第30話 「この子、早くしないと死んじゃうよ」
孝太郎の元を去った莉歌。
突然、彼女のスマホがけたたましく震えだした。
鞄からスマホを取り出すと、彼女が今一番話したくない相手の名前が表示されている。
仕方なく応答すると、相変わらずイラつく片言が聞こえてきた。
「莉歌に話があったのにいなくなるなんてズルいデス」
ベルである。
莉歌に話があり、カフェへ行ったが立ち去ったあとなので電話してきたのだろう。
「莉歌にはやってほしい仕事がまだまだたくさんあるんデス!」
「嫌よ。私は孝太郎の手伝いに専念しなきゃいけないの!」
ベルへ遠回しに且つ端的に断りの返事をする。
「莉歌……」
ベルの悲しそうな声が、スマホの向こうからため息と共に聞こえたかと思うと、急に声のトーンや口調が豹変した。
「孝太郎の案件からあんたを遠ざけようとしてんのがわかんない?そこまであんたバカじゃないでしょ?それに『朝倉彩音』って女。あれにあんたが関わるの、今回が初めてじゃないことぐらいとっくに気付いてるわよね?」
再びため息混じりの吐息が入る。
「それとも自分のやった過去のお仕事、忘れたんデスカ?」
再びイラつく片言で挑発的な言葉を口にするベル。
彼女に聞こえない程度に軽く舌打ちをし、目を閉じる。
「私、忙しいの」
一方的に電話を切った。
******
孝太郎がカフェを離れて数分後。
そのカフェから少し離れたところにあるオフィス街。
その一角に法律事務所や行政書士の看板を掲げたビルがある。
舞台はそのビルの五階。
『駒摘・諏江ヶ原共同法律事務所』
ドアをノックする受付担当の女性。
「どうぞ」
ドアの向こうから声が聞こえ、女性はドアを開け、一礼し中へ入る。
ドアを開けた先はこじんまりとした部屋になっており、壁には書棚がびっちりと並び、案件の名前が書かれたファイルが気持ちよく陳列されていた。
その書棚に囲まれるように机があり、一人の女性が椅子に腰掛け書類に目を通している。
「失礼します。『イトウ』と名乗る男性が先生に面会希望されているのですがいかがいたしましょうか?」
「今?」
驚きの余り、顔をあげる先生と呼ばれる女性。
「はい。ただいま受付にてお待ちいただいております。特にアポイントも無いのでお断りしてもよいのですが、どういたしますか?」
「そう……。申し訳ないんだけど、ここへ通してあげてくれない?あと、その人物が今日ここへ私を尋ねて来たことは内密にお願いしたいんだけど?」
「かしこまりました。ではお呼びいたします」
******
「ちょっと、孝太郎!用件があるならあらかじめ連絡してくれる?」
アポなしで現れたのは、孝太郎だった。
先生と呼ばれる女性は苛つきながら孝太郎に注意をするが、二人とも納得する気配を見せない。
「さっきの説明じゃ納得できないです。篠原さん、今回の件ほんとに僕じゃなきゃダメなんですか?」
「あら?失敗しそうなの?自信ない感じ?」
高飛車な態度の女性こそ、孝太郎の本来の雇用主。
篠原理恵である。
カフェで孝太郎に必要事項を書いたメモを渡した後、足早に立ち去ったが、孝太郎は納得がいかず追いかけてきたのだ。
「いえ、おそらく成功率は高いと思うのですが……」
「問題あるの?知り合いだから?それは問題ないんでしょ?大体のことは察しがつくわ。で、何が問題なの?」
理恵は間髪入れずに質問口調で理責めを貫く。
理恵がやっているのは『クローズドクエッション』
「イエス」か「ノー」で答えさせる質問方法。
「イエス」か「ノー」、どちらで質問に答えてもそこで話は終了する。
──やりたくない。
そう言い出せず、理恵の問いかけに沈黙するしかなかった。
「話はそれだけ?ならもう帰って。あなたみたいな素性のわからない人物とこそこそ会ってると知られたら後々面倒なのよ、私が。私の職場はあなたが気軽に足を踏み入れていいところじゃないの」
理恵はあからさまに不機嫌な態度で孝太郎を責め立てる。
そうやって責め立て追い詰めれば、孝太郎がトラウマから気分が悪くなるのを知っているからだ。
「あの時、あなたは私の人生に踏み込んだ。そうよね?確かにあなたは命の恩人よ。でもね、私に関わらなければ、あなたは私と他人のままでいれたの。お互いがお互いの人生に登場すらせずに済んだの。でもあなたは私との関わりを選んだ。ならそれはあなたの責任よ。それならせめて……」
「ならせめて!」
理恵の理責めの早口を、力を込めた孝太郎の言葉が遮る。
理恵はその言葉に決意めいた何かを感じつつ孝太郎をじっと睨み付けるが、孝太郎も臆することなく理恵を睨み返した。
「依頼の全貌を教えてください。だっておかしいじゃないですか!これまでだって必要事項は全部教えてくれたでしょ!なのにどうして今回はそれがないんですか!何か僕に知られたらまずいことでもあるんですか!」
そう言った直後、理恵の表情を見て唾を飲んだ。
見つめ合った理恵の瞳孔が、ほんの少し開いたのだ。
それは嘘をついているときの反応。
疚しいことがあるときの反応。
ポーカーフェイスは誤魔化せても、瞳孔の変化までは隠せない。
とっさにその事に気づいた理恵は、目を閉じ立ち上がった。
無言の威圧感。
本当は「これを最後にしたい」と言いたかったのだが、理恵の存在が怖くて口に出せない。
しばらく沈黙が続き、これ以上話しても進展がないと判断し踵を返し部屋を出ようとする。
その時、理恵がおもむろに口を開いた。
「朝倉彩音、二十六歳。そうよね?」
理恵は一歩も動かず、孝太郎を呼び止めるように叫んだ。
その名前が耳に入った瞬間、孝太郎の足が止まり、反対に今度は理恵がゆっくりと孝太郎に向かって歩きだす。
「じゃあこれは知ってるかしら?」
孝太郎の背中に理恵の冷たい声色が突き刺さる。
「確か彼女……依頼を受ける半年程前に一度深夜に救急搬送されてるの。検査結果は骨折。あばらに小さなヒビが入ってただけで大事には至ってない」
理恵は淡々と続ける。
「本人は転んだ時に痛み出して救急車を呼んでもらったって言ってたみたいだけど、ほんとかしら?実はその時、体のあちこちに打撲痕が確認できたそうよ……殴られなきゃできないような」
理恵の言葉に以前見た彩音の青アザを思い出し、その刹那、彼の脳裏を嫌な推測が飛び交う。
だが、答えは明白だった。
転んだのではない。
彼氏に殴られ、骨にヒビが入った。
それでも彼氏を庇い、それが今でも続いている。
答えは明白だった。
孝太郎の動揺を察した理恵は、自分はなんでも知っているとでも言わんばかりに彼の耳元で囁く。
「この子、早くしないと死んじゃうよ」
どこかで聞いたことのあるセリフ。
何に対してかわからない怒りが沸々と込み上げてくる。
孝太郎はギュッと拳を握りしめ、やり場のない怒りを抑えながらその場をあとにした。
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