第43話 「だから私は、孝太郎が好き」

 湊心の突然の『一緒にお風呂入ろう』発言に、孝太郎は苦笑いするのがやっとだった。

 だが、湊心に冗談を言っている雰囲気はなく、彼女にとって都合の良い返事が返ってくることを期待し微笑んでいる。


「だめでしょ!なに考えてるんですか?」


 真面目に拒否したはずなのに、湊心はクスクスと不敵な笑みを浮かべている。

 その澄んだ瞳に危機感を感じ、慌てて身構えた。


「孝太郎と一緒にお風呂に入りたいなぁ……いいの?ダメなの?」


 唖然とする孝太郎をよそに、それまで対面で座っていた湊心は椅子から立ち上がると、ゆっくりと孝太郎の隣へ歩き出した。

 そしていつもと違い、少し甘ったるい口調で話し出す。


「別々に入ったらさ、万が一何かあった時に呼びに行けへんやん?」


 孝太郎の隣の席に座るや否や、彼の方へ体を向けすらりとした足をわざとらしく組んでは、孝太郎の足にツンツンとぶつけた。

 ツンツン、ツンツンとまるで催眠術のようにリズムよく小突き続ける。


「それに、私が入ってる時に私物とか着替えとか物色されたら嫌やし。覗かれるのはまぁ許すけどさ。男ってさ、そーゆーの好きやん?パンチラとか盗撮とか。孝太郎もそーゆーの好きなんやろ?」


「しませんて」


 言葉少なに不快な感情を表したが、逆にそれが湊心の興味をひいてしまう。

 おちょくるかのように何度もツンツンと足を当てては、孝太郎が困った顔をする度に嬉しそうな笑みをこぼしていた。


「どれを?孝太郎はどれをせーへんのかなぁ?」


「全部です」


「あ、わかった!孝太郎は女に興味ないんや!じゃあ一緒に入ってもなんも変な気ぃ起こらんやん!それでも拒否するって、もしかして私に気があるん?私の裸見ちゃったらドキドキしちゃう?」


