実は暗い莉歌の過去!?

第29話 「──否定しねぇのかよ……」

 千夏と彩音が何の映画を観ようかとイチャついていた同時刻。


 とある雑居ビルの屋上。

 初々しい夏の訪れの空の下、今まさに、一人の男性が意中の女性に告白したところだった。


「……ごめんなさい」


 意を決して思いの丈を伝えた男性に、その女性は断りの返事をする。


「ほんとにごめんなさい。私、あなたの気持ちに答えられない」


「なんで!美咲ちゃん、僕のこと好きって言ってくれたよね」


「はい」


 美咲と言われたその女性は小さな声で、しかし、はっきりとした口調で返事をした。


「じゃあなんで!」


 自らの想いが伝わらなかったことへの疑念をぶつける男性。


「ダメなんです。私、あなたじゃダメなんです」


「だから何が!何がダメだって言うんですか!」


「……捨てられちゃうから」


「へ?」


「私を選ぶために、お付き合いしていた方を捨てたでしょ」


「な、なんでそれを……」


 美咲の口からでた真実に、男性はただたじろくのみ。


「怖いんです。私も捨てられたらどうしようって」


「捨てるわけないさ!僕はきっと美咲ちゃんを幸せにする!」


「ごめんなさい。もう、あなたを信じられないんです」


 美咲は流し目を送りながらゆっくりと男性に背を向ける。

 数歩進んでゆっくりと振り返り、見返り美人のような姿勢で男性へ流し目を送る。


「誰かを好きになるのはその人の勝手です。でも、好きになった人が自分のことを好きになってくれるなんて……」


 ──まったく、誰のことを言ってんだか。


 美咲は口ごもる。


「さようなら。もう会うこともないと思います」


 別れの言葉を置き土産に消えていく儚い後ろ姿。

 心に傷を負った男性は、その置き土産を噛み締めるように、ただ立ち尽くだけだった。



 ──よっしゃー!終わったー!!


 ******


 とあるカフェのオープンテラス


「だっるーー。疲れるわーー」


 1人の女性が椅子にだらんと座り込み、テーブルに寝そべっている。


「違う」


 突如首を持ち上げ、天を仰ぐ。


「疲れたわーー」


 先程まで『美咲ちゃん』と呼ばれていた女性は、自ら発した日本語の間違いを天に向かって言い正すと、再び寝そべった。

 職務を遂行し、可憐で純情な女性という演技から解放され、精魂尽き果てた様子。

 彼女こそ、鴻野山莉歌その人である。


「孝太郎君。とりあえずテキーラサンライズ頼んどいて」


「ない」


「マンハッタンは?」


「ない」


「ニューヨークは?ニコラシカは?」


「ない」


「何があんの?」


「水」


 ──そこはwaterだろ!真面目か!


