落とし物ってなんですか!?

第23話 「千夏は黙ってて!」

 六月も半ばを過ぎ、じっとりとした湿った蒸し暑い空気が漂う今日この頃。

 二十一時を過ぎても、仕事帰りのサラリーマンや暇な社会人がちらほら散見する店内。

 意外なことに、平日で家族連れが多いのも、実はこの時間帯である。

 それは『満腹亭』も同じことで、気分の高揚したおじさん達がビールとつまみに酔いしれ、開放的になった子供達がきゃっきゃと店内を走り回る。


 二十一時で仕事終わりの梓と直海。

 他愛もないおしゃべりをしながら、事務所へと向かう。


「梓さ、明日暇?」


「暇と言えば暇」


「たまにはさ、ここ来ない?」


「えっ。やだ。めんどくさい」


「えー!いいじゃん、たまには」


「学校は?」


「テストで早帰りー。だからお願い!行こ!」


 そんなおしゃべりをしながら、事務所のドア前へ到着。

 直海が梓を誘った目的がデトックスではなく、孝太郎を見たいだけだということに梓は早々に気づいていたので、あまり乗り気ではなかった。

 直海がドアを開けようとすると、中から勢いよくドアが開き、これまた勢いよく彩音が飛び出してくる。


 ドンッ


「うぎゃあぁぁー」


「きゃっ!あ、ごめんなさい」


 彩音の猛アタックを受けた直海。

 倒れかけた直海を、梓がすんでのところで抱きかかえたので、なんとか尻餅をつかずに済んだ。


「直海ちゃん、大丈夫だった?」


 彩音の口元が、若干あわあわしてることから故意ではないのが読み取れる。


「あ、はい」


「ごめんね」


 手短にそう言い残して走り去った。


 直海と梓は顔を見合せ、ハテナと首をかしげる。

 事務所を通り休憩室に戻ると、珍しく千夏がぐだぐだしていた。

 上半身はテーブルに寝そべり、下半身は椅子にだらんとしていて、なんともだらしない格好だ。

 帰る支度を済ませ、彩音を待ってる様子だった。

 いつもの新聞ではなく、今は自分のスマホを操作している。

 仕事モードは完全にOFFになりエプロンは脱いでいるが、Tシャツはお気に入りのようでそのままだ。

 ちなみにTシャツには『じめじめした梅雨をぶっ飛ばせ!毎週水曜日ポイント三倍デー!!』と書かれていた。

 そのTシャツを着たまま帰る千夏の度胸はすごい。


「なんか朝倉さんバタバタしてますけど。なにかあったんですか?」


 直海が恐る恐る千夏に尋ねる。


「お客さんが車の鍵なくしたみたいでさ。今、彩音と孝太郎がお客さんと一緒に探してるんだけどみつかんないらしいよ」


「孝太郎さんもいるんですか?」


 直海がさっきとは打って変わって興味津々に尋ねる。


「孝太郎はこれだけのために残業だよ。かわいそうにね。彩音はあー見えてほんっとーーっに人使いが荒いから!鬼だよ、鬼!可愛い顔して平気であれこれ指示してくるからね!全く困ったもんだよ」


 千夏が笑いながら話すのを直海と梓は面白そうに聞いていた。

 だが、話の途中あたりから次第に二人の目線はドアの方へと移る。


「ちぃーなぁーつぅう?」


 自分を呼ぶその声に、千夏がびくっとして振り返る。


「誰が人使い荒いって?」


 振り返った先には、彩音が腕を組んで仁王立ちしてる。

 あからさまに顔がひきつり、血管らしきものがピクピクしていた。


「朝倉さん!私も残って探します」


 千夏から軽く事情を聞いた直海は、右腕を大きく上げて立候補アピールしている。


「私は帰る」


 梓はそう言い残し、我関せずとロッカールームに消えていった。


「あのね、直海ちゃん」


 直海の毎度の対応に、彩音は少しイライラしている。

 さすがの彩音も、そろそろ対応がめんどくさいと思い始めていた。


「直海ちゃんの気持ちはありがたいけど、高校生は二十二時までしか働けないの。だからあとは私と桝屋さんと伊藤さんで探すから早く帰宅してほしいな」


「え!千夏も探すの!嫌だよ!」


 千夏が慌てて立ち上がり、身ぶり手振りで必死に抗議するが、受け入れられなかった。

「ギロッ」っという効果音が聞こえてきそうな彩音の横睨みに、肩を落として椅子に崩れ落ちる。


「じゃあ、私はボランティアとして参加します」


 直海が高らかに宣言する。


「ごめんね、直海ちゃん。私、ボランティアを雇うつもりはないの」


 彩音は断固拒否。

 どこかで聞いたことのあるセリフだ。


「あ、でもさ彩音。残り時間少なくても人数集めれば、案外はやく見つかるかもよ!サッカーだって『九十分からが勝負だ』ってゆーし!」


「千夏は黙ってて!」


 再び勢いよく立ち上がったが、彩音の一喝に撃沈し再び椅子に崩れ落ちる。


「私は桝屋さんの提案に賛成です!人数集めて手分けすれば、案外早くみつかるかもしれませんよ」


 どうしても残りたい直海は、千夏の提案に援護射撃。


「直海ちゃん。人数いたらいいってもんじゃないの。人数いたらいちいち説明するのに時間かかるの。『報連相』ってわかる?こーゆー時にいちいちやってたらなかなか前に進まないの。それにこうやってあれこれ言ってる時間が勿体無いの」


