気まぐれJKは競馬好き!?
第25話 「私、孝太郎さんを諦める!」
『氷結房』
数種類ある岩盤浴の中の一つ。
扉を開けた瞬間、冷っとした空気が出迎えてくれる、まるで房全体が氷に包まれているかのように冷えきった空間。
ここに入れば、熱くなった体を一気にクールダウンし、冷やすことができ、岩盤浴で温められた体や筋肉を徐々に冷やすことにより、血管が収縮され、皮膚細胞に刺激を与える。
それにより新陳代謝や血行促進が図られるのだ。
もちろん、温まらずに入ればただの寒い房でしかない。
我慢比べに入るグループもいるが、寒いだけで対して盛り上がらない。
背丈より高めの壁面には冷媒のパイプが張り巡らされており、触ればひんやりどころではなく、かなり冷たい。
空調からは白い空気が絶えず放出され、幻想的な雰囲気を醸し出している。
新たに入ってきた人間からは、もくもくと立ち込める湯気が白いオーラを纏ったかのようになっている。
「寒い。でる」
「えー。もうちょい」
汗がひき、逆に寒くなった女子が一言呟く。
それを聞きながら、もうちょっとっとお願いするような顔をする別の女子。
直海と梓である。
今週はテスト週間で早く学校が終わったので、普段なら見れない「昼間働く孝太郎」をみることができる。
直海は、孝太郎の働いてる姿を見たくて、梓を誘ってやって来たのだ。
普段ならそんな誘いには絶対に乗ることのない梓だが、どうしても断ることはできなかった。
それは千夏から「直海をどうにかしてくれ」と言われていたからだ。
断ろうと思えば断れたし、普段の梓なら断っていただろうが、相手は千夏である。
きっと、うまく言いくるめられたに違いない。
「なんかさ、孝太郎さん。全然私に興味ないみたいなのよねー」
「そりゃそうでしょ」
「もー諦めよっかな」
「今回早くない?」
「だってさー。全然私の方見てくんないし」
──彩音さんのことを好きって訳でもなさそうなんだけど……
ハァ~と息を吐く直海。
外気に触れ一瞬白くなったその吐息は、すぐに見えなくなった。
「ねぇ、梓。彼氏いるのに他の人を好きになるのってどお思う?」
「そんなやつ、最低だね」
「だよねぇ」
冷えきった空気が沈黙の色に変わる。
「……でもさ、誰かを好きになるって仕方ないんだよね?」
「さぁ、どおだろ?」
「それとも、好きにならなきゃって思う方が間違ってるのかな?」
「さぁ、どっちでもいいんじゃない?」
「ちょっと梓!それじゃ答えになってないよ!」
「答えるなんて一言も言ってないし、相談聞くなんて一言も言ってない」
「なにそれ、ずるい」
「寒いから出る」
──好きになったつもりだったのかな……私。
再びハァ~と息を吐く直海。
冷えた体から出た吐息は、何色にもならなかった。
梓は有無を言わさず立ち上がると、房の扉を開き外に出た。
直海も後についていく。
外の空気はさっぱりしていて、冷えた体に気持ちいい。
二人はドリンクバーへ行き、熱々の緑茶に冷水を継ぎ足した。
普通に飲めば生ぬるいだけだが、冷えきった体にはちょうどよい暖かさだ。
「梓。外いこーよ」
「ハンモック以外なら」
スマホ片手にくつろぐ直海と梓。
バルコニーのプラスチックチェアーに腰掛け、のんびりと雲の行方を追う。
もうすぐこのじめじめとした六月も終わり。
同じように、じめじめとしたこの気持ちにも終わりが来ないかなと直海は空を見上げる。
大きな塊からはぐれた雲の一部が、走る馬の形に見えた。
他の雲も馬に見える。
競走馬のように追いかけっこをしてるみたいだと直海の目には映った。
二人はそれから会話を広げることもなく、冷めた体を暖めにゲルマニウム房へと向かった。
******
ゲルマニウム房から出てすぐにあるベンチに腰掛け休む二人。
ごもごもと直海が同じ事を何度も繰り返し聞いてきては自問自答を始めるので、梓は対応に飽き飽きしていた。
その時、二人の前を仲睦まじい従業員が通り過ぎる。
黒いシャツに黒いエプロンでモップがけをしている従業員。
孝太郎である。
