孝太郎とお出かけ!?

第31話 「先輩。手、とか繋いでみます?」

「─元気出しなよ、彩音!失恋なんかに負けんな!」


 ──高寿さん……


「─私が守ってあげるから、彩音は安心して前に進みな!」


 ──高寿さん……


「───ごめん、彩音のこと見損なった。もう勝手にしな。あんたが誰と付き合おうがどうなろうが、私には関係ないから」


 ──高寿さんの、嘘つき!!守ってくれるって言ったのに!!


 ──でも、高寿さんの気持ちを裏切ったのは私で、決めたのは私で、悪いのは私で、悪いのは私で、悪いのは……





「んはっっ!」


 胸を刺す動悸と共に彩音は目を覚ました。

 目を大きく見開くと飛び込んでくる見慣れた天井が彼女の自我を再構築する。


「なんだ、夢か」


 昨日、千夏に言われたことが気がかりなのか変な夢を見てしまったようだ。

 楽しかったあの頃と、突き放されたあの時の言葉が、目覚めてからも頭から離れない。

 彩音が見たのはそんな夢だった。


 寝ぼけ眼を擦りながら時計を見ると、予定していた起床時間より少し早く起きてしまったようで、隣で寝ている彼氏を起こさないようにそっとベッドから這い出る。

 トイレを済まし、物音を立てないようにゆっくり静かに着替え始めた。


 机の上に置いた卓上鏡に映った自身の顔を見る。

 昨日殴られたのでほっぺにアザがないか気にしていたが、気にするほどのものでもなかった。


 ──よし!大丈夫!


 ゆっくりと髪をとかし、アイロンで軽くカールをつける。

 耳の上に細い三つ編みを数本作り、耳から後ろにかけて編み込みにしようとしたが上手くいかない。

 そこで後ろ髪で大きな緩い三つ編みを作り、端をサイドへ流し耳の後ろの方へ入れ込む。

 くるっと丸めたところを髪止めで固定。

 朝から面倒なことをしているが、女子が早起きしてここまでするのはそれ相応の理由があるのだ。


「あーちゃん、今日もお出かけ?」


 ベッドの方から声が聞こえる。

 声の主は小林優真。

 彩音の彼氏であり24歳のフリーター。

 知人に連れられた合コンで彩音と知り合い、それ以降、現在の形におさまっている。

 もともと彩音が住んでいた賃貸に転がるようにして同棲を始めた。

 生活費諸々は彩音が払っているので、事実上居候状態である。

 精神的に幼く、自身の感情を抑えることが苦手であるが、それでも許してくれる彩音に甘えきっている。


「あ、ごめん優君。起こしちゃった?」


 返事がない。


「職場の人達と買い物。千夏もいるよ。帰り遅くなるかも」


「昨日も千夏って言ってなかった?」


「うん!仲良しなんだよ」


「あっそ」


 彩音に背を向けて寝る優真。


「ま、男じゃなかったらいいんだけど」


「優君いるのに男の人と出かけるわけないじゃない」


 軽く身支度を済ませ、足早に家を出た。

 優真の機嫌が悪くなる前に、家を出た。



 ******



 足取り軽やかなお昼過ぎ。

 とある駅の改札から出て少し行ったところに何かを記念して設置された銅像がある。

 その銅像前で一人の可愛らしい女性が佇んでいた。

 待ち合わせ時間のだいぶまえから待ち人を待っている女性。

 彩音である。

 ほどけば肩を越えるであろう長くきれいな黒髪を後ろに大きく三つ編みしくるっと丸く纏めている。

 首もとにフリルのついた童貞殺しのような白いシャツにデニムのロングスカート。

 彼女の可愛らしさを引き立てるにはこれ以上ないチョイスだった。


 しばらくして彩音のもとに一人の男性が駆け寄ってきた。

 孝太郎である。


「はや!待たしてごめん!」


「いえ!私も今着いたとこなんです」


「絶対彩音より早く着くと思ってたのになぁ」


「あはは」


 ──私とお出かけしてください!


 なぜ、あんなことを言ってしまったのか。

 自問自答の末、自分の気持ちを確かめるという意味も込めて、孝太郎とほんとに出掛けることにしたのだった。


「知り合いがもうすぐ誕生日でして。その、プレゼントを買いにですね……」


 孝太郎は彩音のそれらしい口実が嘘だとわかっていても信じた。

 その内実は、彩音の気持ちを知り、彩音を惹き寄せられるなら、として快諾したに過ぎなかった。


 ひとまず繁華街へと二人は歩き出す。

 目的地を決めるでもなくぷらぷらと歩く。


 ──「彩音、手繋いでみる?」


 ふと、昨日の千夏の台詞を思い出す。


「先輩。手、とか繋いでみます?」


「え!ハズいよ!そーゆーのは彼氏とやりな」


「はは、ですね!」


 ──ですよねぇ……


 しかし次の瞬間、何かに腕を掴まれ、そのまま引っ張られた。

 引っ張られた腕はそのまま孝太郎の腋に挟まれ、ガッチリと腕で固定されている。


「腕組ならいいよ」


 とっさのことに気が動転している彩音に、孝太郎が笑いながら話しかける。


「人が多いからさ、離れないように。手繋ぐより腕組んだ方が……な!」


 何も言い返せず、何も伝えられず、それでも自分の耳が真っ赤に染まっていくのがわかる。

 はしゃぎ出した自分の鼓動がうるさくて、孝太郎の声がうまく聞き取れない。


 ──先輩のバカ!


