第49話 「好きでも好きって言えないことだってあるんです!」
「あ、彩音?なんでここに」
ホテル側の用件でここまで来た湊心は、まさか彩音と出くわすとは思ってもいなかった。
それは彩音も同じで、びっくりして涙が止まってしまう。
「高寿さん……、私……」
「彩音、ごめん。何から話したら……聞いてもらえるかわからんけど、ほんとにごめん」
湊心の口から出た「ごめん」という言葉に、止まったはずの涙が再び頬を伝う。
必死で我慢しようとするが、自分の意思に反して溢れ出してくる。
湊心は彩音と対峙することに若干の震えを感じながらも、そっとしゃがみこんで彼女を優しく抱きかかえた。
そして、語り掛けるように自身の気持ちを包み隠さず話し始める。
自分と孝太郎の間にはほんとに何もないこと。
孝太郎に自分達の仲が悪くなった原因を話したこと。
彩音は口を挟むことなく、鼻をすすりながら、時折頷き黙って聞いていた。
「彩音、私のことを許してくれだなんて言わない。全部私が悪いんだ。ほんと、ごめんなさい」
普段なら絶対に漏らすことのない湊心の本音。
それを否定する様に、彩音は首を横に振る。
「謝らないでください。高寿さんは何も悪くないです。確かになされたことは腹が立ちました。最低だと思いました。ですが、その事で私が謝られる理由なんてないです。私の方こそ取り乱してすいませんでした」
「えっ?」
彩音に謝罪される意味が分からず、湊心は目を見開く。
「えっ?」
それに呼応するかのように、彩音も言葉に詰まる。
「いやいや、謝るよ。だって彩音は孝太郎の事が好きなんやろ?私が孝太郎にちょっかいかけて一緒に風呂入ったから取り乱したり怒ったり……ちゃうん?」
湊心は困惑しながら、じっと彩音を覗き込んだ。
と、同時に彩音はこれでもかと口や手をあわあわさせ、顔を真っ赤に染めた。
「な、なな、何を言ってるんですか!」
「見てりゃわかるわ。図星やろ?」
「だ、だって私はですね、ほら、高寿さんだって彼氏の事知ってるでしょ!」
湊心はとっさに右手を突き出し、彩音のこめかみ付近をアイアンクローできつく握りしめた。
彩音は痛い痛いと叫び散らし、湊心の腕を掴むが彼女は決して離そうとはしない。
「はっきりしろ!そろそろ目を覚ませ!」
「いたたた、何の事ですか!高寿さんだって伊藤さんの事がいいって言ってたでしょ!」
「それは面白いからちょっかい出してただけで、男としては見てへん!私だってまさか混浴の誘いに乗っかってくるなんて思いもせんかったわ!てか、私の事はこの際どうでもええねん」
実際は孝太郎が乗っかったのではなく、湊心が強引に混浴を断りにくい雰囲気に持ち込んだだけである。
湊心はその事実に後ろめたさを感じたのか、アイアンクローに力を込めた。
「痛いー!痛いですって!離してください!」
「あかん!本心を言え!お前を殴るようなろくでもない奴より、もっと好きになるべき奴が近くにおるやろ!」
湊心が熱くなるにつれ、アイアンクローにも力が入る。
「孝太郎の事をいつも考えてます。一緒にいるとドキドキします。声を聴くだけで嬉しくなります。側にいるだけで楽しくて、目で追いかけてしまいます。私は孝太郎が好きです。大好きです。って言えばええねん」
「それって高寿さんの気持ちじゃないんですか?痛い!痛いですって」
その言葉が癇に障ったようで湊心はますますアイアンクローを締め付け、さらに掴んでいなかった方の手もアイアンクローをしている手に添え加勢させた。
まるで孫悟空の頭を締め付ける
「やめてください!それに高寿さんは私のこと何にも知らないでしょう!」
ついに堪忍袋の緒が切れたのか、彩音が怒りだした。
「確かに何にも知らん。でも知らんからこそ言えることもあるんや。じゃあ彩音、お前は朝倉彩音のことどこまで知っとんねん?」
「えっ?」
「私に何も知らないってんなら教えてみろよ!朝倉彩音のことをさ!朝倉彩音が何に苦しんで、何を求めてるかをよ!」
「わ、私は……」
「ほら!早く言えよ!」
怒りに任せて勢いよく湊心に歯向かったものの、瞬殺で言いくるめられてしまった。
自分のことを相手に百パーセント理解してもらう。
それは誰にとっても本来難しいことであるが、自分の気持ちに蓋をする彩音にとっては尚更難しいことだった。
彩音は体を激しく揺らしながら必死で逃げようとするが、湊心は決して彩音を逃がさない。
湊心はついに彩音をアイアンクローのまま床に抑えつけ、マウントポジションをとった。
「彩音はな、矛盾してるんや」
湊心は彩音に合わせて体を揺らしながら、声を荒らげる。
「彼氏が、彼氏がって言いながら孝太郎の事になるとムキになる」
この状況から逃げようと足をバタバタさせ必死にもがくが、その度に湊心はアイアンクローに体重をかけてくる。
「どういう育てられ方したら、こういう風に育つねん」
その瞬間、さっきまで痛みに悶え逃げようとしていた彩音の動きがピタッと止まった。
言葉の暴力という目には見えない銃の引き金に静かに指を添える湊心。
そして、わざと皮肉に満ちた声でその引き金を引いた。
「ほんと、親の顔が見てみたいわ」
