第62話 「莉歌を見習え」

 九月も半ばに入ったものの、依然暑さの残るお昼前。

 本日のエディシャンはメンテナンスの為休館日であるが、責任者である彩音は立ち会いの為、朝から通常勤務となっていた。

 防犯上、千夏と二人体制の出勤となっていたが、千夏が怪我で入院しているため急遽孝太郎が代わりに出勤となる。

 千夏曰く『彩音による職権乱用の実質的なデート』である。


 そして本日はもう一つ大事な予定があった。

 湊心所属の隣接ホテルがとあるドラマの撮影に使われ、湊心の好意で撮影を見学できることになったのだ。


 普段は落ち着いている彩音だが、今日に限ってやけにテンションが高かった。

 孝太郎と二人きりということでテンションが高いのだが、それとは別にもう一つ理由がある。


「実は令和れいわちゃんが来るんです!」


「令和……ちゃん?」


 見学前にホテルのビュッフェでランチをする二人。

 もちろんタダである。

 彩音はうきうきしながら、自身の最近のお気に入りの女優、今流行りの中二系モデルの名前を口にした。


「先輩知らないんですか?超絶美少女令和ちゃん。最近テレビでもよく見ますよ?」


 その名前を聞くや否や、何か嫌なことでも思い出したかのように孝太郎の顔が一瞬曇る。


「彩音はその女優さんが好きなのか?」


「はい!最近流行りの中二系モデルさんなんですけど、演技がすっごい上手なんです。こないだの映画のシスター役なんて見てて涙が出てきました。最後、十字架刺して自害するんです。胸じゃなくて顎から脳ミソめがけてぐさって!演技なんですけど妙に生々しくて怨念みたいなものが画面から伝わってくるんです。超絶美少女なのにあの演技力、それでいて私生活が秘密のベールに包まれてて……すっごくミステリアスで興味沸かないですか?」


 孝太郎は相槌を打ちながら微笑むが、どうもその名前が引っ掛かるようで時折苦笑いを交えた。


「その令和って本名?他に同じ名前の女優っていたっけ?」


「いえ、たぶん芸名です。本名はわからないです。色々秘密が多くて、事務所も公にしてないことが結構あるんです」


 彩音は少し身を乗り出して、小さな声で話し始めた。


「でも、彼女、最近変な噂というか都市伝説的なことがネットで騒がれてるんですよ」


 誰かに聞かれると不味いことでもあるように、ひそひそと声が小さい。

 仕方なく孝太郎も少し身を乗り出した。

 急に距離の近くなった孝太郎を意識してか、彩音の顔が少し赤くなる。


「なんでも、自分を捨てた男に復讐するために夜な夜な怪しげなお店を転々としてるらしいんです」


 周りを不審がりキョロキョロ見渡す。


「で、彼女が立ち寄った店には必ずと言って言いほど金髪の幼女が現れるそうなんです。夜中のお酒の場に幼女って怪しくないですか!?なんでも金髪の幼女だから、正体は美少女を狙う吸血鬼なんですって。なんで金髪の幼女なら吸血鬼なんですかね?」


