第18話 「好きなんですよね?孝太郎さんのこと」
駐車場の待ち合わせ場所へ向かう一行。
孝太郎が迷子を肩車しながら先を進み、やや右側後方に彩音、やや左側後方に直海。
彩音と直海は、まだぶつくさ言い合っている。
対照的に相変わらず仲の良い孝太郎と迷子。
「お母さん、見えたぁ?」
しかし、一向にお母さんが見当たらない。
孝太郎の問いかけに、迷子はぶんぶんと首を横にふるだけ。
孝太郎からは見えないが、なんとなく迷子の体の動きでそれが伝わる。
迎えに来るお母さんがよく見える様にと迷子を肩車したのだが、思いの外、これが迷子には好評だった。
ほんとに初対面と思えないほど、孝太郎と迷子は仲がよく、さっきまでの泣いていた顔とは反対に今では陽気に鼻唄をハミングしている。
その歌を知っているのか、孝太郎もそれにあわせて一緒にハミングし、知らない人が見たらほんとに仲の良い親子のようだった。
時折、二人で何かを話しているが、彩音達からは聞き取れない。
「いいなぁ、私も孝太郎さんに肩車してほしいなぁ」
直海がすたすたと早足で孝太郎の横を陣取り、上目遣いでおねだりする。
「無理でしょ」
あっさり拒否する孝太郎。
「じゃあ、お姫様抱っこで許してあげます」
「だから無理だって」
彩音は何も言わず、黙って孝太郎の後をついていく。
孝太郎は後ろを振り向かなくても、自分に向けられた殺気に満ちた冷ややかな眼差しを感じた。
「私もお姫様抱っこしてもらおっかなー」
ふいに彩音が口を開いた。
その言葉に直海が反応し、彩音の方を振り返る。
一方で、その言葉に孝太郎は思わずびくっとした。
それは孝太郎に向けられた言葉ではあるが、同時に彩音から直海への宣戦布告のように聞こえたからだ。
「朝倉さんて、何キロあるんですか?」
直海が後ろを振り返りながら、彩音に挑戦的な視線を送る。
しかし、彩音は言い返さず直海のその一言に沈黙する。
例え女子同士の会話であってもさすがにデリカシーがない。
直海が天然で言ったのか、はたまた計算して言ったかは定かではないが、彩音を沈黙させるには効果覿面だった。
「あれ?朝倉さん聞いてます?」
直海は勝ち誇ったように彩音に慈悲の眼差しを向ける。
彩音も早足で孝太郎の横に陣取り、孝太郎を挟んで直海と向かい合った。
「聞こえてるけど、何で私の体重教えなきゃならないの?」
「だって、軽い方が孝太郎さんも抱っこしやすいでしょ?」
当たり前すぎる回答に、返す言葉が見つからないのか彩音は再び沈黙した。
仮にここで直海につられて、自分の体重を言ってしまったとして明らかに直海の方が軽いに決まっている。
どのみち彩音の敗けは変わらない。
「そう言う直海ちゃんは?」
苦し紛れに大人げなく質問を質問で返す。
イラついた表情をしないように努めるが、そもそも口調がイラついていた。
「んー。孝太郎さんが知りたいなら言ってもいいですよ?」
直海が下から孝太郎を覗きこむと、孝太郎は困った顔をして直海を見下ろした。
その困った顔を見て、直海はかわいいと思うのだが、何も言い返さない孝太郎を彩音は睨み付ける。
───何?その顔……そんな顔、私にはしてくれませんよね……
言葉には出さなかったが、次第に彩音の悪い癖であるいつものイライラが確実に彼女の中に積もっていった。
「ぶっちゃけ、孝太郎さんはどっちの体重が気になります?」
「直海ちゃん!伊藤さんにそんなこと聞かないの!」
いつになく声を張り上げる。
「じゃあ」
そう言って直海は小走りに孝太郎の前に出ると、腕を左右に大きく広げ行く手に立ちふさがった。
「私と朝倉さん。どっちのことが気になります?」
「直海ちゃん!いい加減にして!」
怒りに任せた彩音の声が辺りに響き、湿っぽいじっとりとした空気が、さらに彩音をイライラさせる。
遠くの方で雷のような音が聞こえた。
天気予報では一日晴れのはずなのに、気がつけば黒い雲が頭上を覆っている。
目の前に直海。
背後に彩音。
二人に挟まれた孝太郎。
三人の周りに気まずい空気が流れ、いい加減にしろと孝太郎が言いかけたその時。
「ママーーーー!!」
迷子が今日一番の大声で叫んだ。
迷子の指差す方に、しきりに大きく手を振っている女性が見えた。
迷子のお母さんも、この子の名前を呼んでいる様子で、必死に手を振りながら走ってくる。
