彩音失踪!?DV彼氏と直接対決!?

54話 「あやねー!いるんでしょー!」

 ビアガーデンが無事に終わった翌日。

 今日は交換研修の最終日。

 つまり、湊心が研修として働く最後の日である。

 だからと言って別段特別なことはないのだが、一つだけいつもと違うことがあった。


「あれ?彩音は?」


 就業開始の二分前。

 千夏が辺りを見渡しながら不思議そうに呟いた。


「そうです、ね。確かにまだ来ておられないですね」


 孝太郎もいつもと違う雰囲気に違和感を覚えつつも、心配そうに掛け時計を見つめる。

 もうすぐ就業開始の時間なのに彩音の姿が見えない。

 いつもならこのタイミングで、勢いよくドアを開けて入ってくるのに、そんな気配は微塵も感じられない。

 店舗へも連絡もなく、二人に不安だけが募った。


「もう七時なるし……。ギリギリに来るのはいつものことだけど、今まで絶対遅刻なんてしたことないのに」


「きっとバスが遅れてて、今必死で走ってるんじゃないですか?」


 心配そうに掛け時計を見つめる千夏を見かねて、孝太郎が優しく言葉を返す。


「……だといいけど」


 そう言いながらも、千夏の脳裏には嫌な記憶が甦っていた。


 過去に一度だけ彩音は無断欠勤したことがある。

 それは彩音が当時付き合っていた男性が行方不明になった数日後のことだった。

 当時、休みだった千夏は他の従業員から連絡を受け彩音の自宅へと向かう。

 すると、そこには極度のストレスで意識を失った彩音が倒れていた。

 すぐに救急車を呼びなんとか事なきを得たのだが、彩音はそれから数日塞ぎこむようになった。


 いきなり目の前から最愛の人間が消える。

 警察や当事者の身内、周りの人間からその件に関して執拗に問われるが、何も知らないので答えられない。

 それがストレスとなり、彼女を押し潰していったのだった。


 だが結局、塞ぎこんだ彩音を救ったのは千夏でもなく、湊心でもなく、小林優真だった。

 それ故、彩音は彼を受け入れたのかもしれない。

 彼の暴力的な一面も含めて。


 なぜか嫌な胸騒ぎが鳴り止まない。

 千夏は何度も胸騒ぎを握りつぶそうとするが、その度に胸が痛くなる。


 しばらくして湊心が出勤し、二人と同様の反応を示した。

 既に時刻は七時三十分を過ぎようとしていたが、一向に彩音からの連絡がない。


「彩音が来てないなんて珍しくないか?……おい。おい、千夏。千夏!聞いてんのか」


「あ、あーごめん、湊心。何かあった?」


 普段ならこの時間からでもテンションが高めの千夏なのだが、今はどこか上の空で全く仕事に身が入っていない。


「千夏。お前も何か感じるんだろ?」


「うん。胸騒ぎって言うか、なんか嫌な予感がする」


 歯切れの悪い千夏。


「ここ数日、彩音に殴られたような形跡がなかったんだよ。いつも楽しそうだったし。だから余計に怖いって言うか……」


 彩音が殴られてないことは良いことなのだが、話ながら千夏の横顔がどんどん曇っていくのを湊心は見逃さなかった。


「千夏。一つ頼みがある。二時間……いや、一時間でいいから仕事抜けていいか?」


「え?」


「彩音のところに行ってくる。私もすごく嫌な予感がする」


 突然の湊心の発言に千夏は戸惑う。

 だが、自分でこの状況をどうしようもない以上、湊心に頼るしかなかった。


「わかった。皆にも協力してもらってなんとか耐えてみるよ」


「すまない。千夏、やっぱりお前はすごいよ」


「湊心」


「あ、孝太郎も連れてくぞ。私みたいなか弱い女子一人だと、もし何か犯罪に巻き込まれたら大変だからな」


「黙れ、わがままボディの……あれだ。その……なんでもない」


 千夏を励まそうと冗談混じりに言った内容に、返ってきたのは歯切れの悪い千夏のディス。

 湊心は余計に千夏の動揺を感じ取らざるおえなかった。

 彩音のことが気になって全く仕事に身が入らない千夏に、湊心は大丈夫だからと言いながら背中をさする。


 ──早くしないと、この子死んじゃうよ


 湊心自身も、自分の言った言葉が現実になっているかもしれないと良からぬ考えが脳裏をよぎっていた。


「千夏。念の為、明美に連絡しといて」


 湊心は孝太郎を呼び出し事情を説明し、共に彩音の自宅へと向かう。


 ******


 社用の車で彩音の自宅へ直行する湊心と孝太郎。