「ここってオシャレなバーじゃないの?」


「バーじゃない。カフェ」


 冷たい目線を莉歌に落とす男性。

 孝太郎である。

 孝太郎のノリの悪さに呆れたのか、莉歌はため息と共にオーダーを一つ。


「ホットココア」




 孝太郎の職場の面々がよく利用するオープンテラスのあるカフェ。

 孝太郎の職場とは、彩音や千夏のいる仮初めの職場のことではなく、莉歌達と共に所属している正規の職場のことだ。

 孝太郎や莉歌は探偵事務所の調査員ということで『篠原理恵』に雇用されている。

 表向きは身辺調査等の正規の仕事がほとんどで、その依頼先のほとんどが様々な弁護士事務所からであるが、中にはキレイな仕事とは言えないような仕事も存在する。

『別れされ屋』と言われる依頼もこのうちの一つで、そう言った仕事を依頼してくるのはたいてい『篠原理恵』と呼ばれる女性弁護士が代表を勤める弁護士事務所だ。

『篠原理恵』がスカウトし雇用した人物がお抱えの探偵事務所へ出向する。

 莉歌も孝太郎も言うなれば『篠原理恵』に雇われた『駒』に過ぎなかった。




「お疲れ様。やっと終わったって感じ?」


 孝太郎が労いの言葉を投げ掛けるが、ホットココアを冷ますのに必死で聞いていない。


「いやー。謹慎とけたのは良いんだけどさ、さすがに掛け持ちはしんどいわ」


「何又?」


「さっきの入れて四又」


「……」


「なによ!」


「さすがに引くわ、四又」


 タイプの違う四人の男性をそれぞれ手玉にとり、目的が達成できれば、跡形もなく消える。

 莉歌には、そんな倫理的に人の道を踏み外したような行いができるだけの技量があった。



 莉歌はもともと劇団に所属していた子役だった。

 将来の夢は女優になることで、高校生になる頃にはモデルとして雑誌にも載るほどの綺麗な女性へと育っていた。

 高校を卒業する頃には、プロデューサーや監督から直接エキストラの指名があるなど、順調に女優への階段を登っていた。

 だがある時、事件が起こった。

 莉歌はプロダクションに欺かれた。

 連れていかれたホテルの一室。

 そこにいた見ず知らずの初老の男性。

 汚れを知らない莉歌の体は、見ず知らずの男の欲望に力ずくで血塗られた。

 その後、莉歌は女優の夢を諦める。

 感情の一切を失い、入退院を繰り返す生活。

 当時の莉歌は、人間として死んでいた。


「鴻野山……莉歌さんですか?」


 ある日一人の女性が病室を尋ねてきた。


「集団訴訟という言葉をご存知ですか?一緒に闘いましょう!」


 それが篠原理恵との出会いだった。

 莉歌、二十歳の時である。




「自分から四又希望したの?」


 孝太郎が意味もなく尋ねるが、相変わらずホットココアをふぅふぅしている。


「私じゃないし!あの金髪バカが『莉歌さんならこれくらい平気デスヨ~』とか訳のわからないこと篠原さんに吹き込んだからでしょ!」


「莉歌。声が大きい」


「私に指図すんな!」


 莉歌は孝太郎に怒られ、少しプクッっと頬を膨らませた。

 その表情は実に多彩で魅力的だ。


「で、これから会うんでしょ?篠原さんと」


「会う予定にはなってるけど。今から気が重い」


「だよね。で、知りたいのは孝太郎君のターゲットのことだっけ?時間ないから手短に済ますよ」


 孝太郎に頼まれ彩音のことを調べていた莉歌は、鞄から手帳を取り出し該当のページを開く。


「てかさ、普通前もって調べないの?『朝倉彩音』の趣味とか交遊関係とか住居とか」


「調べる気にならなかったんだ。なんていうか、その」


「この子に情があるんでしょー」


 孝太郎を困らせようと、わざといたずらな目線と口調で話す。

 その確信を得た発言に孝太郎は押し黙る。


「ねぇ?この『朝倉彩音』って子と何があったの?大学時代に」


「何もない」


「あっそ」


 ──嘘つき。


 莉歌はため息をつき、パタッと手帳を閉じ鞄に直すと、すっくと席を立とうとする。


「俺がフルートで、彩音がトランペット。俺がいた吹奏楽に彩音が入部してきた。それだけ」


 その仕草を見て、孝太郎が慌てて答える。

 今後の計画立案において、ここで莉歌から情報を得れないことは孝太郎にとって致命的だった。


「まぁ、誰にでも知られたくない過去はあるもんね。もしかして、話聞いちゃったら私がこの子にヤキモチ妬いちゃうのかなぁ~?」


 莉歌のからかいに孝太郎は「そうだな」とだけ唇を動かし、言葉には出さなかった。


 ──否定しねぇのかよ……


 無言で手帳を開く。


「『朝倉彩音』本名同じ。三姉妹の長女で、って言っても実際血が繋がってるのは三女だけなんだけどね。幼少期に親が離婚し、父親に引き取られた彼女は物心ついた頃に親の再婚で姉になる。新妻にも子供がいたんだね。そして新たな母親に新たな命が宿り、三女が産まれた。調べた限りでは孝太郎の言うような親子の確執なんてわかんなかったけど?」


「そうか……」


 そこまで伝えて、莉歌は手帳を閉じた。


「同級生装って実家の周りで聞き込んだけど、高校卒業以降の朝倉彩音を知ってる人はいなかったよ」


「帰ってないってこと?」


「だろうね。親は共働きで法律関係の仕事。血の繋がりのない次女は海外赴任中。三女はどこぞのお嬢様学校で寮暮らし。父方の祖父も同居していたが、昨年入院し現在も入院療養中。いまのとこはこれで全部。私だって忙しいんだから」


 そう言い終わると、いい感じに冷めたココアをすすりながら社用のスマホに届いた着信を確認する。


「もう一件片付けてくるわ。終わったらちゃんと手伝うから」


 それだけ言い残して足早に去っていく。

 半分以上ココアを残して。



 ******



 お昼時になり店内も混雑してきた。

 遠くの席から金髪の外人が、パンケーキを頬張りながらにこにこと孝太郎を見ている。

 孝太郎は初夏の太陽のドヤ顔を眩しそうに睨むが、にらめっこに耐えきれず行き交う人波の雑踏に目線を落とす。

 その中に彩音によく似た人影を見つけるが、すぐに見失う。


「彩音のこと、考えすぎか……」


 見ず知らずの人間に彩音を重ねるほど疲れてるんだな、とため息一つに瞳を閉じる。


 しばし物思いに耽る孝太郎だった。

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