「『報告、連絡、相談』でしょ?知ってますけど。じゃあ朝倉さん『五臓六腑』言えますか?」


 真顔で直海を見つめ、少し考える。

 彩音は右手でこっそり何かを数えるような仕草するが、すぐに組んだ腕の中に隠した。


「ん?話が違うベクトル向いてない?直海ちゃん、今はそういう話をしてるんじゃないの」


 直海の質問をはぐらかし、強制的に会話を終わらせようとする。

『五臓六腑』がわからなかったのだ。


「そんなに探したいなら残業して。で、見つかったらすぐ帰って」


「千夏は!?千夏もすぐ帰っていいの!」


 千夏が水を得た魚のように、生き生きと話に割り込む。


「……」


 彩音、無視する。

 千夏、再び撃沈する。


「あと、仕事なんだから伊藤さんとだらだら喋らないように」


「はーい」


 彩音はそのまま事務所を出て、その後を、ヤル気満々の直海が追いかける。


 ──今日こそ、孝太郎さんにいいとこ見せてアピールしないと!


 その後を、死んだ目の千夏が追いかける。


 ──まぢ、はやく帰りたい……


 誰もいなくなった休憩室。

 梓が静かに帰宅する。


 ******


 どこを探してもみつからない。


 ことの発端はこうだ。

 お風呂上がりに満腹亭で食事を済ませた家族連れ。

 お母さんとちいさな子供二人。

 お母さんがそろそろ帰ろうかと会計を済ませ車へ向かったが、肝心の車の鍵がない。

 鞄や自分の衣服のポッケにも入っていない。

 子供達に聞いても知らないと言う。

 慌てたお母さんは受付へ戻り、ことの流れを説明。

 彩音が対応し、孝太郎とともに探すも見つからず。

 で、今に至る。


 ***


 ところ変わって女子脱衣場。

 彩音と千夏が空いてるロッカーや化粧台の下、鍵が落ちてそうな場所を懸命に探す。

 懸命に、といっても実際真面目に探しているのは彩音の方で、千夏はというと彩音の探した後をダブルチェックという名目で探している。

 ダブルチェックという名のサボりである。

 だが、決してズルをしているわけではない。

 これにはちゃんとした千夏なりの理由があった。


「こーゆー時って子供が怪しいんだよねぇ」


 千夏はぼそぼそ言いながら彩音の後を追い、同じような動作を繰り返す。


「大概子供がどっかに隠してたりすんだよねぇ」


 千夏は彩音にアドバイスのつもりで冗談ぽく言ったのだが、彩音は聞く耳を持たない。


 彩音が千夏に耳を貸さないのは、千夏の小言がうざいからではなく、別のことでイライラしていたからだ。


 イライラしている彩音に冗談を言いながら、彩音の見落としを防ぐ。

 ダブルチェックという名のサボりは、本当の意味でのダブルチェックの意味をなしていた。


 彩音のイライラの原因。


 それは、孝太郎直海と共に満腹亭に行ったからだ。


 ***


 遡ること少し前。

 遺失物捜索隊の四人は、紛失場所として濃厚な『女子脱衣場班』と『満腹亭班』の二班に別れて捜索することになった。

 もちろん、孝太郎は『女子脱衣場』へ入ることはできないので必然的に『満腹亭班』となる。

 問題は孝太郎のペアを誰が組むか。

 その座を巡って、例のごとく彩音と直海の小競り合いが始まった。

 その様子を毎度のことと呆れたように見守る孝太郎と、わくわくしながら見守る千夏。

 時間までに孝太郎にアピールしたい直海と、それを阻止しつつ鍵を早く見つけたい彩音。

 四人の思惑が交差する中、次第に公開討論はエスカレートする。

 だが、彩音と直海の公開討論は意外な形ですんなりと決着がついた。


「おもうんだけどさぁ、孝太郎のペアなんだから孝太郎に決めてもらったら?」


 突如、話に割って入ってきた千夏の一言で二人は凍りつく。


 終戦の是非を委ねられた孝太郎の出した結論は即答で『直海』だった……


 ***


 イラつく彩音を千夏がなんとかなだめる。

『満腹亭班』と約束していた予定時間に差し掛かり、一度受付に集合することとなった。


「あ!彩音。ちょっとトイレ見てくる」


「え?でもお客様はトイレには行ってないって」


「でもさ、もしかしたらってことあるし」


 千夏はそう言い残すと、足早に立ち去った。

 女子脱衣場のトイレに向かうと思いきや、出入口へ向かう千夏。

 彩音は訝しそうな目で、千夏の背中を追う。



 ******


 ガチャ


 休憩室の勝手口がゆっくりと開くと、梓が現れた。

 どうやら忘れ物をしたみたいで、戻ってきたようだ。


「お疲れ、梓」


 誰もいないはずなのに、と声のする方をみると、そこにはなぜか鍵を探してるはずの千夏がいた。


「あ、桝屋さん。鍵みつかったんですか?」


「梓、話あるんだけど」


「直海のことですか?」


「さすが梓。話が早い」


 面倒なことに関わりたくない梓の顔が、みるみる内に曇っていく。

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