第53話 「……助けて……千夏」

「はい、地域の皆様への普段の恩返しと思いまして今回企画させていただきました。短い期間ではありましたが、来店いただきました皆様には心より感謝申し上げます」


 問題なく当たり障りない返答で済ます湊心。

 普段使わない標準語を喋る湊心に千夏は笑いを堪えるのに必死だった。


「今回の反省を活かして、来年はもっとたくさんのお客様に来ていただけるようがんばります!皆さん、ぜひお越し下さい!」


 千夏が元気いっぱいに愛想を振りまいた瞬間、湊心は笑顔をぴくりとひきつらせ千夏の足をおもいっきり踏んづけた。

 来年の開催など決まっないのに調子に乗ってアドリブをかました千夏。

 インタビュアーとのやり取りに、にこにこと微笑みカメラを見つめる二人。

 その背後の遠くの方で、孝太郎が何かを大事そうに抱えながら猛ダッシュで走り去る。


 ***


 問題なくテレビ取材も終わり、無事にビアガーデンは最終日を終えた。


「この数日間、私のわがままにお付き合いいただきまして。ほんとにほんとに。ありがとうございました!皆さんのおかげ……皆さんのおかげで……うぅっ」


 閉店後のミーティングで彩音は涙を流しながら、その場にいた従業員全員へ感謝の意を述べると、深々と頭を下げた。

 もらい泣きする千夏の横でさすがの湊心も鼻をすすりながら夜空を見上げていた。


 ******


 その夜。


 バイト終わりにカラオケに行き、すっかり帰りが遅くなった女子二人。

 桃花と直海である。

 赤になった横断歩道で、じっと青になるのを待つ。


「こんな時間までごめんね、直海」


「いいですよ。たまには夜遊びもしたいです」


 青になった横断歩道を渡り終えた時、一台の自転車が二人の前を通り過ぎた。


「あれ?今のって、愛以あいちゃん?」


 ふいに桃花がその自転車を目で追いながら呟く。


「誰?知り合い?」


「あ、直海は知らないか……」


 目を閉じ何かを必死で思い出そうとする桃花だったが、合点がいかないようで、すぐに考えるのをやめた。


「ううん、なんでもない。きっと人違い」


「何?気になるんですけど」


「何でもないって。きっと本物だったら朝倉さん喜ぶだろなぁ」


 しかし、この目撃情報が再び彩音の心を乱すとは桃花には想像もつかなかった。


 ******


 とある湊心の行きつけのバー。


 湊心と千夏で打ち上げと称して飲みに出掛け、時刻は既に深夜十二時を回っていた。


「一時はどうなるかと思ったよ」


「ほんまやな!肝冷やしたわ」


「お前が言うな!」


 湊心はビアガーデン開始までの数日を振り返りしみじみと反省の弁を述べるが、千夏は嘘臭いその言葉にツッコまずにいられなかった。

 ビアガーデンが終わったということは、湊心が本来の業務である『ホテル業』へ帰るということである。

 明日の勤務を最後にスパの皆とはお別れとなるが、そんなことはすっかり忘れている湊心と千夏だった。


「結局、彩音は来んかったな」


「誘ったんだけど、どうしても帰らなきゃいけないんだって」


「そっか」


 彩音と落ち着いて話がしたかった湊心は残念そうにそっと呟く。

 二人の間にしんみりとした雰囲気が漂い始めた、ちょうどその時だった。


「ぐぎゃぁぁーーーうばあぁぁぁ」


 断末魔の雄叫びのような悲鳴が二人の耳をつんざく。


「なんやなんや!」


 湊心はスプモーニを吹き出しそうになりながら声のする方へ振り返ると、遠くのテーブル席で女性が空のグラス片手に叫んでいた。


「この清濁併せ持つ亜弥華あみか様がぁー!ここにいるおまあらをー!地獄のどん底にだだぎづげだー!!」


「なんじゃありゃ!ひっでーな」


 湊心は呆れ顔でバーテンへ同意を求めたが、バーテンは苦笑いするだけだった。


「最近よく来られるんです。なんでも好きになった男のために付き合ってた男性と別れたのに、今度はその男が行方をくらましたかなんかで失恋したらしいんですが……お二人とも知りません?最近人気の『中二系モデル』なんですけど」


