第16話 「恋する女ってまぢでめんどくせ」

 右往左往する人混みの中、お目当ての男性を探す今時のJKがいる。

 直海である。

 待ち合わせ場所に向かう最中、遠くの方に孝太郎の姿が見えた。

 とっさに鞄からスマホを取り出し、手慣れた手つきでカメラアプリを起動させる。


 ッパシャ


 素早く孝太郎を撮る。

 普段から自撮りに興じている直海にとって、遠くの動く被写体を捉えること等、朝飯前だ。

 撮りたてほやほやの画像を見ながらニコニコしていると、聞き慣れた声が自分を呼んでいるのに気づいた。


「直海、お疲れ様」


 振り返るとそこには彩音の様子を見に行った千夏が少し怪訝な顔をして立っていた。


「桝屋さん、お疲れ様でした。朝倉さん事務所にいますよ」


 親切心から彩音のことを教えるが、千夏はそんなことどうでもいいといわんばかりの顔をしていた。

 そんな千夏のことなど気にすることなくスマホを両手で素早く操作する。


「直海?今、何撮ったの?」


 千夏は心なしか少し苛立った口調でそう言うと直海を見据える。

 彩音を探して事務所へ向かう途中、たまたま直海の不審な動きを目撃したのだった。


「何って、孝太郎さんです」


 なんのためらいもなく盗撮を認め、しかも悪いという認識はないようでにっこりしていた。

 盗撮や肖像権というものは直海には関係ない。

 JK恐るべしである。


「勝手に撮ったらダメだって」


「えー!ダメなんですか?」


「当たり前だよ。それと、今撮った写真!それで余計なことしたら怒るよ」


「何ですか?余計なことって」


 直海は可愛く首を傾げた。

 その仕草が千夏の癇に障る。


「それを梓とか桃花とかに送って『この人、めっちゃいい感じ!』とかやるんだろ?」


 それを聞いて大袈裟に大きなため息をつく。


「桝屋さん、その二人には既に送ってしまいました」


「はぁ!?」


 千夏はびっくりして周囲を気にせず叫んでしまった。

 びっくりしたというより、呆れて叫んだという方が正しいかもしれない。

 そんな千夏の叫びを聞いた周囲の利用客が何事かとざわつく。

 女性従業員が利用客の女子高生を叱ってるように見えても不思議はなかった。


「桝屋さんも朝倉さんも、どうして孝太郎さんのことになるとそんなにムキになるんですか?」


 意表をついたその言葉に千夏は一瞬固まってしまう。

 直海はそう言うとクスッと笑ながら見失った孝太郎を探そうとぴょんぴょん跳び跳ねる。

 背が低いとこういう時、不便だ。


「大人ってずるいですよね?」


 ふいに直海が真顔で呟く。


「朝倉さんは彼氏いるって言いながら、孝太郎さんばっかり見てるし。桝屋さんも彼氏つくらないって言いながら……ま、いっか」


 その言葉の意味を理解した千夏は、唖然としていた。

 少なからず千夏には、その自覚があったからだ。


 どこにいったのか、孝太郎の姿が見えない。

 孝太郎探しを諦めた直海は唖然とする千夏の正面に立ち、大きく深呼吸すると千夏の顔を真剣な面持ちで見つめた。


「桝屋さん」


 千夏の反応を予期したかのように、にっこり微笑む。


「私がしてるのは余計なことなんかじゃありません……一目惚れです」


 耳を疑うようなまっすぐな言葉に、千夏は何も言い返せずまるで全ての時間の流れが止まったかの様にその場で固まった。


「桝屋さん、聞いてますか?」


 直海の言葉が千夏の頭のなかでこだまする。


「あ、孝太郎さんだ」


 直海の無邪気な声。

 彼女な指が指し示す先に、人混みで見失った孝太郎が見える。


「じゃあ桝屋さん、今日はありがとうございました」


 ぺこりと一礼すると、踵を返し駆け出した。


「あ、直海!待て!」


 呼び止められた直海はくるっと千夏の方を向き直し、無邪気は笑みを浮かべた。


「桝屋さん、こーゆーのは『早い者勝ち』なんですよ?」


 千夏へバイバイのウィンクをし、孝太郎の元へ駆けていった。




