第52話 「黙れ。鷲鼻プロテーゼブス」


 ビアガーデン当日。


 業者によって設置された仮設のビアガーデン施設は華やかなイルミネーションで彩られめでたく初日を迎えた。

 広告宣伝費に極力経費をかけなかったため、告知や宣伝はほとんどが常連さんの口コミや手作りのビラ、ポスターだったのだが、それでも普段以上の賑わいを見せていた。

 もちろんティシャツの宣伝効果の多少なりともあったのだろう。


 いざ始まってみると、やはり既成の従業員だけでは困難で、湊心の手配した派遣従業員が大いに活躍した。

 もちろんホテル側である程度経験のある派遣従業員だったので、活躍するのは当然である。


 同じく、各露天風呂で開催されているドリンクガーデンも大いに賑わった。


 孝太郎と千夏は岩盤浴を担当しているので、営業中に浴場へ立ち入ることは滅多にない。

 だが、本日より数日に限ってはドリンクガーデンのフォローとして勤務していた。

 というよりも、彩音に強制的に扱き使われていたといった方が正しいかもしれない。


 ドリンクガーデンではかき氷とミネラルウォーターや緑茶が振舞われた。

 少ない種類だが、保健所の指導には逆らえない。

 湯船に入ってしまうと面倒なので、飲み歩きは厳禁。

 露天風呂の一角に設けられたテーブルチェアーで楽しんでもらう。


 当初懸念されてような問題も起こらず、無事に初日を終えた。


「始まってしまえばあっという間やし」


 湊心が初日に言っていたことは現実となり、念には念を入れて作成した行動計画とマニュアルのお陰で、また各々従業員の協力もあり、無事に最終日を迎えることとなった。


 ***


「湊心、どうしよう。緊張してきた」


 テレビ取材の時間が近づくにつれ、普段はテンションの高い千夏もさすがに口数が少なくなっていた。

 口数が少ないといっても、そわそわして相変わらずテンションは高い。

 湊心には、千夏のどこが緊張しているのかさっぱりわからなかった。


「大丈夫だって。千夏は何も喋らんと、ただ私の横でにこにこしとけばええだけやから」


「いや、ダメだろ。なんか喋らせろよ」


「……」


「おい!無視すんな!」


 せっかくテレビに映るのだから、千夏だって何か喋りたかったのだろう。

 だが変なことを言われると困るので、彩音が打ち合わせの段階で全ての受け答えは湊心がすることにしていた。


「千夏、あんたは本当に綺麗やし、美形でスタイルもいいんやから。なんもせんでもそのままでええねん」


「湊心……」


「私の次にやけどな」


「おい、黙れ。鷲鼻プロテーゼブス、ゲス、ハゲ。脱毛ハゲ」


 いつもの聞き慣れた二人のやり取り。

『プロテーゼ』という文言に多少イラっとしたものの、そうやって湊心は千夏の緊張を解いていく。

 だが、千夏は全くそのことに気づかない。

 気づかないふりをしているだけかもしれないが。


「てか、私、ドキュン、ズッキュン、ボンキュッボン。以外なんも持ってへんし、そうゆうの」


「は?確かに体はいじってないけど、脱毛いってるだろ?」

 