「しません」


 湊心を落ち着かせようときっぱりと冷静に拒否した。

 それでもからかってくるかと思われたが、突き放すようなあっさりとした孝太郎の返答に湊心は意外にもがくっと肩を落とす。

 孝太郎ならもっとセンスの良い、彼女好みのアンサーをしてくれると思ったからだ。


「即答は傷つく」


 そう言いつつも、相変わらずじっと孝太郎を見つめ足をツンツンし、嬉しそうに頬を緩ませている。

 孝太郎としては、うっとおしく感じたものの、千夏のように積極的にボディタッチをされないだけ気が楽だった。


「まぁ、その気持ちは認める。でも認めた上でそのハート射止める」


 湊心は片手をピストルのように構え、バンっと打つ真似をする。


「射止められません」


 またしても期待していた答えでなかったのか。

 それとも孝太郎にエアピストルを無視されたのがショックだったのか。

 湊心はほんの一瞬言葉に詰まる。


「そんなんじゃ、やだ」


 急に不貞腐れたぶりっ子のように頬を膨らます湊心。


「つまらん」


 湊心は改めてぽそっと不満を漏らすと、何かを期待するようにちらっと孝太郎を覗きこんだ。

 その期待の眼差しの意味を理解したのか、しぶしぶ思いつくままに返した。


「臆病な僕が総統の高寿さんを好きだとか、変な噂広められたら相当困りますから」


「放蕩的な色気をかぐわすこの私に惚れないの?孝太郎の目は節穴か?」


「妄想癖な色気のサキュバスには惚れません。それに僕が高寿さんを好きなんて噂広まった瞬間、高寿さんを仕留めて身の振り方考えます」


素人ドーシロがどうしようがどう死のうが、私には関係ねぇけどな」


 けたけたと肩を揺らして笑う湊心。

 普段のがさつな感じから一転、その笑い方は女性らしく新鮮で、普段の彼女とのギャップで『高寿湊心』という女性がとても魅力的に映った。


「ほんと面白いな、孝太郎は。期待通りに踏んで返してくれる」


「湊心さんがそーゆー視線を送ってくるからです」


「好き」


 脈絡なく飛び出したその言葉に、孝太郎はびっくりしたのか声がでなかった。

 急に真剣な眼差しを向けてくる湊心に苦笑いすらできない。


「私は孝太郎のそーゆーところが好き」


「あ、ありがとうございます」


「だから私は、孝太郎が好き」


 からかっているのか。

 それとも、本気なのか。

 湊心の本心がわからない以上、無難にしか答えられない。


「……でもな、私知ってるねん」


 髪をかきあげながら足を組み替え、また孝太郎の足をつつき始めた。


「千夏から出された条件。飲んだんやろ?」


 ふいに湊心の口から千夏の名前が飛び出す。


「千夏とトイレに籠ったことも、そこで何を話して、千夏と何をしたのかも。私は全部知ってる」


 以前、直海との一件で孝太郎は千夏にトイレに軟禁されたことがあった。

 そこで千夏に一喝され、二人はそのあと彩音にぶちギレられた。

 だが、トイレで二人に何があったのかは誰にも言っていない。

 千夏と二人だけの秘密だと思っていたことが、なぜか湊心にバレている。

 話が急に変わったことと、千夏との話題がでたこと。

 その焦りと緊張で、孝太郎の全身から一気に冷や汗が吹き出した。


「私がここに来た最初の日に『何か隠してる、怪しい』って詰め寄ったことあったやろ?あれそーゆー意味な。孝太郎のことは千夏から色々聞いてたから、なんか吐くかな思ったけど。孝太郎が口の固い男で良かったわ」


 素面なのに、まるで酒が入っているかのようにだんだんと話が長くなっていく。

 下手なことが言えるわけもなく、元より饒舌なトークに割り込む隙などなかった。

 コンタクトがごろつくのか、湊心は目をぎゅっと瞑りながら話を続ける。

 普段見せないその仕草さえも可愛いと思えてしまっていた。


「二人とも大人やし、何してたかは黙っといたるけどさ。んで、千夏から頼まれてるんやろ?私と彩音が仲直りできるようにって。別に喧嘩してるわけでもないんやけど。まぁ、私も彩音といつまでも本音でしゃべれへんのは嫌やし」


 湊心はゆっくりと立ち上がり、気持ち良さそうに背伸びをした。

 そして孝太郎の背後に立つと、彼の耳元に顔を近づける。


「だから教えてあげる」


 ふと後ろを振り返ると、先程までとは少し雰囲気の違う、悲哀に満ちた湊心の顔があった。


「知りたくない?


