第3話 死を覚悟していた

 ――竜の肉を喰らうということは魔法使いになることだ。神の使いである竜を喰らうことは神に逆らう禁忌であり、世界の脅威である竜と戦う使命を帯びる尊い者となることでもある――


 聖竜教の教典一部を要約したこの言葉は誰もが知る不文律とされていた。


 アンテリナム王国の歴史の中で魔法使いが王になった史実はなかった。神に逆らう禁忌を犯した魔法使いが蔑まれているせいであるのだろう。


 竜の肉を喰った直後に訪れる激しい苦しみは、大人ですら耐えられない者がほとんどだ。子供には酷だと、魔法使いを目指す者は16歳を越えないと口に出来ないよう聖竜教会が管理していた。……はずだった。

 どこから『竜の肉』を手に入れたのかわからないが、出会えば災害と同じ扱いをされるドラゴンの巨躰だ。教会が全てを管理仕切れているはずもなかった。


 まだ幼い王子がその激しい苦しみを乗り越えらはずがないと誰もが思い、リュカの死を覚悟していた。

 最期になるかもしれないと、尻を蹴られて見舞いにきたフランシスはリュカの苦しむ姿に驚き、側に控えるリュックにもたれかかる。幼子の苦しむ姿はそれだけで強烈だ。

 父親だろうと諭されても、見ていることすら辛いのだ。


「殿下の体は氷のように冷たくて、今だって熱にうなされるように吐く息は熱いのです。どうか手を差し伸べてあげてください」


 カロルのリュカを想う言葉にだってフランシスは応えず、リュカから視線を外し口元を覆う。一言掛けるだけでもリュカは嬉しいはずだ。


「もう……見ていられない」


 たった一言でフランシスはリュカに一瞥もくれず部屋を出て行く。自分の子が苦しむ姿になにも思わないのかと、カロルがフランシスを睨んでいる事に気が付くわけがない。

 リュカが今何を求めているかなんて関係ないのだ。いつだって自分が優先される。


「リュカ王子は陛下の子ですよ。いいのですか?」


 フランシスを諫めるリュックの言葉に首を振る。リュカの苦しそうな姿にニネットの最期を思い出す。フランシスにしてみればリュカを愛していないわけではないく、ニネットへの思いを強く思い出されてしまうのだ。リュカは決してニネットに姿形が似ているわけではない。寧ろ父親であるフランシスそっくりだ。

 どう接すればいいのかわからないままフランシスはいつものようにリュカから逃げてしまい、一度見舞っただけでそれ以降見舞うことはなかった。

 カロルは何度もフランシスにリュカを見舞うように要望を出したが、聞き届けられることはなく、失望を大きくしていく。目の前で苦しむリュカになにも出来ない事が悔しく、涙に濡れない日はないのだ。


 その代わりに献身的に見舞ったのが、カロリーヌだ。

 口には出来ないが疑いのある彼女をリュカに近づけたくない。だけど、彼女は王妃だ。リュカの継母でもあるカロリーヌの見舞いを断ることが出来ず、見張るような鋭い視線になってしまうことに心苦しさえあった。


「王妃様……今日も陛下はいらっしゃらないのですか」


 看病にやつれた様子のカロルは責めるような口調になっていることに気が付いていなかった。カロリーヌもそれを咎めるような事はなく、カロルを労うくらいだ。実の母のようにリュカを心配する彼女が、命を狙ったとにわかに信じがたかった。


「フランシスは……いいえ、なにをどう伝えてもリュカ王子が会いたいのはお父上でしょうに」


 端から見ればその姿は聖母のようだが、リュカに向ける眼差しは聖母とはほど遠く、冷え切っている。

 彼女がリュカを見舞う本当の目的は彼が苦しんで死ぬ姿を見るためだ。

 憎い女から産まれてきた子を愛せるはずもなく、放って置くことも出来なかった。シャルルの邪魔だとさえ思っているのだから。


 カロリーヌの願い虚しくリュカはひと月ほどで回復に至った。

 幼くして竜の肉を喰らった者としては脅威的だ。奇跡といっても過言はないが、それが良かったかどうかは疑問だ。

 王子とはいえ、魔法使いになってしまったのだ。幼くして魔法使いになるということがどういうものなのか、誰にもわからない。回復したといっても、それが長く生きられるかさえもわからず、彼の将来に不安を抱くのだ。


 また、フランシスはリュカが教会に入ることを頑なに拒んだ。

 魔法使いと城で蔑まれるくらいなら、教会で立身出世の道もあったはずなのに、頑としてリュカが城を出ることを禁じるのだ。

 理由を聞けばリュカは「王子だから」「自分の子だから」と、納得するような答えがないのだ。『傀儡の王』のくせにと冷ややかな目が向けられるのは仕方がないだろう。


 カロリーヌの時折見せる厳しくなった顔つきに巷で噂される聖母の面影などなく、側に控えている侍女はカロリーヌの声に体をビクリと震わせ、先に続く言葉を待つのだ。

 シャルルを楽しませようと用意されたカナリアの籠の前に立つカロリーヌの肩は震えているかと思えば、落ち着きを取り戻したかのようにピタリと止んだ。

 侍女は命じられた通りに水瓶をカロリーヌの側に置く。なにをしようとしているのか詮索しては自分が危険だ。王妃の侍女であると誇りを胸に命令を聞くだけと言い聞かせる。

 恐怖に震えそうになる手を押えるだけで一杯だ。

 カロリーヌはカナリアを乱暴に掴むとそのまま水瓶に沈めた。水の中で自由に動かせない小さな体で藻掻き、翼を広げて浮き上がろうと必至だ。

 小さな小鳥が水に溺れる様をただじっと見つめ、静かになった水瓶から手を引く。


「あの子はマリーと同じ……」


 カロリーヌの呟きを聞いていない、なにも見ていないとギュッと目を瞑った。

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