第20話 「朝倉彩音って子のこと、好きになったりしないよね?」

 ━迷子作戦が無事に完了したその夜━


 雑居ビルが建ち並ぶオフィス街。

 その近くに新旧の居酒屋が軒を連ねる華やかな通りがある。

 その通りにある昔ながらの情緒漂う一軒の居酒屋。

 暖簾をくぐった先には小汚ない店内が広がり、外観の割にはそこそこ繁盛している。

 その店内の一席で、酔っぱらってみっともなくはしゃいでいる女性がいた。


「あの仕込みはヤバい!我ながらヤバい!あの子の演技完璧!私、最高ー!!」


 酔っ払って気が大きくなっているのか、グラス片手に大声ではしゃぐ女性。

 鴻野山莉歌である。


「えー、ワタシも見たかったデス」


 莉歌の話を肩肘ついて羨ましそうに聞く、見るからにハーフっぽい女性。

 彼女の名は来栖=L=ベル。

 篠原理恵直轄の秘書のような仕事をしているが、その活動内容は公にはされていない。

 肩甲骨まで延びた長めのナチュラルな金髪に黒淵の丸眼鏡が映える。

 その眼鏡の奥から覗く青の双瞳が、じっと莉歌を捉えていた。


「最後さ、めっちゃ泣きじゃくってたでしょ?」


 莉歌はベルの眼差しを無視し、目の前に座っている孝太郎に自慢気に話しながら、空になったグラスを孝太郎の目の前で揺らし、次の酒を要求していた。

 孝太郎は空になったグラスに、渋々新たな日本酒を注ぎ込む。


「そうそう。あれはすごかったな。全然泣き止んでくれなかったし」


「いや、ほんと!あそこまで泣くとはね。リアルお母さんも隣で大爆笑だったよ」


 当時を思い出して、大笑いしている。

 店内に響き渡る莉歌の笑い声は、迷惑な客そのものだ。


「ちょっと!今度その子使うとき、ワタシも呼んでほしいデス!」


 ベルが不機嫌な顔で話に入ってくるが、孝太郎も莉歌も相手にする気配はない。


「でもさ」


 孝太郎が神妙な面持ちで莉歌を睨む。


「なんでよりによってあの子にすんの?」


 孝太郎の少しイラついた口調に、莉歌はムスっとし、グラスに入った日本酒を一気に飲み干す。


「だからごめんて!まさかたまたま通りかかった高校生が、孝太郎に気があるだとか普通思わないし!」


「いやいや、気はないだろ」


 この場に置いても直海が自分に気があるとほんとに思っていない鈍感な孝太郎。


「いやいや、あの感じは孝太郎LOVEだね」


 莉歌は空のグラスをベルに差し出し、「注げ」と目線を送る。


「ターゲットも孝太郎君に気がある感じの雰囲気だけあったけどね」


 注がれる日本酒を見つめながらそう言うと、また一気に飲み干した。


「でも、あの高校生ってどっちかってゆーと本気で孝太郎君のこと好きって感じじゃないのよね。どっちかってゆーと、あのターゲットの方が孝太郎君のこと好きよ。あくまでも『女の勘』ってやつ」


 ***


 莉歌の計画では、迷子をあやす孝太郎に彩音が心を動かされる……。

 そんな展開になるはずだったし、直海の存在を除いても、計画通りになるはずだった。

 しかし、結果は違った。

 彩音の『親という生き物』への考え方や執着は根深く、結果的には彩音よりも直海の心を動かす展開になってしまった。


 莉歌の計画は頓挫することなく無事に終わったのだが、必ずしも成功したとは言えない。

 莉歌にとって今夜の酒は、勝利の美酒になるはずだったのに、やけ酒に近い酒となっていた。


 ***


「え!なんデスカ?めっちゃ気になるデス」


 ベルが話に割りいってくるが、相変わらず二人とも無愛想に無視する。


「しかもその女子高生さ、そのあともずっとターゲットと……ん?名前なんだっけ……」


「朝倉彩音」


 酔っぱらいに孝太郎が冷たく答えた。


「そーそー!朝倉さん!顔見たらピンときたよ。めっちゃかわいいし。私あのあと、彼女の猛烈タックル受けちゃったもんねー」


 その発言に、孝太郎はいい気持ちがしなかった。

 