 到着し、駐車場から彩音の部屋らしき場所を確認するが、カーテンで中の様子がわからない。

 そのまま足早に彩音の部屋の前へ向かい、ドア越しに耳を澄ますが、中からはなんの物音も聞こえない。


「ほら、孝太郎」


 湊心が孝太郎にインターフォンを押すように顎で指示をする。


「え!高寿さんが押すんじゃないんですか?」


「は!?お前、男なんやったら根性見せろや!」


 付き添いで来てくれと言われた孝太郎は、あくまで湊心のボディーガード役とて連れて来られたと思っていた。

 なので、こんな展開になるとは思ってもいない。


 インターフォンを押したとして、不在であれば幸いだが、在宅なら中から誰が出てくるかわからない。

 もし、小林優真がでてきたのなら、自身の計画にも修正が必要になる。

 顔を覚えられたら厄介だし、男性の従業員が訪ねて来たことに浮気を疑われ、彩音が更なる暴力被害に合うかもしれない。

 それだけは絶対に避けたい。

 それに湊心が隣にいる為、安易に逃げ出すこともできず、成り行きに任せるしかない。

 シフトを間違えて寝ているだけなら問題ないが、仮になんらかの原因で倒れているとしたらまた介抱するしかない。

 そうなれば二人の距離を縮めることは可能なのだが。


 インターフォンを見つめながら、一呼吸おき気持ちを落ち着かせる。

 が、孝太郎が様々な思案を重ねているとは露知らず、痺れを切らした湊心は勝手にインターフォンを押した。

 そして素早く後退し、孝太郎の後ろに忍者のように隠れる。


「高寿さん!?」


「ほら、押してやったから。あとよろしく」


 湊心が言い終わるのと同じぐらいにドアが開き、ドアチェーン越しに中から男性が顔を出す。

 初対面でも孝太郎にはこの人物が誰だかすぐにわかった。

 彩音の彼氏、小林優真だと。


「すいません、朝倉彩音さんの職場の者なのですが、朝倉彩音さんはご在宅ですか?」


「今日は朝から仕事ですよ?いつもの時間に出ていきましたし」


「あ、そうでしたか」


「すいませんが、もうよろしいでしょうか?夜勤明けで疲れて寝ていたもので」


「はい、すいませんでした。失礼します」


 物腰柔らかに丁寧に答える優真と、なるべく視線を合わさずに話を終えた孝太郎。

 聞くべきことは他にあったはずだが、食い下がって話をして面倒なことになるのは避けたい。

 孝太郎はそう考え早々に話を切り上げたのだが、彼の背後からいきなりしゅっと腕が伸び、その手が優真の胸ぐらを掴んだ。

 優真は突然のことにびっくりし、目を大きく見開いたまま、その手の主を探す。

 そんなことをするのはこの場に一人しかいない。

 湊心である。


「ちょっと、なんですか!」


「すいません。二、三聞きたいことがありまして」


 低姿勢で話しているが、ひきつった顔から苛立ちを噛み潰しているのがよくわかる。

 頭ではわかっていても、手が先に出てしまったのだ。


「すいませんが、いきなりなんですか?」


 優真は胸ぐらを掴まれ慌てながらも、比較的落ち着いた口調で問いかける。


「申し遅れました。私の名前は高寿湊心と申します。彩音さんの上司です」


「で、なんですか?いきなり胸ぐら掴んで。やめてもらえませんか?」


「本日、彩音さんは早朝勤務なのですが本人からの連絡もなく、こちらから連絡もつかなくて無断欠勤となっているんです。何か事故に巻き込まれたかもしれないと、こちらまで足を運ばせてもらったのですが……」


「その前にまず手を放してください。いきなり押し掛けてきてこの行動は非常識ですよ?」


 優真の発言はもっともなのだが、湊心は全くその手を緩めようとはしない。


「すいません。実はこちらへ伺わせていただいたのには少々込み入った事情がございまして」


「なんなんですか、ほんとに。彩音は朝から仕事行ったって言ってるでしょ?」


 優真の言う通り、彩音は仕事に行って道中事件に巻き込まれたのかもしれない。

 だが、湊心はそんな考えすら振り払い、優真を睨み付けると一言言い放った。


「いますよね?彩音」


 湊心は息をたっぷり吸って、優真とドアの隙間から中に向かって大声で叫んだ。


「あやねー!いるんでしょー!怒んないから出ておいでー!」

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