第77話 「少し声が聞きたいです。今、お話しできますか?」
彩音のマンションに到着した三人。
部屋を開けると真っ暗で一切物音がしない。
玄関にあった優真の私物はなくなっており、それはつまり彩音の私物以外はこの住居から綺麗になくなっていることの証明でもあった。
「誰もいない。ほんとに出ていったんだね……おじゃましまーす」
亜弥華は小声で呟くと綺麗に靴を脱ぎ揃え、一部屋一部屋開けていく。
それもゆっくり開けるのではなく、ドアノブを持ってからおかしな間を開けたかと思うと、いきなり勢いよく開ける。
「開けると思たら開けへんのかい!作戦」と命名されたその作戦は仮に中に人がいた場合、急に開けてビックリさせる作戦らしいのだが、本当に絶妙なタイミングで開けるので様子を見守っている二人は毎回冷や汗が止まらない。
恐る恐る覗き込む彩音と千夏をよそに亜弥華は遠慮なくどんどん奥へと入っていく。
そんな亜弥華を玄関で見守る二人。
日常と違うことにわくわくする千夏もさすがにこのときばかりは彩音の側を離れることができなかった。
普段なら亜弥華より先に部屋に上がり楽しみながら探索するのだが、震える彩音を置いてそんなことを優先させるほどバカでない。
「彩音」
千夏は彩音の手をぎゅっと握りしめて、彼女の頭を撫でた。
「彩音、これが現実だよ。何て言えばいいのかわからないけど……その……おめでとう」
「千夏……ありがとう」
「なんかさ、別れたのにおめでとうって変な感じだね」
「だね」
クスクスと笑い合っていた二人の笑い声は次第に大きくなり、お互いに信頼のおける大切な存在なのだと自覚するのに言葉はいらなかった。
照明がつき明るくなった部屋。
ひとしきり探索を終えた亜弥華は何か納得がいかない様子で玄関へ戻ってきた。
「ねぇ、あーちゃん。あーちゃんてさ、二人で同棲してたんだよね?」
「う、うん。たまに千夏が来たりしたことあるけど、基本は私とゆー君の二人」
「だよね?」
亜弥華はその説明に納得がいかないのか何度も後ろを振り向き、鼻をクンクンさせては首をかしげる。
「あのさ、奥の部屋からいい女の匂いがすんだよね」
「おいおい、なに言ってんだよ!どうせあいつが彩音がいない間に別の女連れ込んでたんだろ。彩音、もう帰ろ」
「う、うん。そうだね。令和ちゃん、帰ろ」
千夏が勝手に優真に腹をたて、すたすたと外に出ていった。
慌てて追いかける彩音だったが、鍵をかけないといけないことを思い出し亜弥華が消灯して出てくるのを待つ。
「こーちゃんてさ、ここに来たことないよね?」
不意にとんちんかんな質問をされ、彩音は首をひねる。
「えと、一回だけあるかな?でも家の中にあがったことはないよ」
「あのさ、奥の部屋から確実にいい女の匂いがしてて、それに紛れてこーちゃんの匂いが微かにしたんだよね」
確かに孝太郎は湊心と共に彩音救出のためこの家に来たことはあったが、中に上がることはなかった。
亜弥華の嗅ぎ付けた知らない女の匂い。
それはまさしく莉歌の匂いであり、彼女についた孝太郎の匂いを何故か亜弥華は嗅ぎ取ったのだった。
「き、気のせいだよ」
彩音は苦笑いを浮かべながら鍵をかけ、亜弥華の隣を歩く。
「『解せぬ』」
******
帰路につくため、再び亜弥華の呼んだタクシーを待つ三人。
「あ、ごめん。ちょっとだけ待ってて」
「どうしたんだ、彩音」
「ちょっと持って帰りたいものがあって。すぐ戻ってくるから」
そう言い残し、彩音は駆け足で階段を昇っていった。
二人きりになった千夏と亜弥華。
彩音が見えなくなったのを確認した千夏は亜弥華に面と向かうと、少し喧嘩口調で口を開いた。
「令和ちゃん。はっきり言っとくけど、絶対なんか誤解してる。私は確かに彩音が好き。でもそれは友達として、親友としてだから。変なこと考えないで」
きょとんとしながらも亜弥華はその言葉に不敵な笑みを浮かべ、首を横にふる。
「『わかってねぇな、わかってねぇな。枠に収まってんの一体どっちよ』」
「わかってないって、だからなんのこと?」
「わかってないんならはっきり言ってあげる。ちーちゃんにはね、『嫌われる勇気』がないのよ。だから自分に嘘をついてる」
「は?それは人間関係の話でしょ?私、『アドラー』なんて信じてないから」