「千夏、お前もそうやって私をいじめんのか?お前はジャイアンか?いつの間に私がのび太やねん」


「ちょっと、湊心、どうしたんだよ」


 本日の主役の二人がそんなやり取りをしている所へ、冷静さを装った彩音がテレビ取材班を連れてやってきた。


「高寿さん、千夏。お待たせしました。もうすぐ本番です」


「彩音!大変だ、湊心が壊れた!」


「大丈夫だ、彩音。だ」


「はい。なんですね。サンプリングはほどほどに……。でも、これから本番なんで抑えてください」


 彩音になにかを窘められ、湊心は我に戻ったのか恥ずかしそうに背を向けた。

 すかさず千夏は彩音を引っ張りこそこそ話を始める。


「(彩音、今日の湊心おかしくない?)」


「(なんかね、好きだったアイドルラップユニットが解散発表したらしくて。朝からずっとああなの)」


「(は?そんなんわかるわけないし)」


「(いつも最前列かいくぐって会いに行って毎夜、愛を叫んでたの知らない?けっこうショックが大きいらしい……)」


「(湊心はああ見えて一途だからな……)」


 気を取り直しテレビ用の顔を作る湊心を暖かく見守る彩音と千夏。

 湊心の新たな一面を発見した瞬間だった。


「ところでさ、彩音。明美見た?」


 ******


 時を同じくして、孝太郎はドリンクガーデンの備品を取りに事務所へ向かっていた。

 そろそろ彩音から連絡がある時間だと思っていたが、一向に連絡がない。

 しばらくすれば連絡があるだろう。

 そう思いながら事務所の扉を開けると、彩音の席に見たことのない女性が座っていた。

 勤め始めてからほとんどの従業員と面識を持つようになっていたが、この女性と出会うのは初めてだった。


 備品を取ろうと事務所に入ると、すぐに目が合ったので軽く会釈をする。

 が、女性の方は一切の関心を示さず一瞥するだけ。


 一見すると、まるでフランス人形に魂が吹き込まれたかのような日本人離れした顔立ちで高貴な印象を受けるが、見るからに態度がデカい。

 横一直線に切りそろえられた前髪。

 肩の辺りできれいにロールされた髪はこれでもかというほどピンクに染め上がっている。

 その髪の隙間から見える耳には無数のピアスが刺さり、爪は中世の魔女のように鋭く、緑や赤の塗装に意味不明な装飾が施されている。


『ギャル化したフランス人形』


 孝太郎が彼女に持った第一印象はそういうものだった。


『先輩どこにいるんですか?早く来てください』


 無線機から彩音の声が聞こえ、孝太郎は備品を抱えながら慌てて事務所を後にする。


 無線機から聞こえるその声に聞き覚えがあるかのように、フランスギャル人形は静かにクスクスと笑う。


 結局フランスギャル人形から目を合わすことも、会釈することもなかった。


 ******


 いつも以上に凛々しい顔つきであちこちに指示を飛ばす彩音。

 テレビ取材に関しても、つい先日言われたばかりなのに、既にある程度の段取りを把握し仕切っている。

 ここ数日、かつて『デキる新入社員』ともてはやされた彩音のスキルの高さが存分に発揮されていた。


「やば、緊張してきたわ」


 湊心はわざとらしく千夏に話しかけると、彼女の肩をぽんっと叩く。


「これとこれ。千夏が言って。いいよな、彩音」


 湊心はあらかじめ用意していた受け答えのメモ書きを千夏に手渡した。

 そして無言の威圧と共に、すぐに覚えろと化粧ばっちりの眼力で訴える。


「え!でも湊心が全部言うから千夏は黙ってろって」


「喋りたいんやろ?いらんのか?」


「お前って奴はほんとに…」


「緊張して早口姉ちゃんになんなよ」


 湊心のちょっとした気遣いに、千夏はうるうると瞳を滲ませた。

 その涙がイルミネーションの光を反射し、キラキラと輝きだす。


「いいんですか、高寿さん」


 予定が狂い慌てる彩音をよそに、湊心はゴリ押しで取材班やインタビュアーと話をつけた。


「まもなく本番です。中継つながる前に一回リハいきまーす」


 ディレクターらしき人物がそういった瞬間、落ち着き始めていた千夏がいきなり顔を真紅に染め上げ慌てふためきだした。


「え!ちょっと待って!これって生?生中継!?」


 彩音や湊心はもちろん、テレビ取材班の全員がびっくりしたような顔で一斉に千夏を凝視する。


「え、あ、うん。そだよ」


「おいおい、今更お前は何言ってねん」


 千夏の天然すぎる反応にその場に張り詰めていた空気が一気にほのぼのとしたものへと変わった。

 彩音は千夏に同調しテンパり始め、湊心は腹を抱えて笑いを堪えている。


「えー!千夏はテレビ取材ってだけで生だなんて聞いてないよ!失敗できないし!無理無理喋れない!」


 千夏のわたわたする反応に、その場にいた全員が笑いを堪えるのに必死だった。


「湊心、お願い。千夏は黙って頷いとくだけでいいからさ」


「そんだけ喋ってたら大丈夫やろ」


「うっせーブス!鼻とホクロいじる前にその性格直せ!」


「彩音、問題ないし進めてもらって」


 千夏の訴えと本気の悪口を聞き流し、湊心は彩音へ準備完了の合図を出す。


「てめぇ、ハメやがったな!」


 だが、それで逃げ出す千夏ではない。

 覚悟を決め、深く深呼吸をし、すっと姿勢を正しテレビ用の顔を作った。


 逆に涙目の千夏の訴えに、完璧にテンパって躊躇してしまう彩音。

 本番の時間が迫り、インタビューされる訳でもカメラに映る訳でもないのに一番緊張していた。


「え、あ、あ、じゃ、お願いします」


 彩音は挙動不審なまま、ディレクターへ合図を出す。


「すいませーん。時間ないんでこのまま中継つなぎまーす」


 さすがにこれには湊心も焦ったようで、お前のせいだとばかりに千夏を睨みつけた。

 ざまあみろと言いたげなドヤ顔の千夏。

 関係ないのに手汗をかき、しきりにシャツで拭く彩音。


「いきまーす。五秒前…三…二……」


 カウントダウンと共に緊張と興奮で真っ赤に染まった千夏の顔から血の気が引き、どんどん白くなっていく。

 照明に照らされ、きれいに輝く白い素肌。

 透き通るようなその肌に夏の夕暮れという情景が重なって、千夏の妖艶さは一際異質なものとして存在感を示した。


 そんな千夏を見て、彩音は感動し涙が溢れてくる。


 いつも側にいてくてる。

 いつも側で自分を支えてくれる。

 いつも側で自分の味方をしてくれる。


「いつもありがとう、千夏」


 小さく呟いたその声は、夏の賑わいに消えていった。

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