その言葉を皮切りに、湊心の腕を掴む彩音の手に力が入り、再び激しく体が動き出す。
湊心は再び悶えだした彩音の動きを抑えるのに必死で、アイアンクローに上手く力が入らない。
「私の両親の事なんか関係ないでしょ!なんで高寿さんにそんなこと言わなきゃならないんですか!」
怒りのスイッチの入った彩音は、はっきりとした口調で湊心に言い返した。
両親の話題を出せば、苛ついて言い返してくる。
そう考えた湊心の読みは功を奏したが、予想以上に彩音の反撃は激しかった。
「彩音の本心が知りたいねん!孝太郎の事が好きなんやろ!」
「言いません!絶対に言いません!好きでも好きって言えないことだってあるんです!」
必死に反論するが、うっかり心の声が漏れたことに気づかない彩音。
「はよ言えや!私だって彩音の上に乗ってずっとアイアンクローしてるのきついんや!」
「だったらさっさと離したらいいじゃないですか!」
「この頑固バカ!口が堅いんと自分の気持ちに嘘つくんは違うんや!」
「だから好きでもそんなこと言えるわけないって言ってるでしょ!だって私には彼氏が!」
「彼氏が彼氏がうっとおしいねん!誰かが誰かを好きになるのは自然なことなんや!恋人がおってもな!」
「──ちょっと、高寿?あんた何してんの?」
場違いに落ち着いた声が二人の動きを止めた。
湊心が慌てて振り返ると、その声の主は絶えず湊心に軽蔑の視線を送っている。
その瞬間湊心の手が緩み、ついにアイアンクローの痛みと湊心の重みから逃げることができた。
彩音の顔には湊心の指の跡がくっきりと残っている。
「あらあら、かわいい顔が台無し。しかもこんなに泣かして」
「こ、これには深い訳がやな。それに元から泣いてたし」
泣きじゃくる女性に股がり、アイアンクローで抑えつける女性。
その絵だけ見れば、完全に湊心が悪者だ。
「それよりもうすぐ会議でしょ?そちらの女性も参加組?」
「そやな、せっかくやし彩音も……って」
そこで始めて湊心は根本的な問いに対面する。
「なんで彩音ここにおるん?」
遅すぎるその問いかけに、彩音は呼吸を乱しながら恥ずかしそうに答えた。
「え、そ、その、ビアガーデンを中止してもらえないかと相談に」
「は?お前何言うて……あ、私のせいか。ごめん」
「いえ、でも高寿さんに色々助けてもらってることわかったので」
お互いぺこぺこと頭を下げ自分が悪いんだと謝るが、話は平行線で全くまとまらない。
「あーバレたか。で、私もわかったことあるねん。『好きでも言えない』『好きでもそんなこと言えるわけない』って彩音言ったやろ?」
自分の言った言葉を思い出し、途端に顔が真っ赤になる。
慌てて湊心の口を塞ごうとするが、それより先に湊心は立ち上がり乱れた髪を整えながら呟いた。
「それって、単純に『好き』ってことやんな?」
真っ赤な顔を隠しながら湊心と同じように髪を整えようとするが、動揺を隠せずくしゃくしゃになってしまう。
「ねぇ、なんのことかわかりませんが後にしてくださいます?」
湊心の知り合い女性が二人の間に割り込んで来た。
「それにあなたが『彩音』さん?なら、ビアガーデンの責任者として取材の件はまとまったんですか?」
「取材!?」
彩音はなんの話か分からず、声が裏返ってしまう。
「え?彩音、明美から何にも聞いとらんの?てか、明美は?」
「明美は来ません。先に行きますよ」
そういうと女性は静かな顔で、三宅支配人の部屋へと入っていった。
湊心はそっと彩音に手を差し伸べ、彩音はその手に掴まりゆっくりと立ち上がる。
「彩音。遅くなったけど、私、ずっと彩音に言いたかったことがあるねん」
急に真剣な顔をする湊心に、何も聞かず黙って頷く。
握ったままの手に力が入り、緊張しているのが伝わってくる。
「彩音が私の反対を押しきって付き合うって決めた時。私の意見ばっかりで、彩音の気持ちを尊重してあげられなくてごめん。彩音が自分で決めたことなら、私が口を挟む資格なんてないのに」
今まで聞いたことのない湊心の弱く震えた声。
「でも私は今でも反対してるから。別れてほしいって思ってる。彩音には幸せになってほしいから。……守ってあげられなくて、ちゃんと向き合ってあげれなくて、ごめん」
「高寿さん……」
溢れ出した思いが湊心の瞳からボロボロと流れ落ちる。
想いのこもったその言葉だけで、彩音には彼女が何を伝えたいのかすぐに分かった。
「私のせいでこうなったのに、守ってあげられなくて、ほんとに、ほんとに……私のせいで……」
高寿さんは悪くない。
自分にだって責任がある。
だからそんなことは言わないで欲しい。
それを伝えたいのに言葉が詰まって出てこない。
「私の方こそ、ごめんなさい……だから、そんな風に自分を責めないでください」
見たことがない湊心の泣き顔に釣られて泣いてしまった。
お互いくしゃくしゃの泣き顔でにこりと微笑み合う。
どちらともなく握った手を強く、強く握り返す。
彩音が湊心の泣き顔を見たのは、後にも先にもこれが最後だった。
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