第63話 「一万年と二千年前から愛してる」

 床を蹴りあげる足音が段々と大きくなってくる。

 突如として二人の世界に現れた女性。

 孝太郎のこととおぼしき名前を呼ぶと、自信満々な顔で近づいてきた。


「れ、れ、れ」


 国民的掃除のおじさんに取り憑かれたかのように、『れ』を繰り返す彩音。

 周りの客もその女性を見てざわざわとざわめき出し、彼女を撮影する客すら現れた。


 切れ長の目に品の良さそうな鼻。

 オン眉で切り揃えた黒髪が肩甲骨までさらりと伸び、ホットパンツから出たすらりとした黒タイツの脚線美がビュッフェの照明に映える。

 飾り気のない質素な服装をしているが、体型と雰囲気から一般人とは別の世界の住人であることは間違いなかった。

 

 ざわめき出した周囲に笑顔を振り撒きながら、時折手を振りながら、しかし視線はしっかりと孝太郎を捉えていた。


「れ、れ、れ、……令和ちゃん!?」


 目の前に近づいてきた女性を眼中に捉えると、びっくりして椅子の上で跳び跳ねた。

 彩音の憧れの中二系モデルが意気揚々と近づいてくるのだから無理もない。


「あの、え、あ、先輩?もしかして令和ちゃんとお知り合いなんですか?」


 キョロキョロと目の前の孝太郎と向かってくる令和の顔を何度も見る。


「いや、なんでもない。人違いだよ、きっと。俺は令和なんて人知らないし」


 孝太郎は優しい笑みを浮かべ平静を装うが、やましいことであるかのように彩音の目を見て微笑むことはなかった。


「ほんとですか!でも、令和ちゃんは先輩のことめっちゃ見て……いや、すっごく睨んでますけど……」


「彩音。そろそろ行こう。もうすぐ始まるんだろ?だったら尚更その女優さんはここにはいないって」


「あ、い、でも」


「ほら、行くよ」


 そう言って、孝太郎が席を立とうとした時だった。


「おい、そこの雌ガキ!!」


 その汚い罵声に場の空気が静まる。


「私のこーちゃんに気安く喋ってんじゃねぇぞ!次話しかけたら、私の暗黒面がお前を呪い殺すからな!」


 それを聞いて孝太郎は呆れたように令和の方へ振り向く。


亜弥華あみか!やめろ!」


 彩音を貶されたことに腹が立ったのか、唐突に孝太郎が声を張り上げた。

 よくわからない展開に彩音は口をあわあわとしてテンパる。

 いきなり憧れの年下モデルに雌ガキとディスられたかと思うと、孝太郎は令和以外の名前で叱咤したのだから無理もない。

 そんな彩音に孝太郎は優しく微笑み、落ち着くように話し出した。


「彩音、大丈夫だから。行こう」


「は?なに?無視?無視するわけ?私のこと見えてるよね?『あの花』的なノリがしたいわけ?」


「先輩、あの、これはいったい……」


「だから喋りかけんなって言ってんだろうがよ!」


 これ以上は誤魔化せないと悟った孝太郎は令和の顔を一度見た後、彩音の方へ向き直った。


「彩音、この人は俺の知り合いの輿水こしみず……」


「は!待って、こーちゃん。知り合いって何?」


 憧れの先輩と憧れの中二系モデル。

 その二人が目の前で今にも修羅場と化しそうに睨み合っている。

 その雰囲気に体が固まって身動きがとれないが、相変わらず口元だけはあわあわとしている。

 そんな彩音を察した孝太郎は、その後一切令和の方を見ることなく泣き出しそうな彩音だけを見つめていた。


「てかさ、本名で呼ぶの止めてくんない?封印した黒歴史がざわつくんだけど?それともなに?『封印されしエクゾディア』のカードを五枚集めちゃったわけ?だったら仕方ないか」


