第5話 兄王子と弟王子
幼いリュカには乳母の死に悲しむことは許されなかった。
乳兄弟のユーグからは罵詈雑言を浴びせ掛けられ、アブラハムソン伯爵家からの抗議は王妃カロリーヌでなく直接リュカに届き、リュカを庇おうものならば、その人物までもが批判された。
その非難をダミアンは一身に浴び、少しでもリュカへの負担を減らそうと考えた。
屈託無く笑う、笑顔が可愛らしい王子はもういない。
フランシスと同じ黒い瞳は慟哭を表すようにどこまでも暗く、同じ黒髪はリュカの表情を隠すように伸びていく。
リュカを庇護する者はいなくなり、ただ一人側付きとなった近衛兵のダミアンだけが残った。若い彼にリュカの待遇改善をなせるわけもなく、気味が悪いと余計に避けられるようになったリュカを、だた見守ることしか出来なかった。
この頃にはもうフランシスは名実ともに王妃カロリーヌの意のままに動く『傀儡の王』そのものとなっていた。第一王子のリュカは魔法使いとなり、次の国王には第二王子シャルルと声が上がる。彼女にとってフランシスは用済みだった。それでも愛した人だ。フランシスに何かをとは今は思っていない。
「兄上様!」
中庭を駆け回っていたシャルルはリュカの姿を見かけるなり近寄っていく。なかなか一緒にいることが出来ないが、彼はリュカを慕っていた。母のように恐怖を抱かせるようなこともなく、父のように不安を感じる事のない唯一の家族がリュカだった。無邪気な子供であることを望まれ、そう振る舞うことがあるシャルルが、リュカの前でだけは自然でいられるのだ。
「シャルル……僕に近づいてはいけない。王妃様に怒られてしまうよ」
「大丈夫だよ。母上様はお優しい方だもの。兄上様遊ぼう?」
もっとリュカと一緒に居たいと思っているのに周囲は許してくれず、こうしてたまに側に近づけばリュカはシャルルをすぐに追い払おうとする。
母カロリーヌの影響とわかっていてもシャルルにはそれが寂しいのだ。今だってリュカの目に映っているのはシャルルではなく、側に控えるリュカの乳兄弟だったユーグだ。
シャルルの入る余地の無いほど仲の良かった二人が、今は視線を合わせようともしないのだ。カロルの事を思えば仕方が無いのだが。
一緒に遊びたいと散々喚き散らしていた幼子だったころの嫉妬は今も胸に残っているのだ。リュカのお下がりを貰うような感覚で遊び相手としてユーグを指名した。
ユーグがいればリュカは一緒に居てくれると思っていたのに、誤算だった。彼はリュカの乳兄弟だったことなどないとばかりの態度だった。
魔法使いだと、黒く長い前髪で表情を隠すリュカは気味が悪いから近づくなと、シャルルに進言する者は後を絶たず、ユーグも同じ事を言うのだ。シャルルからしてみれば余計なお世話だ。
今にもここを離れたそうに視線を漂わせるリュカを放すまいとシャルルは兄王子に抱きつく。
「兄上様、僕……また魔法を見たい!」
一度だけリュカが魔法を使っている姿を見たことがあった。空を飛んでいたのだ。幻想的な様子にシャルルは心を躍らせた。お伽噺のヒーローが目の前で動いているような感覚だったのだ。
「ダメだよ。あれは見つかったらいけないことなんだ」
竜の肉を喰らい魔法使いになったからといって、すぐに魔法が使えるわけではない。字を書くにも訓練が必要なように魔法だって同じだ。
リュカに魔法を教える者は当然いない。カロルの事があってから魔法を暴走させないようにと、自由に操れて損はないと始めた自己鍛錬を見られたのだ。
今もどこかで魔法の練習をと、ダミアンの目をかいくぐって出てきたというのにシャルルに会うとは思わなかった。誰かに見られては問題になると、ダミアンにだって内緒にしているのだ。
シャルルがいればユーグもいる。カロルの事に気まずいのにだ。
いつも汚れなく真っ直ぐな目で兄と慕ってくれるシャルルをリュカは大事に思っている。思っていても、今は早く離れたかった。
リュカの気持ちなどお構いなしに見たいと駄々をこねるシャルルにリュカは根負けしてしまう。ユーグが一言「なにも見ていない」と言ったせいもあり、求められることに慣れていないせいもあった。
期待に満ちたシャルルの瞳は眩しくて、純粋とはシャルルを表す言葉だとリュカは思うのだ。
どうせなら楽しんで貰いたいと思うリュカはシャルルを抱き、空を浮く。
「うわぁぁぁ! 兄上様スゴイ!」
ほんの少しだけ、自身の膝くらいの高さを浮いただけだ。それだけでもシャルルを興奮させるには充分だった。
シャルルのはしゃぐ声に女の悲鳴が重なる。
魔法に不慣れなリュカは悲鳴に驚き、地に落ちる。転がるように地に落ちた衝撃に驚いたシャルルが大声で泣出してしまった。
怪我の心配して駆け寄るユーグにシャルルは抱きつき、慰めを求める姿にリュカは内心穏やかとはいえなかった。
ユーグの気遣わしげな視線もそうだし、我儘を聞いたリュカを無視するようにユーグに縋るシャルルに身の置き所がないのだ。
悲鳴は宙を浮く二人の姿を見た侍女のものだった。大袈裟に騒ぐ侍女のせいもあって大きな問題となり、リュカは城の北にひっそりと立つ塔へ、幽閉される事になる。
問題を起したのはリュカではなく、シャルルだと訴えたところで大人たちは話を聞かなかった。彼らの中でリュカは卑しい魔法使いで、シャルルは無垢な王子なのだ。
怪我がなかったとはいえ、シャルルを危険な目に合わせたリュカにカロリーヌが黙っているわけがないのだ。
幽閉で済んだだけでよかったと喜ぶべき事だ。自由など初めから無いに等しい生活が、更に制限をかけられた形となっただけ。
いつか魔法を自由に操り、この狭い籠のような世界から出て行くのだとリュカは現実逃避するように、魔法の鍛錬をこっそりと続けた。
時間だけは余るほどあり、人目を忍べば自由に使える時間は今まで以上にあった。
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