 金髪幼女が吸血鬼を連想させる理由を孝太郎は勘づいたが、彩音はハテナが浮かんだままだった。


「あと、その金髪の吸血鬼には仲間がいて、よく居酒屋で呑んでるそうなんです。で、仲間の黒髪ロングの女吸血鬼が毎回酔っぱらってひ弱そうな男の吸血鬼を罵るんですって」


 覚えのある情景が目の前に浮かび、孝太郎の顔が険しくなる。


「ほんと、都市伝説って意味不明ですよね」


「あぁ、そうだな」


 孝太郎は険しい顔をしながら平静を揃おってはいたが、言い様のない恐怖が彼を支配しつつあった。

 それにさっきからしきりに彩音の背後を気にしている。

 彩音と話をしていても、視線は時折彼女の背後を見ていた。


「先輩、大丈夫ですか?さっきからなんだか上の空ってゆうか、気が気でないみたいな」


「いや、なんでもないよ。それよりはそろそろじゃないか?」


「ほんとだ。私、ちょっとお手洗いに……」


 すっと席を立つとそのまますたすたと歩き出す。

 と、同時に彩音の後ろに座っていた一人の女性が席を立ち、孝太郎の側を通りすぎると彼の後ろの席に座り直した。


「お前がここにいるってことは……」


 孝太郎がまっすぐ前を向いたまま独り言のように後ろの女性に小声で話し出す。


「その通りデス。これは全く予想してませんデシタ」


 薄手のトレンチコートに細目のサングラス。

 左耳のインダストリアルとダイスが不気味に輝く、片言の金髪女性。

 ベルである。


「彼女のプライベートなら完全にマークしてましたが、仕事となると私ではどうにもできまセン」


「彼女は?」


「まだ孝太郎には気づいてないと思いマスが、極力ここには近づかないでくだサイ。仮に出会ったとしても、孝太郎ならなんとかできると思いマスけど」


「彩音のいる前ではさすがにマズイな。で、ベルとしては俺はどうすればいいと思う?」


「そんなこと自分で考えてくださいデス」


 含み笑いを交え、呆気なく答えた。


「彼女の目的は一つだけ。こうなったのは、きっちり別れなかった孝太郎が悪いのデス」


 その言葉の意味を理解してか、全く言い返さない孝太郎。

 いや、言い返せないと言った方が正しいかもしれない。

 その態度に呆れて、ため息を漏らすベル。


「どうしてもと言うなら一つだけアドバイス。心して聞いてくだサイ」


 ゆったりと席を立ったベルは孝太郎の耳元に口を当て、一言だけ呟いた。


「……お前はいい加減、


 慌てて振り返ったが、既にその姿はなく、代わりに慌ただしい足音と共に彩音が駆け寄ってきた。


「お待たせしました……先輩?顔色悪くないですか?」


「いや、大丈夫」


 慌ただしい勢いのまま席につくと、勢いそのままに前のめりで孝太郎に話しかける。


「先輩、聞いてくださいよ!さっきトイレから出たら誰に会ったと思います!?」


 興奮気味に話す彩音とは正反対に、孝太郎は思い詰めたような表情のまま口を開く。


「それよりさ、彩音」


 孝太郎の神妙な声に、彩音の興奮した雰囲気は簡単に飲み込まれていった。


「あの後、どうなったんだ?」


「あの後?」


「俺と高寿さんが押し掛けていった後……彼氏とどうなったのかなって」


「気に……なりますか?」


 今度は彩音が思い詰めた表情でうつむきだす。


「気になると言えば、気になる」


「……嬉しいです。先輩にそんな風に思ってもらえていて」


 うつむきながら、しかし、はっきりとした口調で話し出した。


「別れたいとは思っています。でも、あの人は私がいないとダメなのかなっとも思ってます。好きとか嫌いとかじゃなくて」


「じゃなくて?」


「『情』……ですかね?一緒にいた時はわからなかったけど、離れたらなんだか、かわいそうってゆうか。自分でもよくわからないんです。吹っ切れたはずなのに」


 少し間を置いて彩音が口にした言葉に、孝太郎は会話を続けられない。

 莉歌が自身に警告した感情と同じことを、彩音もまた彼氏に抱いていたからだ。


「変ですよね。今のは忘れてください。別れます、ちゃんと」


「そっか。でも羨ましいなぁ、彩音の彼氏が」


「えっ?」


「離れてても彩音にそんな風に想われてるなんて。俺も彩音にそんな風に想われたい」


「先輩……それって」


 口説き文句ともとれるその言葉に、胸の内側がぞわぞわ震えだした。


「で、誰に会ったんだ?トイレ出た時」


「あ、え、えとですね。そ、そうなんです!なんとですね!」


 高鳴り始めた胸の鼓動を見透かしたように孝太郎が話をすり替え抑え込む。

 そのやりとりが実際嬉しかったのだが、慌てて話そうとしていつものようにテンパった。

 それを見て孝太郎は優しく微笑み返し、二人の間に僅かに甘い空気が漂いだす。

 お互いの目に映った自分自身の表情が、まさに恋をしている表情だと気づくのに、刹那の時間も必要なかった。

 止まった時間の中、どちらともなく何かを言おうと唇が動き出す。


 が、その時だった。


「……こーちゃん?」


 微かな声が雑踏の間を縫うようにして二人の耳に届いた。

 二人にとって聞き慣れた声。

 彩音には憧れの、孝太郎には過去の思い出のその声は、二人の甘美な世界を容赦なく引き裂いた。


 床を蹴りあげる足音が徐々に大きくなる。








「……やっと見つけた。うふふ」

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