******
肩車から降ろしてもらった迷子は、地面に足がつくと一目散にお母さんに向かって走り出した。
お母さんに飛び付く迷子と見失った我が子を強く抱き締める母親。
無事に迷子を親御さんへ引き渡すことができた。
孝太郎がお母さんに挨拶しに行くと、迷子は孝太郎のズボンを掴んで泣き出す。
迷子は孝太郎との別れを察したのか、泣きじゃくって孝太郎のズボンを握りしめ離れようとしない。
そんな平和な午後の光景を彩音と直海は少し離れたところで眺めていた。
「なんか憧れますねぇ、こうゆうの。ね、朝倉さん?」
直海は泣きじゃくる迷子をあやす孝太郎を見てうっとりしている。
父性に溢れる優しい男性。
子供好きな頼りがいのある男性。
もちろん彩音もそう思っているだろう、と横を見ると、彩音の表情は直海の予想とまるで違っていた。
蔑むような視線。
気持ち悪い物を見るような目つき。
「朝倉さん?」
「……茶番よ。ほんと、茶番」
直海は、彩音の発した言葉にびっくりして目を見開く。
彩音の言っている意味がわからない。
聞き返す言葉すら、彼女の頭には浮かばなかった。
「あの子は、これからもお母さんに愛情いっぱいに育てられていくと思う。でもそんな愛情なんて、所詮偽物。そうやって母親は子供の心をコントロールしていくの。知らないうちに、徐々に、徐々に、蝕んでいく……」
───こんな母親、いない方がましだ
彩音の負の感情が、彼女の表情から滲み出ている。
濁った心の一部分が、声になって暴れだした。
見てはいけないものを見てしまった。
聞いてはいけないものを聞いてしまった。
彩音に対して、見た目だけのイメージしか持っていなかった直海は、その発言にびくっと悪寒が走り、完全にひいてしまっている。
直海は彩音に気づかれないように、ゆっくりと横にずれ、距離を広げた。
物理的にも、人間的にも……
それに気づき、彩音はふと我に返る。
「あ、ごめんね、直海ちゃん。そうだね!うん、優しいパパって感じで憧れちゃうなぁ」
彩音は、にこっとした笑顔で直海に話しかけるが、直海に映った彩音の目は死んでいる。
少なくとも、直海にはそうとしか映らなかった。
「朝倉さんて、孝太郎さんのこと、なんとも思ってないんですよね?」
何の脈絡もなく、ふいに直海が問いかける。
それまでの人懐こい挑戦的な話し方とは違い、どこか一線を画したような話し方だった。
「そうだけど?」
きょとんとして答える。
「彼氏いるから、孝太郎さんのこといいなぁって思わないんですよね?」
「うん」
「じゃあ、なんでそんなに孝太郎さんのこと好きなんですか?」
直海のその言葉が、何故かずきりと彩音の胸に重く突き刺さった。
「好きなんですよね?孝太郎さんのこと」
彩音は言葉を失ったかのように静かに黙りこむ。
一陣の風が、二人の沈黙を掠めるように駆け抜けた。
その沈黙は迷子を見送った孝太郎がご機嫌よく帰ってくるまで続いていた。
待ちくたびれた様子の直海と、神妙な面持ちで遠くを見つめる彩音。
「じゃあ、帰りましょうか?」
孝太郎は一仕事終えニコッと微笑む。
ポツッ ポツッ
「あ、雨」
孝太郎は空を見上げて呟く。
「孝太郎さん!帰りはお姫様抱っこしてください」
「無理だって」
「じゃあ、おんぶでもいいですよ?」
「俺をおぶってくれよ」
「えー、約束したじゃないですかー」
「してないって」
直海の発言は冗談でなく本気だったのだが、孝太郎はそれに気づくそぶりもない。
仮に気づいていても気づいていないふりをして笑っていただろう。
孝太郎と直海が他愛もない冗談を言い合う。
だがそこに、彩音の居場所はなかった。
孝太郎の見せる、あの頃と変わらない笑顔。
初めて会ったときと変わらないあの笑顔。
その笑顔が彩音の心を傷つける。
───違う。私は先輩のことが好き、なんじゃなくて……
いよいよ本格的に雨が降りだしそうな雰囲気になってきた。
空は黒く真っ暗で、体に感じる雨もさっきよりも多くなってきている。
「あっ!」
彩音が不自然に声をあげた。
「そうだ!私、明美ちゃんに無事引き渡したって言って来なくちゃ。ごめん、二人で先に帰ってて」
───バカ!なに言ってんの、私!
震え始めた語尾と臆病な声を必死で噛み殺しながら、彩音は雨の中を気丈に走り去って行った。
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