を中和する魔法を探し、実行するまでに丸三日。飲まず食わずの中でリュカの苦しみは相当なものだ。リュカの毒にカロルの体は溶け消えていた。

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