 そう囁くと湊心は鼻唄を歌いながらロッカールームの方へと歩きだす。


「ビートもクソもねぇーから聞きな~♪」


 湊心の上機嫌な歌声が静かな休憩室に響く。

 だが、声色はどことなく悲しげで全くリズムに乗れていなかった。


 そして湊心の背中を目で追いながら、孝太郎は思案に耽っていた。

 これは孝太郎にとって彩音の抱えている悩みを知れるまたとないチャンスである。

 彩音の弱い部分を知ることによって彼女の心に踏み入ることができるかもしれない。

 それにより確実に彼女の心をがっちりと掴めるに違いない。

 実際、莉歌から十一月という期限が告げられた今、孝太郎の中では少なからず焦りの色が見え始めていた。

 しかし、その為に、彩音の秘密を知るために湊心と風呂に入るのは正しい選択なのだろうか。

 もしこのことを彩音が知ったらどう思うのだろうか。

 そもそも一緒に風呂に入る必要などあるのだろうか。

 トイレでの出来事を、千夏は湊心にいったいどこまで話したのだろうか。

 様々な考えが孝太郎の頭をよぎり、眠気と疲労も重なり、もはや考えることすら億劫になっていた。


 時計の秒針がコツコツと単調なリズムを奏でる。

 時刻は深夜三時半。

 彩音が孝太郎に居残りの依頼をしてから、既に十二時間が経っていた。

 ふと、その時の彩音の顔が脳裏に浮かぶ。


「──先輩、あ、あのですね。その、お願いがあるのですけれども──」


 もごもごと何か言いにくそうにしながらもまっすぐに孝太郎を見つめるキラキラした瞳。


 ──可愛かったな、あの彩音


 そんなことを考えている最中、ロッカールームの方から浮わついた声が飛んできた。


「孝太郎ー。先に浸かっといてー」


「え、いや、それは」


「聞こえたー?返事はー?」


 この状況で湊心が納得する返事など、一つしかなかった。



 ******



『ミルキー風呂』


 その名の通り、乳白色のお湯のお風呂である。

 かといって牛乳や着色料で白くなっているわけではなく、加圧溶解させた大量の空気を浴槽内に放出し、ミクロの微細気泡が浴槽内で発生しているため白く見える。

 つまりは『細かな泡』で真っ白になっているのである。

 しかもこのクリーミーなお湯は酸素を多く含んでいるため、皮膚呼吸を促進し、保温やモイスチャー効果が期待できる。

 さらに湯面付近にはマイナスイオンが大量発生し、リラクゼーション効果もある……らしい。

 また、常時『細かな泡』が放出されているため、マイクロバブルの優しく強いバイブレーションにより毛穴の奥の老廃物を取り除き、お肌の新陳代謝を促す効果もある。

 要は『浸かれば肌がすべすべになる風呂』ということである。



 そんな「ミルキー風呂」に浸かり、のほほんと天を仰ぐ孝太郎。

 湯船に浸かっているため、肩から下は『白色』以外何も見えない。

 異性と一緒の湯船に浸かるのに、これほどまでに警戒することなどあるのだろうか。

 今から起こる未知の体験に怯える心を奮い立たせながら、その時を待っていた。

 と、出入口の引き戸が開く音が聞こえ、慌てて目を両手で隠す。

 湊心が浴場を歩いているであろう足音が聞こえた。


 チャポンッ


 おそらく浸かったであろう音が鼓膜に響いた。

 だが、その音だけではよくわからない。

 孝太郎はあり得ない状況に興奮するよりも、真剣に警戒して身構えてしまっていた。


「ちゃんと浸かってるし。そんな風にされるとこっちが緊張してまうやろ」


 目を開くと、真向かいに湊心が浸かっている。

 胸までちゃんと浸かっていたが、孝太郎は湯面に浮かぶ湊心の胸に目が釘付けになった。

 彩音や千夏と比べればたしかに大きめの胸ではあるが、孝太郎が見たのは大きさのためではない。

 湊心の胸にも、何かの事故でできたような『アザ』があったからだ。


「そんなにまじまじと見ちゃやだ」


 照れ隠しなのか、ぶりっ子のようなセリフを吐く。


「この傷のせいで、私は物心ついた時から人前で脱ぐんが怖いねん。他人の目が怖いし、それは今でも変わらん。やし銭湯とかプールとか、大人になってから行ったことないねん。やから今、すんごい幸せ」


 湊心は胸のアザを触りながらあっけらかんと笑い飛ばす。

 だが、心から笑ってるようには見えなかった。


「私ん家は父親が暴力を振るう奴でさ。そんときに受けた傷がちゃんと治らんくて……。そんなやから彩音のことが余計気になるんかもしれんけど。まぁ、私のことは興味ないか」


「いえ、そんなことはないです。それにどうして僕の前で……」


「人前で見せたくないこの傷を孝太郎には見せたかって?それは孝太郎が好きやからや」


「ありがとうございます」


「好きな人には、自分の全部を知って欲しい、全部を晒したいって思うやろ?」


「そうなんですかね?」


 他人事のような気の抜けた孝太郎の返事に、湊心はやれやれといった感じで首を左右に振り、わざとらしくため息をついた。


「孝太郎ってほんま鈍感やな。千夏が言ってた通りやわ」

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