「先輩、お腹減ってませんか?」


 恥ずかしさを押し隠しながら孝太郎を見上げる。


「減ってる」


「ですよね!実は行ってみたいところがあるんです!行ったことないんですけど、中華なので間違いはないと思います」


「中華!?」


 てっきりおしゃれな洋食の店かと思っていたが、まさかの中華というジャンルに孝太郎はびっくりする。

 しかし、そんな孝太郎のことなどお構いなしにぐいぐいとその腕を引っ張って歩いていく。


「確かに彩音は大学ん時もラーメン好きだったもんな」


「わざわざ中華専門店でラーメンなんて頼みません」


 くすくすと笑う彩音の笑顔に、孝太郎は声を出して笑いだした。


「ごめんごめん、なんか彩音とこんな風にしゃべるの久しぶり過ぎて」


 その笑った顔になにも言い返せない。

 孝太郎の顔がちゃんと見れない。

 代わりに、掴んだ腕をぎゅっと握りしめた。


 穏やかでほろ苦い空気に包まれながら、二人は歩調を合わせる。


「先輩、私と初めて会った日のこと覚えてますか?」


 なんの脈絡もなく唐突にそんなことを口にしたが、彩音にとっては大事な思い出で、一度孝太郎に聞いてみたいことだった。


「新歓だっけ?」


「違います」


 いきなりの間違いにほっぺを膨らませて孝太郎を見上げる。


「部室?」


「違います」


「コンビニ……とか?」


「全然違います。先輩、ふざけてるんですか?」


 少しご機嫌ななめといった顔で孝太郎を見つめる。

 困った表情がなんともいえず可愛い。

 そんな風に思いながら、孝太郎は彩音を見つめ返した。


「ごめん、ほんとに覚えてなくて」


 孝太郎に悪気はなく、本当に覚えていないだけだった。

 もしかすると覚えていたが、敢えて知らない振りをしたのかもしれない。


「彩音は覚えてる?」


「もちろんです。でも教えません」


「え!なんで!」


「次のデートまで秘密です」


「ははは!やっぱりデートなんだ、これ」


 お出かけと称していたが、つい自分の本音が口に出てしまう。

 思わず口から飛び出した言葉に自分でもびっくりし、口元をあわあわとさせる。

 そんな彩音の反応を見てクスッと笑いながら照れる孝太郎だったが、その表情とは裏腹に内心彩音のことを訝っていた。

 どこまで本気なのだろうか、と。


 極力孝太郎を意識しないように、目的のお店へと足を進める。

 途中、どこからか懐かしいメロディーが流れ込んできた。

 自然と二人の足が止まり、立ち止まったその先には一件のアイリッシュパブらしき店。

 昼間はやってないようだが、中から民族的で軽快なメロディーが流れている。


「あっ……この音楽」


 民族的な音楽に似た軽快なメロディーが耳障りな鼓動を掻き消してゆく。

 代わりに耳に響くのは、タイトルが思い出せない懐かしいあのメロディー。


「リバーダンス」


 孝太郎がそれとなく呟き、その声に無言で小さく頷く。


「懐かしいですね」


 絡んだ孝太郎の腕をぎゅっと握る。

 曲が盛りあがるにつれ、二人の記憶は同時にあの頃へと遡っていく。


「あの時の……先輩のフルートソロ!ほんとに感動的でした!」


「それ、ピッコロだったけどな。ソロは」


 孝太郎を見上げながら、当時を思い返し瞳を輝かせる。


 ステージの上でスポットライトに照らされ演奏していた孝太郎は、ほんとにきれいだった。


 演奏会本番。

 彩音は孝太郎のソロを雛壇の上から、綺麗だなと見とれていた。

 彩音の隣には当時孝太郎が付き合っていた彼女がいたが、彩音とは反対になんの感動の色も示すことなく、ただこれから演奏する譜面に目を落とし指を温めていた。

 光の眩しさ、ピッコロの旋律、ステージの匂い、叶わない想い。

 演奏とは違うリズムを奏でる自身の胸。

 あの時の思い出が全てさっきあった出来事のように、ありありと甦る。



 想い出を包み込むメロディーに、彩音はあの頃の自分を重ねていた。

 あの頃の自分に、今の自分を重ねていた。

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