「で、高校生といがみ合ってたと思ったら、いきなり孝太郎君挟んで睨み合いになってさぁ」


「あれはまぢでびびった。だからあそこでママ登場は助かった」


「でしょ!冴え渡る鴻野山莉歌の絶妙なゴーサイン!!」


 莉歌はドヤ顔で胸を張るが、鼻息の荒い自画自賛の酔っぱらいに掛ける言葉が見つからない孝太郎とベル。


「莉歌。ワタシも脇役のコンサルティングしてみたいデス」


「ダメ。あなたは本来の任務があるでしょ?」


「探偵の調査員て退屈デス。起きて尾行して寝て、起きて尾行して寝て、また起きての繰り返しデス」


「俺らの仕事よりマシだよ」


 孝太郎が冷たく吐き捨てる。


 しばらく調査員としてのベルの愚痴が続き、これで聞くのが何度目かと二人は呆れ果てていた。


 ガガガガガガ ガガガガガガ


 その時、テーブルの上のスマホがけたたましく震えだした。


「あ、動いた」


 通知された内容を確認しおもむろに立ち上がるベル。

 さっきまでの口調とは全く違う、別人のような低い声。


「失礼」


 そう言い残し、鞄を持ってトイレへ向かった。


 ベルが立ち去ったのを見届けると、急に莉歌の目付きが変わる。

 さっきまでのドヤ顔の酔っぱらいはどこかへ行き、代わりに鋭い眼の莉歌がそこにいた。


「で、わかった?例の件……」


 孝太郎が莉歌にしか聞こえないほどの小声で呟く。


「私も調べてるんだけど、あの金髪、思いの外口固くてさ」


 莉歌も孝太郎と同じように周りに聞こえないよう細心の注意を払いながら話す。


「『誰が今の仕事を孝太郎に依頼したのか?』だよね?」


 孝太郎はその問いかけに黙って頷く。

 周りを警戒しているのか、莉歌と目を合わせず、自然な感じで辺りを見渡す。


「期限設定がないってだけでも、かなり例外的な案件だと思う」


 莉歌も周りを警戒しているのか、うつむいたまま話す。


 本来なら篠原から依頼主の情報が少なからずもたらされる。

 それはターゲットにきづかれない為と依頼主を巻き込まない為だ。

 依頼主の存在や名前を口に出してしまっては計画が台無しになる可能性がある。

 そして、全ての依頼に対して例外なく期日や期限が決められる。

 結婚が決まったり、子供ができてしまったりするケースも少なからず存在するからだ。

 そうなっては依頼達成が非常に難しくなる。

 そのため、いつまでに別れさせるかといった期日を元に計画を立てるのが常であった。

 しかし、今回はその両方がなかった。

 それがあれば、孝太郎が彩音の地雷を踏むことはなかったのかもしれない。


「強引な手は使わず自然な流れでって、篠原さんからは指示が来てる」


「篠原さんがそんなこと言うのって怪しいよね」


「しかも、篠原さん自身で彩音のこと調べるみたいだった。俺の知らない話も知ってる様だし」


「まぁ、私はしばらく動けないから脇役に徹するよ」


「お待たせー。なに?あんたら結局付き合うことにしたの?」


 バッチーーンッッ


 とっさに莉歌の強烈なビンタが、ベルの左頬に炸裂する。

 ……だが、そこにいたのはベルではなく、スーツ姿の男性。

 莉歌のビンタは、突如話に入ってきた男性の左頬に炸裂したのだった。

 トイレから来たスーツ姿の男は、左頬を赤く染めながら莉歌に向かって薄ら笑いを浮かべる。

 そして財布から諭吉を二枚取り出しテーブルの上に置いた。


「一枚は酒代。俺は何も呑んでないけどな。あとの一枚は、彼女の相手をしてくれたお礼。これが目当てなんだろ?」


 莉歌はペコリと頭を下げ「あざーす」と諭吉を手に取る。


「仕事だ。失礼」


 そう言って、スーツ姿の男は店を後にした。


 ******


 しばらくしてから店を出た孝太郎と莉歌。

 残業終わりのサラリーマンがオフィス街を、大通りに向かって帰路につく。

 二人も、その波に紛れる。


「気を付けなよー、孝太郎君は人が良いから。前の時も、別れさせたけど情が移っちゃって……結局ぐだぐだになったでしょ?そうゆう相手はしつこいよー」


「莉歌も気をつけて」


「あはは。私は恨みしか買ってないからねー」


「……」


 二人の間に現れた沈黙。

 お互いがお互いの程よい距離感を保ったまま、時間だけが流れる。


「ま、次に孝太郎君の前に現れる時は、ひょっとしたら棺桶の中かもねー」


「冗談でもそんなこと言うなよ!」


「ごめんごめん、そんな怒んなってー」


 顔を見なくても、声の感じからお互いの表情がはっきりとわかる。


「ねぇ、孝太郎君」


「ん?」


「その、朝倉彩音って子のこと、好きになったりしないよね?」


 孝太郎は何も言わず、ただじっと前を向き、歩く。


「そっか」


 無言の回答に、莉歌は何かを悟った。


「孝太郎君は……もう、私には『心』開いてくれないんだね」


「……」


「何も応えてくれないんだ……」


「それは……」


「いいの。あの時……ちゃんと返事しなかった私が悪いんだもん」


 ───もし、まだ、返事を待ってくれてるなら……


 莉歌の震えた声。

 孝太郎の噛み締めた口元。

 寄り添い歩く二つの影。

 二人の姿は、帰路を急ぐ人波の渦に、いつの間にか溶けていった……

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