 二人は同時に首をかしげ、それを見たバーテンは苦笑いして席をはずした。


「男に逃げられたにしてもあれはねぇよな、千夏」


「うん。酔ってもあーはなりたくねぇわ」


 この後、再び叫んだ女性にいい加減にしろよと非難の視線を向ける二人であった。


 ***


「ちょっと亜弥華、大丈夫?」


 亜弥華と言われたその女性は、叫んだ勢いで目が眩み、付き添いの友人に介抱されていた。


「大丈夫。今日はちゃんと薬のんできたから。白い粉のやつ」


 酔っ払った亜弥華はドヤ顔でにまにまと不敵な笑みを浮かべる。


「そういう問題?もう帰ろ、マネージャー呼ぼうか?」


「だめ!まだ私の蒼に染まった魂が、来世の私に叫びたがってるの!」


 意味不明な発言の後、亜弥華は急に何かを感じ取った様に自分の周りをくんくんと嗅ぎ始めた。


「ちょっと、どうしたの?ついに頭おかしくなった?」


がする」


 そう言いながら亜弥華は辺りを見渡す。


「さっきからこーちゃんの香りがぷんぷんする。ここのどこかにもしかしたらこーちゃんを知る人間かあるいはこーちゃんと寝た女がいるか……しかも一人じゃない……」


「え?あんた何言ってんの?まぢでダメな薬飲んだんじゃないでしょうね」


「こーちゃんと寝た女……は!いや!こーちゃんが私以外の女と!私以外の女と!そんな!!いやーーーー!!!」


 亜弥華はそう叫ぶと、自身の発言にショックを受け白眼を向いて朦朧としだした。

 虚ろな意識の中、友人に介抱され千鳥足で店を出ていく。


 その後を追うように、若い金髪女性が店を出たとこは誰も気づいていなかった。



 ******



 同時刻

 とある居酒屋の一席


「おい!責任とれよ!」


 珍しく苛ついた口調で、持参した小型のカメラ数台を机の上に置く男性。

 孝太郎である。


「いやぁ~ごめんね~」


 本気で怒っている孝太郎に対して、てへぺろで平謝りする女性。

 莉歌である。


「ふざけんな!お前のせいで大変だったんだぞ!」


「二階のマッサージ機でほぐされながら会話は全部盗聴してたから話さなくても大丈夫。最後は上手くまとまったから良かったじゃない」


「そう言う問題じゃない!なに考えてるんだ!」


「私からのキスを断った罰」


 孝太郎は声を荒らげて莉歌を責め立てるが、莉歌はなんら悪ぶれる様子もなく、彼が回収したカメラを持参した鞄にしまった。

 いつもならベルが仲裁に入るのだが、今日は別の用件があるとしていない。


「そんな怖い顔しないで」


 おどける莉歌にますます腹が立つ。


「私が考えてるのは、孝太郎君の仕事が上手くいくようにってだけ。これもその一つよ」


「意味がわからん」


 本当に莉歌の考えがわからず、苛ついた態度でしか対応できない。


「ん?確かにお願いしたのは私だよ。カメラスタンバイして盗撮よろって。でもさ、実際に仕掛けたのは誰だっけ?実行犯は誰かな~?見つかったら重罪だよ~?私が何言ってるか、知識のある孝太郎君ならわかるよね?」


 挑発するようにほくそ笑む莉歌に何も言い返せない。


「ほんとに意味があることなのか?」


「うん。多分ね」


 意味ありげな台詞と共に、季節外れの熱燗をすする。


「で、今週だっけ?篠原さんに報告するのって」


「うん。私が抱えてる案件と一緒にこっちも報告しとくよ」


「こっち以外にも抱えてるのか?」


「女同士の尊い恋愛に残酷なメスを入れ始めたところ」


 その案件が気に入らないのか、莉歌には珍しく皮肉混じりの表現だった。


「無茶はするなよ」


「大丈夫。むしろ調べれば調べるほど付き合ってるかも微妙になってきたから、案外何もせずに終わるかもだし……あんまり深入りするのは……」


 歯切れの悪い莉歌の言葉に違和感を感じたものの、それが何なのか聞くことができない。


「それと」


 そう続ける莉歌の声色には、確かにいつもと違う違和感があった。


。ほんとは私も相手の男に接触して双方から崩したいけど、今回はできなくてごめんね。一人で大変だと思うけど、頑張って」


 莉歌はにっこり微笑むと、それ以上孝太郎の案件に触れることはなかった。


「力になれなくて、ごめんなさい」


 演技なのか、本音なのか。

 莉歌に感じた違和感の正体がわからないまま、孝太郎は黙って彼女を見つめていた。


 ******


 同時刻

 彩音のマンション


 何がそうなったのか。

 何が引き金だったのか。


 突然の出来事に彩音は腫れ上がった頬を抑えながら近くにあった自身の財布とスマートフォンを手に取ると、リビングから走り去った。

 優真と同じ空間にいることが胸をきつく、きつく締め付ける。

 ただ逃げることだけを考えていた。

 彩音の背後からは、引き留める叫びも追ってくる足音もしない。

 裸足のまま、無我夢中で家を飛び出した。


 ドアを背に呼吸を整える。


 気持ちが落ち着いたところで、靴を取りに入ろうとドアノブに手を掛けた。

 と同時に何かがドアの内側に当たって割れる音。

 直感で優真が何かを投げたんだと察し、ドアノブに手を掛けたまま物音一つ立てずじっとするしかできない。

 恐怖で血の気が引き、足が勝手に震え始める。


「千夏……もう嫌だよ、こんなの……」


 彩音の口から出た弱音。

 それは彼女の本音以外の何物でもなかった。

 ドアノブからそっと手を離し、少し後退りして泣き崩れる。

 頭を抱え込み髪をぐしゃぐしゃに握っても、彼女の心の苦痛と比べれば、とるに足らない痛みだった。


「……助けて……千夏」


 夏の夜半のひんやりとした空気に、圧し殺した悲壮な嗚咽がこだまする。







 静かにドアが開く。

 部屋の明かりが無機質なコンクリートにきれいな縦筋を描いた。


 そこから現れた人影が、震える彩音をそっと抱きしめる。

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