同じ格好で左手にバインダー、右手には何故か大きな熊のぬいぐるみを持った従業員。
彩音である。
ちなみに黒シャツには『今年の夏は期間限定ビアガーデン開催!露天風呂ドリンクガーデンも開催決定!!』みたいなことが書いてある。
露天風呂でアルコール飲んで事故が起きないように、ビアガーデンでなくドリンクガーデンとしているのだろう。
さらに、熊のぬいぐるみは、熊のくせに全身真っ黄色。
「僕の蜂蜜どぉこぉ?」が口癖の、よく蜂蜜泥棒をして騒ぎを起こし、人間と喋れる世界的に有名なアレのぬいぐるみだ。
「あ、孝太郎さん」
その声に孝太郎は足を止め振り返る。
「あ、直海ちゃん!と、国仲さんだっけ?」
「はい、こんにちわ」
直海は何を思ったか急に立ち上がり、孝太郎に詰め寄る。
「孝太郎さん!」
孝太郎気さくに微笑むが、心の中ではまた何かめんどくさいことにならないかと訝っている。
そんな孝太郎の心の声を反映したかのような彩音の顔。
仕事の話をしていたとはいえ、せっかくの会話を邪魔され不満気味に直海を横目で見る。
彩音は完全に孝太郎の横を陣取り、誰にもそのポジションを譲るつもりはなさそうだった。
「私、孝太郎さんを諦める!」
「ん?なにを?」
ノーモーションからの直球。
いきなりのカミングアウトに戸惑う孝太郎。
その横で頭に???が浮かんでややパニクっている彩音。
孝太郎を巡って彩音と直海が小競り合いをしていたこと自体、当の孝太郎本人は全く関知してない。
そもそもその台詞は孝太郎でなく彩音に言うべき台詞なのだが、孝太郎に言ってしまう辺りが直海らしい。
「じゃあね、孝太郎さん。『立つ鳥、跡を濁さず』だよ」
すかさず梓が直海の服を引っ張る。
「いや、ここで言うなら完全に濁してるから」
「へ?そうなの?」
「直海がそう思うなら別にいいんじゃない?」
直海は、よくわからない、といった顔をして孝太郎に向き合う。
「孝太郎さん」
「はい」
次はなんだ!っと孝太郎の顔に緊張が走る。
「『開幕ダッシュ』って意味わかります?」
目が点になる。
さっきから頭に???が浮かんだままの彩音の頭にまた新たな?が追加される。
さっきまで直海を見ていたのに、今では明後日の方角に目線をやっていた。
「あ、それはね」
孝太郎が答えようとした瞬間、直海の背後から感じる凄まじい視線。
とっさに梓が「黙れ!」とアイコンタクトで訴えてくる。
「んー。な、なんだろな」
「じゃあ『複勝コロガシ』とかは?」
戸惑う孝太郎に再び梓が「黙れ!!」とアイコンタクトを飛ばす。
「ごめん、わかんないし想像つかないや」
「そっか」
直海は少し残念そうな顔でため息をつく。
「今クラスで『競馬男子』が流行ってて」
「へ、へぇー。競馬用語なのか」
わざとらしい孝太郎の笑い方に梓が睨みを効かせる。
「孝太郎さんなら知ってると思ったのに。残念です」
「なんでもは知らないよ。知ってることだけ」
その発言に失笑する梓。
孝太郎の心ばかしのユーモアは、梓には通じたようだ。
直海はぽかんとし首を傾げ、彩音は相変わらず無言を貫き遠くの方を見ていた。
というよりは、終始ハテナが浮かび何を言っていいかわからず、混乱を悟られない為の無言だったのだが、この状況では無言でいることは懸命な判断だったかもしれない。
黒シャツの従業員達が仲睦まじく立ち去ったあと、直海は再びベンチに腰かける。
「よかったの?直海」
「うん。だって朝倉さんには勝てそうにないもん」
にっこり微笑む直海。
「孝太郎さんがどうこうじゃなくて、朝倉さんと勝負するには……私と朝倉さんとじゃ見てる世界が違うの」
晴れ晴れとした直海の顔。
「誰かを本当の意味で好きになるのって、すっごく難しいことなんだよ。今の私には」
清々しく、ぐーっと背伸びをする。
その直海の姿を見て、梓の頭に小さなハテナが浮かぶ。
「……ねぇ、なんで朝倉さんが話にでてくんの?」
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