「アドラー?『知らねぇ』。でも、わかってるなら話が早いわ」
亜弥華としては通じると思ってなかった隠語のような悪口が千夏に通じたことで若干焦りはしたが、逆に通じたことが嬉しくて高まるテンションを抑えるのに必死だった。
「じゃあ、あーちゃんとちーちゃんは『亀とアキレス』ね?ちーちゃんが『アキレス』」
それを聞いて千夏は抑えていた感情が我慢できなくなり、亜弥華に詰め寄ると彼女の胸ぐらを締め上げた。
「ほら、ムッとした。自分でもちゃんと気づいてるじゃない」
亜弥華は怯むどころか、なお千夏に挑発的な言葉を投げ掛ける。
「令和ちゃん。あなた一体何がしたいの?」
一瞬詰め寄った千夏だったが、亜弥華の胸ぐらをつかんだことで冷静になり、その手を離すと亜弥華から距離を取った。
「ねぇ、ちーちゃん。ちーちゃんは大好きで信頼してた人から嘘をつかれたり、裏切られたこと……ある?」
今度は逆に亜弥華が千夏と距離を詰め、その度に千夏は距離を取ろうと後ずさりする。
「人の考えなんて絶対にわからないわ。どれが嘘でどこまでが本気かなんて。もしかしたら本音だと思ってたことが建前だったり、その逆だったり。私に向けられた笑顔が実は他人にも向けられていて……もしかしたら他人に向けた笑顔を私が勝手に勘違いして自分に向けられたって思ってただけなのかもしれない」
亜弥華は立ち止まると空を見上げ、大きく深呼吸した。
「私はただこーちゃんの全てを知りたかった。それがそもそもの間違い。一つ知ればもっともっと知りたくなる。それが苦しい。知りたいけど知りたくない、でも知りたい。もし全てを知ったら……知らない方がキレイなままのこともあるのよ」
夜空を見上げていた横顔がゆっくりと千夏の方を向く。
その大人びた妖艶な雰囲気と凛として整った横顔を流れる一筋の涙。
その仕草に千夏は不覚にもドキッとしてしまった。
「知らない方がキレイなままのこともあるのよ」
亜弥華はぽそっと呟き、何故か流れ出した涙を千夏に見られぬように下を向く。
大きく深呼吸をし気持ちを落ち着かせ、ほんのり赤らんだ顔を千夏に向けた。
「恋って、そうゆうものじゃない?」
涙を払うようにニコッと微笑んで彩音の部屋の方を見上げる。
「あーちゃん、遅いね」
***
その頃彩音は家には入らず、ドアの前で自身のスマホを見つめていた。
【先輩。今、彼と別れました。長い間心配かけてすいませんでした】
【少し声が聞きたいです。今、お話しできますか?】
孝太郎にメッセージを送り、じっと待つ。
亜弥華の前で孝太郎にメッセージを送ることを躊躇い、とっさに忘れ物を取りに行くことを装ったのだった。
だが、相手の都合があるためすぐに返事が来るわけではない。
【返事、待ってます】
それだけ送ると、彼女を待つ二人の元へ歩きだした。
******
帰宅するなり急に疲れがのし掛かった三人。
三者三様に風呂に入り、彩音と千夏は二人でベッドで、亜弥華は床に布団で横になった。
「私『アルフォンス』と同じで寝れないんだよね」
そう言っていた亜弥華が真っ先に眠りに落ち、その寝顔を二人でまじまじと見つめる。
「口開けたらクソ生意気だけど、こーやって見たらめっちゃくちゃ可愛いな」
「でしょ!超絶美少女令和ちゃんには誰も敵わないんだって」
ひとしきり美少女の寝顔を見つめ目の保養を終えると、二人は眠りについた。
彩音は眠りに落ちるまでスマホを握りしめていたが、孝太郎から連絡が来ることは一切なかった。
三人で彩音の家を訪れた時、まさか孝太郎と莉歌が体を重ねているなど、彩音にわかるはずもない。
そして二人がいたのが彩音と優真を監視するために莉歌が借りた向かいのマンションの一室であり、一時的とはいえ物理的にも限りなく近い距離にいたことなど知るよしもない。
【いつでもいいので待ってます】
【電話してもいいですか】
【迷惑ですよね、ごめんなさい】
伝えたい想いを口に出せないまま、彩音は眠りに落ちた。
https://kakuyomu.jp/users/anakawakana/news/1177354054891516535
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