第14話 「彼氏いたら、他の人を好きになっちゃダメなんですか?」

 エディシャンの建物内にある食事処『満腹亭』

『満腹亭』の店内は客席だけでも学校の教室三、四クラス程の大きさで、様々な客が利用している。

 入口にはいかにもな和風の暖簾が掛かっており、食事処らしくショーケースに飲食物のサンプルが多数並んでいる。

 サンプルながらどれも美味しそうだ。

 入口の暖簾には『お客様へご案内』と称し諸事情により提供できる商品に限りがある旨のお詫びと内容が書かれた掲示物が貼られている。

 彩音の手書きだ。


 そんな暖簾をふわっと上品に払い、ずけずけと厨房へ向かう女性が一人。

 千夏である。


 千夏は何度か手伝っているので躊躇なく厨房へ入っていく。


「ニノ前さん、おひさー」


「あ!桝屋!もしかして手伝い来てくれたのか?」


 中にいた男性が懐かしそうな顔で返事をした。


「何?不満?」


「いやいや、まさか桝屋が来るとは。朝倉にはほんと頭が上がらんよ」


 彩音や千夏がニノ前さんと呼ぶその男は、『満腹亭』責任者兼料理長のニノ前一樹である。

 彩音や千夏よりも一回り歳上で、しかも千夏はもともとこの『満腹亭』でバイトとして働いていたのでそれなりに親しい間柄だった。

 そんな縁があり千夏はスパ配属になってからもちょくちょくフォローに駆り出されていたので、今回の彩音の依頼も実はたいして苦ではない。


「で、そこの青年は?」


 ニノ前が千夏を見ながら孝太郎を指差す。


「伊藤孝太郎さんです。千夏は孝太郎って呼んでるんだけど。厨房のフォローに連れて来たんだよ」


「お、それは助かる!」


 お互いの気心が知れてるせいか千夏とニノ前でどんどん話が進んでいく。

 自己紹介と挨拶をせねばと考えていた孝太郎は完全に出鼻をくじかれてしまった。

 ようやく孝太郎に発言の機会が回ってきた時、一人の少女が割り込んできた。


「新規で天婦羅うどん二つとカレーうどん一つ。さっきの煮込みうどんまだですか?」


 短く髪を結い、少し小柄な女子高生のその少女は忙しさにイライラしながらも淡々と注文を伝え、状況を確認する。

 しかし千夏の存在に気づくと、見違えるほどに表情が明るくなり千夏へ飛び付いた。


「桝屋さん!おひさです」


「お、直海!今日はよろしくな」


 遠山直海

『満腹亭』で働く女子高生アルバイトで普段は学校終わりの夕方から働いている。

 今日は土曜で学校がなくお昼までの勤務だったのだが、他のバイトが事故で遅れて来れないため急遽居残ることになったのだった。


「桝屋さん来てくれたらめっちゃ助かります。私一人だと死ぬー!無理ー!桃花のバカー!って思ってたんです!んで、その人は?」


 直海は千夏を見ながら、誰この人といった顔で孝太郎を指差す。


「直海、見たことないの?」


「はい、存じません」


 施設内の従業員は基本的に勝手口のある休憩室から出入りし、ロッカーもそこにあるので着替えや休憩もそこでするのが普通だった。

 故に、この施設で働くほとんどの従業員は働く場所は違えど何かしら面識はある。

 だが、早朝勤務メインの孝太郎と夕方勤務のアルバイトの間には、時間的な隔たりがあり意外にも面識がなかった。


 千夏が直海に孝太郎を紹介しようとした時、ニノ前が孝太郎を手招きする。


「忙しくなる前にやってほしいこと教えるから!こっち来て!」


 孝太郎は言われるがまま厨房の奥に入っていく。


「直海ー。千夏のエプロンあるー?」


 こうしてテンション高い無邪気な千夏と巻き込まれ事故被害者の孝太郎のイレギュラーアドベンチャーが始まった。




 ******




 千夏は最初こそぎこちなく戸惑ったものの、別段慌てることもなく業務をこなしていく。


「おや!千夏ちゃん、今日からここかい?」


「違う違う。人いないから手伝いだよ」


 岩盤浴や温泉の常連客が昼間から風呂あがりの昼酌にいそしんでいる。

 そんな常連客とも和やかにやりとりできるほどの余裕があったし、慕われるのは千夏の魅力の賜物だ。


 一方、孝太郎の方はというとニノ前の期待と予想を上回る働きをしていた。

 提供できる商品を『きつねうどん』『天ぷらうどん』『カレーうどん』『煮込みうどん』『ざるそば』に限定していたので厨房の難易度はそれほど高くなかったのだが、孝太郎の腕前には一目置かざるおえない。


