第12話 「もう少しこのままで……」

「あいつ、どこ行きやがった!」


 逃げたオウムを捕まえようと必死に追いかける一人の女性がいる。

 千夏である。

 その姿からは、見つけた蝶々を捕まえるのに必死な幼女の無邪気さが溢れていた。


「桝屋さん、待って!(まぢで待って!速いって!)」


 かたや、上半身ずぶ濡れで千夏の後を嫌々追いかける女性がいる。

 彩音である。


 二人が駐車場へ向かうと、緑地帯に右手にゴミ拾い用の火バサミ、左手にゴミ袋を握りしめぼーっと何かを見つめる男性がいた。

 孝太郎である。


「孝太郎、なにしてんの?」


「あ、桝屋さん。あれが飛んできたんです」


 孝太郎の指差す方に指名手配の脱獄鳥が止まっていた。


 駐車場には所々に緑地帯が存在し、隣接施設との境界の役目もしている。

 芝生が敷き詰められ緩かな坂になっている箇所に数本樹木が植えられており、脱獄鳥はその樹木にちょこんと鎮座していた。


 彩音が恐る恐る近づくが、やはり人間慣れしているのか別段飛びたつ様子もなく、大きなあくびをし気持ち良さそうに日光浴をしている。

 ほとんど真下まで近づくが、全く飛び立つ様子はなかった。


「どーしたらいいの?」


 小声とジェスチャーで千夏に訴えかける。


「知らないよ」


「千夏が捕まえようって言ったんでしょ!」


「んじゃ、ほら、呼んで!」


「え?なんて!」


「名前なんか知らないって!なんか適当に呼んで!」


「私そんなのわかんないよ!」


「はやくしないとまたどっか行っちゃうって!」


 千夏は明らかに彩音の反応を楽しんでる。

 その時だった。

 脱獄鳥がバサッっと漆黒の翼を広げ、下界へ滑空する。


「「あっ!」」


 千夏と孝太郎の声が重なり、鳥を追う二人の目線が弧を描きながら彩音に着地した。


「んひぃっっ!!!」


 バッサっというけたたましい音と共に突如黒い物体が彩音の左肩に舞い降りた。


「ち、ちなつー。あ、わ、ま」


「落ち着け、彩音。落ちっ……ぐふっ」


 笑いを堪えるのに必死な千夏はそれ以上なにも言えず、腹を抱えてしゃがみこむ。

 もちろん、助けを乞う彩音を直視することなど全くできなかった。

 一方、彩音の左肩では漆黒の怪鳥が奇っ怪な雄叫び(あくび)をあげる。

 そして、その漆黒の翼が彩音の髪や顔を擦る度、彩音の左半身はぶるっと震え硬直した。

 そのひきつった左頬をゆっくりと一筋の涙がつたう。


「いるよね、いるよね!ねぇ!」


「朝倉さん、落ち着いて。そのまま、そのまま動かないで」


 孝太郎がゆっくりと彩音に近づく。


「今からその鳥に飛びかかります。そのタイミングで朝倉さんはしゃがんでください」


「せ、先輩……」


「大丈夫。絶対俺が助けるから。できるな?」


 恐怖で瞳に涙を浮かべながら、こくんと頷く。


「もう少し……」


 孝太郎が一歩、また一歩彩音に近づく。


「動いちゃダメよ、彩音。んで、よ、横見ちゃ……ふふっ」


 笑腹痛から復活した千夏がからかい半分で彩音の恐怖心を煽る。


「ちなつーー!てっめぇーーー!」


 火に油を注ぐ千夏に彩音の怒りが沸騰する。

 彩音の叫び声に、黒鳥がびくっとし飛び立つ気配を見せた。

 それを察知した孝太郎は今しかないとまっすぐ黒鳥に飛びかかる。

 が、案の定、漆黒の怪鳥は優雅に大空へ羽ばたき飛んで行った。


「逃げるな!待て!!」


 千夏は漆黒の怪鳥を追ってどこかへ走り去っていく。


 残された二人。

 彩音に飛びつく体制になってしまった孝太郎は、このままでは危ないと彩音を抱き締め、そのままの勢いで芝生へ倒れこみ坂をコロコロと転がっていった。

 倒れる瞬間、孝太郎は彩音の頭と体を守るように抱き締めた。

 熱く抱擁しあいながら二人はコロコロと転がっていく。

 彩音は終始目を閉じていたが、転がり続けている間、ずっと孝太郎の服をぎゅっと握りしめていた。

 黒鳥の恐怖からの解放感と孝太郎にぎゅっと抱き締められる感覚が、彼女の胸を熱くさせる。


 次第に傾斜はおだやかになり、孝太郎が上になる形で動きが止まった。

 彩音の右頬と孝太郎の右頬とがぴったりとくっつくき、お互い息が荒い。

 孝太郎の息が荒いのは、一瞬の出来事への対応の為。

 彩音の息が荒いのは、一連の流れに加えて、孝太郎に抱かれながら彼女の耳にかかる彼の荒い息が彼女の心のどこかを刺激した為だった。


 ───もう少しこのままで……


 彩音は心のどこかでそう願う。

 しばらくして、興奮の収まった彩音の目から大粒の涙が流れ出した。


「うえーん、先輩ぃぃ」


 彩音に覆い被さる形だった孝太郎はゆっくりと上半身を持ち上げた。


「痛っ!彩音ちゃん、大丈夫?」


「先輩ぃ、めっちゃ怖かったです」


「ごめん。怖かったろ?よく耐えたね、偉いよ」


 彩音の瞳をじっと見つめながら、孝太郎は彼女の頭をよしよしと撫でる。

 落ち着き始めた彩音だったが、優しく微笑む孝太郎の顔を見ると鼓動は再び大きく脈打ち始めた。


「それよりどっか痛くない?」


「あ、いえ、私は大丈夫ですけど。先輩は?」


「うん。腕痛い」


「ですよね!すぐどきます」


「待って、もう少しこのままでいい?」


 孝太郎はそう言うと再び彩音の上に倒れこんだ。


「へ?」


 その一言で、その仕草で、胸がきゅんとなる。


 ───もう少しこのままで、って……


 頭の中を孝太郎の声と言葉が駆け巡り、彩音の胸はますます苦しくなった。


「ごめん。腕痛くて動かせない……」


「あはは。ですよねぇ……」




 ******




 その後、事務所で着替えを済ませた二人のもとへ、千夏が不満気な顔をしながら帰って来た。

 千夏の話によると、結局あのオウムはあちこち逃げ回った末、無事にお縄にかかったようだ。


「明美のばばあが網持ってきやがった。最初っからそーしろ」


「こら!そーゆーこと言わない!」




 ******




 仕事終わりの一時。

 待ち合わせのペットショップ。

 彩音と千夏はお縄にかかり牢に入れられたオウムを見ながらさっきまでの思い出話に花を咲かせていた。


「残念だったね、彩音。風邪ひいたらまた看病してもらえたのに」


「ちょっと、千夏!冗談でもやめて」


 拒否はしてみたものの、彩音は顔をほんのり赤くさせ、まんざらでもないような表情をした。


「ところでさ、彩音」


「ん?」


「千夏がこいつ追いかけてったときさ。孝太郎に抱かれて嬉しかった?」


「へ?そ、そんなことないよ?」


「そっか」


「なんで?」


「いや、いっそのこと……」


 そう言い出した時の千夏はどこか悲しそうに見えた。


「いっそのこと、彩音が孝太郎とくっついてくれないかなぁって思ってさ」

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