第64話 「私が先輩に本気だったらどうします?」
「なんで伊藤と彩音ちゃんがここに!?え!どーゆーこと!?」
「いや、青海川こそどうして……」
「いやいや、ちょっと待って、待って待って。一旦落ち着こ」
「落ち着くのはお前だけだろ、青海川。な、……彩音?」
孝太郎と青海川はお互いを見つめながら、しばらく黙っていた。
言葉を交わさなくても目を見ればわかる。
二人の間にはそんな雰囲気が紛れもなく漂っていた。
そしてその雰囲気の中、完全に思考回路がショートしてしまった女性が一人。
彩音である。
「あのね、私は令和のマネージャーだから、急にいなくなった令和を探していたの。あの子ほんとに自由人だから、失礼なこと言ったり変なことしたりしなかった?」
「あぁ……。時折意味のわからないことを言っていたが」
「あぁ……、それはいつものことだから。あの子にしかわからない世界観があるの。この撮影終わったら茨城で『無限軌道杯』って大会に参加するらしいし、最近だと私のことを『泳ぐ十八禁』って呼び出すし。まぁ、背が低くて可愛いのは似てるけど、あんなスクール水着みたいなのは着れないわ」
青海川は呆れたようにそう言うと、今度はまじまじと孝太郎と彩音を見比べ始めた。
「それより青海川。まだ辞めてなかったのか、芸能事務所」
「当たり前でしょ?私は伊藤と違って根気強いの。そう簡単に負けません」
「変わんないな、青海川は」
「それより二人ともその格好は?」
青海川は孝太郎の着ているティシャツを指差して不思議そうな顔をしている。
それは、スパの制服ティシャツだった。
彩音もそれを着ているので知らない人から見れば可笑しなペアルックにしか可見えない。
「俺は今、隣のスパで働いてるんだ。彩音はそのスパの責任者をやってる。だから服が一緒なんだ」
「そうなんだ!なんだぁ、私はてっきり二人が付き合っててペアルックでも着てるのかと思っちゃった」
にこやかに笑う青海川だったが、目は笑っていない。
その事実に孝太郎は全く気づく様子はないが、彩音ははっきりとわかっていた。
顔は笑っているが、目は死んでいる。
彩音が青海川を怖がる理由がそこにある。
「そんなわけないだろ、な?彩音」
「あ、い、あ、はひ」
懐かしい二人のやり取りに気が動転し、全く会話に入れない。
だが、孝太郎の「そんなわけないだろ」と言った言葉が引っ掛かって頭を離れなかった。
何が「そんなわけない」のか。
付き合ってるはずがないというとこか。
付き合っててもペアルックを着ることはないというとこか。
どちらの意味でも、彩音は表には出せないショックを受けた。
「彩音ちゃんは変わらずかわいいまんまだね。それが今じゃ責任者だなんて」
唐突に青海川が切り出す。
「いえ、そんな」
それしか言い返せなかった。
それを見て、青海川は口角を少し持ち上げ勝ち誇ったように鼻息を漏らす。
「青海川。お前、いつから亜弥華のマネージャーしてるんだ?」
「亜弥……あぁ、令和なことね。いつからだろ?……ん?伊藤、なんで令和の本名知ってんの?」
黙っている彩音から雰囲気を察して孝太郎が話し出したが、裏目に出てしまった。
「なんで知ってんの?もしかして伊藤って、令和の大ファン!?」
「青海川さーん、来てくださーい」
遠くから別のスタッフが青海川を呼ぶ声が聞こえる。
「はーい!……それじゃあ二人とも。また今度会えるかしら?」
「あ、はい」
勢いで返事をしてしまったが、孝太郎は何も言わなかった。
「……そっ。今度って言っても、ここにいるのは撮影の一週間だけ。もしかしたら終わるの早まるかもってレベルだし」
青海川は彩音とは話す気がないらしく、彩音の返事にもあっさりとしか返さない。
一方で孝太郎には食いつき気味に話していた。
「伊藤、彩音ちゃん、デートの邪魔してごめんなさいね。それじゃ」
青海川は孝太郎に意味深な流し目を送りながらその場を立ち去る。
青海川千秋と朝倉彩音。
けして仲の良かったとは言えない先輩後輩。
ある告白を境に二人の関係性は変化し、今もお互いに一度も目を合わすことはなかった。
******
紅葉の始まった並木道を二人横並びで歩く。
撮影見学が終わりスパへと帰る道中、彩音は孝太郎の顔色ばかり気にしていた。
青海川と会話して以降、明らかに元気がないからだ。
最も元気がないのは、令和こと興水亜弥華の出現が大半を占めているのだが、彩音にそれはわからない。
彩音には、元カノである青海川千秋のことを考えているとしか思えなかった。
「あの、先輩」
呼び掛ける声にも注意を払ってしまう。
「先輩はまだ、おみ先輩に未練があるんですか?」
ここぞとばかりに積極的に問いかける。
しんみりした空気を打ち砕くべく、彩音の考えたタイムリーな話のネタだったのだが、あまりに露骨過ぎて口にした瞬間後悔が広がった。
「深い意味はないんです。ないんですけど、もし迷惑じゃなかったら、教えてもらってもいいですか?二人がどうして別れてしまったのか」
慌てて釈明をするが、やはり気になってしまって仕方ない。
「何も話すことなんてないよ。全部自然の成り行き」
「自然の成り行き?」
質問には答えたが、その声に力はなかった。
「卒業してからの青海川は輝いてて、俺はそれが眩しかった。それだけだよ」
淡々と話しなからも、どこか過去を懐かしむような表情に彩音は戸惑いを隠せない。
「あの、その」
「未練はないよ。また付き合うこともない」
もじもじする彩音の態度に孝太郎はくすりと笑い、彼女が聞きたいだろう事柄をいつもの笑顔で答えた。
「ほんとですか?」
「珍しいな、彩音が俺のこと聞きたがるなんて」
「それは、その、私もですね」
「もしかして、俺のこと意識してるとか?」
それとなく孝太郎も探りをいれてみるが、彩音はぷすっと頬を膨らませ不機嫌な顔をしている。
「冗談だよ。怒った?」
「もー!許しませんからね」
ぷいっとそっぽを向く彩音を可愛いと思う孝太郎だったが、それと同時にある種の手応えを感じていた。
しかし、現状厄介な人物が現れたことが問題で、どう対応するかが彼の腕の見せ所でもある。
それを考えれば気分が落ちるが、今は彩音との二人だけの時間を楽しむことにした。
「先輩。もし私が先輩に本気だったらどうします?」
「えっ?」
「私が先輩を意識してたら……」
そう聞きながら孝太郎を見上げると、孝太郎は彩音を見つめながら声を出さず口だけ動かす。
「─────かな?」
「えっ、今、何て言ったんですか?」
「さぁね」
そう言い残して走り去る孝太郎。
「あ、ずるい!待ってください!」
嬉しそうに顔をほころばせながら孝太郎に向かって駆け出す。
孝太郎の返事次第では彼を千夏の家へ誘おうとしていたが、さすがにそこまで勇気が出なかった。
千夏の家というのも、彩音にブレーキをかけた要因かもしれない。
だが、もし千夏の家ではなく、自分の家であったならば……。
その答えは、彩音しか知らない。
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