 孝太郎は何も聞こえない振りをして、完全に令和を無視する。

 それにイラついた令和は、彩音を一瞥した。


「あんた、私のファンなの?じゃぁいいこと教えてあげる。令和は私の芸名で名前じゃない。私の名前は輿水亜弥華こしみずあみか。職業はよ」


 令和はツンとした態度でさらっと打ち明けたが、余りの予想外の内容に頭がついていかない。


「か、彼女!?」


「違う!亜弥華、いい加減なこと言うんじゃない」


 無視を決め込んでいた孝太郎も、さすがにその発言は無視できなかった。


「何が?何がいい加減なことなの?あんなに愛し合ったのに!?身体中のほくろの数も数えあったのに!?ほんとにもう忘れちゃったの?」


 やはり修羅場と化しつつある雰囲気に、足の震えが止まらない。


「お前とはなにもない。いい加減なことを言うな」


「そんなはずない。私達、一万年と二千年前からずっと愛し合っていたじゃない。ねぇ、思い出してよ!少なくとも私は一万年と二千年前から愛してる!」


「そんな大昔に俺は生きてない」


 孝太郎の塩対応に令和は焦ることなく冷静に切り返す。


「そうね。確かに付き合ってすぐにこーちゃんは突然姿を消した」


 孝太郎は慌てて令和の発言を取り消そうとしたが、彼女は休むことなく喋り続ける。


「でも、私はいつかまた会えるって信じてた。だって『ノーマン』だって生きてたんだもん。寛容な私はいつまでも帰ってくるの待っていてあげるわ。だってこーちゃんは私だけのものだもの」


 それは彩音には聞かせたくない内容だった。

 彩音の元彼も急な失踪をしている。

 令和の勘違いだと彩音を信じこませる自信はあっても、自分も元彼と同じ行動を取ったと思われてはこの先厄介だからだ。


「違う。付き合ってもいない。全部お前の勘違いだ」


「こーちゃん。可哀想に、記憶喪失なのね。でも大丈夫、『ゴールデンタイム』だってごり押しのハッピーエンドで終わったのよ。また始めから二人でこの世界を作って……そうよ!『フリンジ』みたいな物理学無視した世界を作りましょ!」


「令和!!こんなところにいた!!」


 その声を聞くなり、令和の肩がびくっと持ち上がる。


「出たな、『泳ぐ十八禁』!国に帰れ!!」


「はいはい……もうすぐ挨拶なんだから早く来て!それと、みんなに迷惑かけないで!」


 その声の主に指示されたスタッフが令和を取り囲む。

 令和は他のスタッフに両脇を抱えられ、ひきづられるようにして連行されていった。


「ちょっと離して!私はあいつに用事があるの!やっと解体掘り成功したのにー!こーちゃん!私のアッピル見逃さないでよ!!」


 令和の叫びが小さくなると共に、孝太郎の顔が落ち着きを取り戻していく。

 彩音は何がなんだかわからずあわあわしていたが、孝太郎の顔を見てほっと胸を撫で下ろした。


「どうもすいませんでした。私共のタレントがご迷惑をおかけしたみたいで」


 令和のマネージャーとおぼしき女性が深々と頭を下げ、二人に謝罪した。

 モデルのマネージャーもモデルかと思うほどの細身に、アシンメトリーに編み込んだ金髪のショートヘア。

 派手めな髪型とは対照的に地味なスーツが大人の雰囲気を演出している。

 が、それよりも何よりも背が低い。

 平均的な身長の彩音よりも頭一つ半は低く、さらにお辞儀をしているため余計に低く見える。

 まさに令和の都市伝説に語られる金髪の幼女そのものだった。


「いえ、なにも迷惑なことはないです……な?」


 問題を起こしたくない孝太郎は何事もなかったような素振りで、彩音に同意を求めた。


「は、はい。迷惑だなんて。私、令和ちゃんの大ファンなんで、その、少しですけどお話しできて嬉しかったです」


 孝太郎と彩音はお互い顔を合わせ、少し照れ笑いを浮かべる。

 が、二人の間に漂ったその甘い空気も次の瞬間、再び一瞬で崩れさってしまった。


 謝罪の為、頭を下げていた令和のマネージャーがそっと髪を耳にかきあげながらゆっくりと顔をあげる。


「申し遅れました。私、令和のマネージャーをしてお…………えええええっ!!」


 マネージャーが突然びっくりした声をあげた。


「「あっ!!!」」


 と同時に二人も重なるように驚嘆の声をあげる。


「伊藤!?で……え!彩音ちゃん!?」


「もしかして……青海川?」


「お、お、お……おみ先輩!!」


 孝太郎にとって令和、つまり興水亜弥華の登場は彼のシナリオに狂いを生じさせるイレギュラーだった。

 だが、ここに来て亜弥華などどうでもいいと思えるほど、厄介な人物が現れた。


 青海川千秋。

 正真正銘、孝太郎の大学時代の彼女であり、彩音が千夏にと言っていた先輩その人であった。

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