台風の夜はサキュバス襲来!?

第42話 「孝太郎、お風呂入らへん?」

 ──数日前


「彩音。台風発生だって。もうそんなシーズンなんだね」


「千夏、新聞ばっか見てないで仕事して」


 ──三日前


「彩音!大変だ!ここ、台風の進路だって」


「大丈夫だよ、千夏。進路予報なんて当たんないって」


 ──二日前


「彩音!大変だ!台風が!」


「大丈夫だよ、千夏。きっと温帯低気圧になるって」


 ──一日前


「彩音!大変だ……彩音?」


「千夏ー!台風直撃かもー!どーしよー」


 ──本日


「彩音……」


「ヤバいヤバいヤバい!台風直撃だー!!」



 ******



 朝から一時間おきに台風情報を確認しては、落ち着きなく走り回る彩音。

 その後を千夏が追いかける。

 二人して未知との遭遇にてんやわんやしていた。

 もちろん千夏はテンパる彩音を見るのが面白くて追いかけていただけなのだが。


 そんな彼女達とは対照的に、こんな時に頼りになるがやはり湊心である。

 いたって冷静に状況を判断し助言するが、あくまでも指示は彩音にさせていた。


「仕方ないな。直撃は深夜みたいやし、とりあえず店は早めに閉店させよう。彩音、早めに明美に連絡して」


「はい、もう連絡しました。十時で閉店し、遅くとも十一時には従業員も完全退店させます」


「さすが彩音。やること早いな」


「ですが、一つ問題がありまして」


 言いづらそうに湊心を見上げる。


「本部より、何か被害があったときのために誰か残すようにと言われてます。明日の朝イチの被害確認を私がするように言われてるので、私以外の社員となると……」


「私が残るわ」


「いいんですか?高寿さん」


 湊心としてはある程度予測でき覚悟をしていたことなので、別段驚くようなことはなかったのだが、彩音としては社員とはいえ部外者である湊心に任せることに、彼女の中で許せないものがあった。