 ******




 千夏は面倒なことにならなければいいが、とそんなことを考えながら事務所へ帰ってくる。

 スパ自体は全体的に彩音の指示の元、なんとか通常運転はしていたが、千夏抜きでは限界があった。


 事務所に入ると彩音が鏡に映った自分を見て物思いに更けっている。

 さらけ出された口元のアザが痛々しい。

 千夏の存在に気がつかないほど、なにかを考えているようだった。

 静まり返った空間に時計の秒針の音が響く。


 声をかけるのを一瞬躊躇う千夏。


 ───かわいいな、彩音は




「彩音、なんとか終わったよー」


 いつもの明るいその声で彩音は我に帰り千夏の存在に気づく。


「ありがとう、千夏。こっちもできるとこまでやったんだけど、あとお願いしていい?」


 明らかに彩音の声に張りがない。


「うん、ありがとう彩音」


「私、落ち着いたら明美ちゃんのとこ行ってくるよ。事後処理とか今日中に終わらせたいし」


「おけおけ、あとは千夏に任せといて」


 彩音は千夏なことをいつになく頼もしく思う。

 ニコッとする彩音に笑って返す千夏だったが、どことなく不機嫌なのがその雰囲気でわかった。

 再び鏡を覗きこみ、自分の世界に閉じ籠ろうとする彩音。

 千夏はそれに気づかないふりをして、ゆっくりと自身の仕事の準備を始めた。

 静まり返った空間に時計の秒針の音と千夏の動作音だけが響く。


「……千夏」


 なんの前触れもなく、ふいに千夏を呼ぶ。


「男の人ってやっぱり若い女の子が好きなのかな?」


 少し泣きそうな声でそう言うと千夏の方を向く。

 その声の方を千夏は振り向くことはなかった。


「どーした、いきなり」


「先輩と直海ちゃん、仲良かった」


 唇をつんと尖らせてあからさまに不満な顔をする。

 千夏は彩音に背を向けたまま、話を続けた。


「たまたまだろ?気にすんなって。って何?千夏らを見に来てたの?」


「ちょくちょく見に行ってた。心配で気になるから……」


 ───心配で気になるから……誰のことが?


 千夏は敢えて口にはしなかったが、それが孝太郎に対するものだということはすぐわかった。


 彩音の直海への嫉妬。

 千夏はそれに内心びっくりしたが、それよりも自分ではなく孝太郎に向けられた彩音の気持ちに嫉妬した。


 ───千夏のことは心配にならないのか……



 彩音は本当にモヤモヤしているみたいで、さっきまでの何かに落ち込み鏡を見つめていたが、今は鼻息を荒くしている。


「直海ちゃんも先輩に気がありそうだし、先輩も腕に抱きつかれても嫌がる素振りしてなかったし」


 準備を終えた千夏は、聞こえないふりをして事務所から出ようとする。

 その姿に自分との関わりを故意に避けてることに気づいた彩音は、誰に聞かせるでもなく突然大きな声で愚痴り始めた。


「あーあ。ま、先輩が誰とどう恋愛しようが私には関係ないんですけどね!」


 ちらっと横目で千夏を見るが、何も言い返してくる気配は無い。

 聞こえてるはずなのに無反応な千夏に苛立つ。

 さらに大きな声で愚痴をこぼす。


 彼女への皮肉を込めて。


「誰を好きになるかなんてその人の自由だよね!ね!」


 千夏に問いかける形で言い終わったのだが、彼女は何も言うことなく黙って静かに事務所を出ていった。

 千夏は事務所を出て扉が閉まったことを確認すると、その場で大きなため息をつく。


 バンッ


 扉の向こう、事務所の中から乾いた音が響く。

 彩音が感情任せに自分の机を叩いた音。

 その痛々しい音は、もちろん千夏の耳にも届いた。


 無意識に、千夏の心が気持ちを吐露する。


「恋する女ってまぢでめんどくせ」


 その言葉は、彩音に向けられたものなのか。

 それとも自分自身に向けた言葉なのか。


 ……真相は千夏しか知らない。

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