「伊藤、それ出したら先に天婦羅盛ってくれ。蕎麦は四か?」


「はい、蕎麦四です。その後うどん二。ニノ前さん、天婦羅盛り付けはこれで」


「いや、もう見せなくていい。そのまま出して問題ないからどんどんさばいてくれ」


「はい、ありがとうございます」


 最初の内は孝太郎の盛り付けチェックをニノ前が行ってから直海に渡していたが、次第にそのチェックは省かれていく。

 孝太郎の腕があまりに良いので、ニノ前は早い段階で一切を任せたのだった。


 だが、それは孝太郎に料理のセンスがあったからではない。

 過去に調

 それだけのことであった。



 ******



 ニノ前料理長が調理を担当し孝太郎が盛り付けを担当。

 直海がメインでフロア業務をこなし、千夏が清掃とフォローに入る。

 付け焼き刃のチームではあったが、見事な連携だった。


 直海がテーブルメイクをしていると、こっちをちらちら見つめる視線に気付く。

 出入り口の暖簾の隙間からこちらの様子を伺う女性がいる。

 彩音である。


 直海がこっそり近づき声をかけた。


「朝倉さん、どおしました?」


「は!直海ちゃん、お疲れ様。どお?大丈夫?」


「はい、なんとかなりそうです」


「よかった!」


「明美さんも心配して見に来てくださったんですけど……ってゆーか朝倉さん、さっきからちょくちょく覗きに来てますよねぇ?」


「へ?あ、私?私は来てない来てない」


「とぼけても無駄ですよ。ちょこちょこ来ては、じっと厨房見てたでしょ?」


「いやー、人違いじゃないかな?」


「マスク姿にポニーテールって、だいぶ目立ってますけどねぇ」


「ヒトチガイヒトチガイ」


 話ながらもちらちらと厨房の方へ目をやる彩音を不自然に思った直海が厨房の方へ振り向く。

 すると、孝太郎が直海か千夏を探すように厨房から出てきょろきょろしていた。

 そんな孝太郎と目が合いそうになった彩音はとっさに身を隠す。

 目を閉じうつむき、次第に赤く染まる頬の色を白いマスクが際立たせていた。


「あの、朝倉さん」


「なに?」


「あの人って朝倉さんの彼氏さんですか?」


「え?は、いや、ち、違うよ!全然違う」


 突然の直海の発言に取り乱し、首と両手を横にブンブンとふり必死で否定しようとする姿が一層怪しく見えてくる。


「怪しいですねぇ」


「全然違うし、ほら、私ちゃんと彼氏いるし、ね」


「ふーん」


 誤魔化すようにニコッと微笑むが、その行動の一つ一つが常に怪しい。


「彼氏いたら、他の人を好きになっちゃダメなんですか?」


 直海の唐突な質問にドキッとする。


「そ、そりゃそうよ。直海ちゃんも大人になればわかるわよ」


「でも、『この人いいなぁ』って思ったりしますよねぇ?」


「まぁ、それは……」


 痛いところを突かれたと彩音は目を泳がせながら遠くを見る。


「それがあの人なんですね?」


「だから違うって」


 必死に否定するが、どことなく嬉しそうだった。

 直海の目に映る彩音の目は明らかに恋をしていた。


 ───図星じゃん……


「じゃ、じゃあ私、千夏のフォローしなきゃだから、戻るね」


「え?千夏さんに声かけないんですか?」


「あ、ほら、邪魔しちゃ悪いし、ね」


「そうですか」


 そそくさと退散する彩音。

 最後に直海にニコッと微笑んだが、その視線は直海を越えて向こうに見える孝太郎に向けたものだと、直海にははっきりとわかった。


 彩音を見送った直海はそのまま注文を受け厨房へ向かうと、千夏が孝太郎の盛り付けを待っていた。

 凛とした顔立ちをくしゃっと潰して笑う千夏の横顔。

 直海は千夏の横顔に気を取られる。


 人それぞれ魅力がある。

 でも自分の魅力が桝屋さんに勝ることなんて絶対にない、と。


「桝屋さんは相変わらず美人さんだなぁ」


 直海の独り言は誰の耳に入ることもなかった。

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