 湊心に対して申し訳ないという気持ちよりも、店舗を守るという責任を湊心に転嫁しているようで、自分自身に腹が立つ。

 湊心の判断が正解だと、頭でわかっていてもどこか納得できなかった。


「仕方ないやろ。でももし何かあった時に一人で対処できひんかもしれへんし」


「はい、なので千夏を」


「え!やだよ!千夏帰るって!」


 千夏は珍しく彩音に大きな声をあげる。

 彩音としては、千夏ならその状況を楽しんで残ってくれるかもと思っていたのだが、まさかの拒否反応にビックリしていた。

 さすがに千夏も家に帰りたいらしい。


「そうやな、千夏はこれでも女子やし。危険な目には合わせられへん」


「おい、湊心。これでもってどーゆー意味だよ」


「……」


「おい!無視すんな!」


 普段いじられ慣れていない千夏はやや本気で怒ったのだが、湊心はそれでも笑いをこらえて無視していた。


「彩音。孝太郎は?」


 そう言って、彩音の目をじっと覗きこむ。


「孝太郎に残ってもらっても構わんやろ?」


「伊藤さんに聞いてみないとわかりませんけど、でも、高寿さんと伊藤さんだと、その……」


「なに?私と孝太郎の間に何かあったら困るん?」


 湊心と孝太郎が一夜を二人きりで過ごす。

 あらぬ妄想が彩音の頭を巡り、それを意識しただけで、彼女の心はざわめきだした。

 そんなざわめき出した心を悟られぬよう、必死で平常心を保とうとするが、目が泳ぐ。


「い、いえ。あ、い、伊藤さんに聞いてみます」


 震える声でそう言い残して、彩音は事務所から出ていった。

 彩音が居なくなったのを確認すると、湊心は神妙な面持ちで千夏へ向き直る。


「千夏」


「なんだよ、改まって」


「例の話……孝太郎に言っても大丈夫だよな?」


 千夏はそれだけで何かを悟ったのか、黙って頷くだけだった。


 ******


 結果として孝太郎が残ることとなり、各位閉店作業と台風対策に全力を尽くすこととなった。

 特にビアガーデンを来週に控えているため、開催予定の駐車場や諸々の施設に被害が出ると最悪中止となりかねない。

 この企画は彩音の発案でエディシャン初の試みであり、誰もが成功することを願っていた。

 それゆえ、今回の台風で余計な被害が出ることはどうしても避けたかったのだ。

 そしてそれは部外者である湊心も同じ思いだった。

 かつての部下の思いを叶えてあげたい。

 言葉や態度には決して出さないが、彼女の中には確固たる決意があった。


 ******


 時計の針が垂直に重なり、日時の変更を告げる。

 他の従業員は早々に帰宅し、湊心と孝太郎は静まり返った店内を巡回しながらその時を待っていた。

 二人とも落ち着き払ってはいるが、どこかそわそわしている。


「いよいよやな」


「そうですね」


 予報では零時半に通過予定となっていた。

 時計の針が進むにつれ、次第に風が激しくなり、大粒の雨が打ち付けられる音が屋内にいても響く。

 ドンドンッバンバンッと風に煽られた何かと何かがぶつかる音がひっきりなしに聞こえてきた。

 その度に二人に緊張が走る。


「孝太郎、見に行くで」


 湊心は二階のバルコニーへ向かって階段を駆け上がり、その後を孝太郎が続く。

 ガラス越しに見える外の景色は真っ暗だが、ものすごい横殴りの雨風が吹いてるのがよくわかった。

 風が強く吹く度に、血飛沫のように雨粒が打ち付けられる。

 ガラス越しではなく実際に外がどうなっているか確認したかったのか、ふいに湊心がバルコニーのドアノブに手をかけ外に出ようとした。

 だが、孝太郎がその手を握り返し、外に出ようとする湊心に抵抗する。


「どけや!」


「だめですって!落ち着いてください」


 吹き荒れる雨風は様々なものを巻き上げながら徐々に弱まっていく。

 みるみるうちに風が止み、雨も肉眼ではわからないほどだったが、実際にはまだぱらぱらと降り続いていた。

 二人がバルコニーへ出て周辺地域を見渡すと、所々で救急車やパトカーのサイレンが聞こえるが特に大きな被害は無いようだ。

 外は雨が降り続いてるせいか、ひんやりと冷たかった。



「打ち合わせ通りマニュアルに沿って点検してきて。地震じゃないし破損箇所はないと思うけど、危険と思たら一人でしたらあかんで」


 湊心の指示で、事前に分担した箇所の被害確認を行った。

 彩音の用意したマニュアルを手に孝太郎は店内のあちこちを駆け回る。

 割り振られた確認作業を終え、孝太郎が休憩室に戻る頃には深夜二時を過ぎていた。


 疲れ果てた孝太郎は椅子に座るや否や机に倒れこんだ。

 特に目立った被害もなく、ほっとしたところで気が緩んだのだろう。

 その日一日の疲労とそれに対する眠気で意識が朦朧とし、ついにはまぶたが閉じるのを我慢できなかった。


 ******


 どれ程時間が経ち、どれ程寝ていただろうか。


「……たろう……孝太郎……」


 ふいに湊心の声が聞こえた。


「孝太郎、コーヒーでいい?」


「あ、ありがとうございます」


 ガシャンッ


 休憩室にある自販機から取り出された缶コーヒー。

 寝起きで朦朧としていたが、差し出された缶コーヒーを受けとると、孝太郎は一瞬で目が覚めた。

 いや、缶コーヒーを差し出した裂傷痕のある湊心の手を見て目が覚めたのだ。

 そして同時に安堵して一人で一息ついて眠っていた自分が恥ずかしくなった。


 見上げれば、そこには顔や服には無数の泥が付き全身雨に濡れた湊心がいた。

 未だ止まない雨に打たれたせいか寒さで小刻みに震え、手や腕には無数の擦り傷ができている。

 確かに孝太郎も疲れていたが、実際疲れているのは明らかに湊心の方だった。


 ***


 孝太郎が主に店内設備を確認していたのに対し、湊心は屋外を中心に点検して回っていた。

 小降りとはいえ冷たい雨風が容赦なく打ち付ける暗闇を、懐中電灯一つ持ってあちこち走り回る。

 飛散物が無数に転がり行く手を阻む。

 いつの間にかできた水溜まりに幾度となく足を突っ込む。

 暗がりの中、普段なら何でもない箇所で何度躓いて転んだかわからない。

 転んだ拍子に顔が泥水に突っ込むことすらあった。

 顔や服の泥、手のひらや腕の生々しい裂傷が彼女の実直さを物語る。

 彼女は寒さにも痛みにも耐え一人職責を全うしていたのだった。


 そしてその間、何も知らない孝太郎は一人すやすやと夢の中を漂う。


 湊心が休憩室に戻った時、孝太郎は机に倒れこみ寝息をたてていた。

 彼女だって休みたい。

 それでも無理に起こすことしなかった。

 孝太郎を気遣い自分のことは後回しにする。

 荒い性格ながら湊心が慕われる理由はそこにあった。


 ***


 孝太郎は慌てて席をたつと自らを奮い立たせた。


「なんや?どーしたん、急に」


「高寿さんがそんななのに僕だけ座ってるのは」


「はは、気にすんなって」


 そう言って椅子に座る湊心と孝太郎。

 孝太郎はすっかり湊心の人柄に魅了されていた。

 他人を魅了し騙すことが彼の本職なのに。


 それから各々点検箇所の報告をし、一段落ついたのは深夜三時手前だった。


 湊心の提案で、帰るのも大変なのでこのまま朝まで寝てしまおうと言う話になった。

 孝太郎もその方が楽だと考え、一度顔を洗おうと席を立つ。

 それを見て、湊心が思い出したかのように笑いだした。


「どうしたんですか?高寿さん」


「そうや!孝太郎、お風呂入らへん?」


「勝手に入っていいんですか?」


 孝太郎はごくまともな返事をしたつもりなのだが、湊心は意味がわからないといった感じで首をかしげた。

 が、何かを理解したのか目を見開き納得したように頷く。


「ごめん、私の言い方が悪かった」


 そう言うと机に身を乗り出し、普段人前では出さないような甘えた声で囁いた。


「ねぇ孝太郎、一緒にお風呂入らへん?」

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