閑話 ~孝太郎の闇と正体~

第10話 「朝倉……彩音……」

 ━今回は孝太郎目線で話が進みます━


 彼女との出会いが僕の人生を変えた。

 こんなことを言うと彼女はきっと怒るだろう。

「あなたが勝手に私の人生に入ってきただけだ」と。

 これは僕、伊藤孝太郎と僕が世の中で1番忌む女、篠原理恵との出会いの話。



 ******



 ━孝太郎が彩音の前に現れる四年前━


 あの時、僕は病室で目覚めた。

 死の恐怖に襲われ目覚めたが、すぐ側に母の存在を感じ生きてるという実感が湧いたことを覚えている。


 母から救急搬送されたと聞かされたが全く覚えていなかった。

 目覚めた場所は完全な個室で、あまりにも我が家の収入では不釣り合いな個室だった。

 金銭的なことが気になったので母に尋ねたが、その事は心配しなくていいと言う。

 母も連絡を受けて病院に着いた時にはここに意識のない僕が寝ていたそうだ。


 しばらくして病室をノックする音が聞こえた。

 母が返事をすると、扉が開き、そこには一組の男女。

 女性の方はスーツ姿で、どこか怪我をしているらしく松葉杖をつき頭には包帯が巻かれていた。

 男性の方は華奢な体つきで、スーツがあまり似合ってない印象を受けたのを覚えている。


「お母さん、ちょっとよろしいですか?」


 母が男性に呼ばれ部屋を出ていく。


「費用はこの人達が全額負担してくれるらしいの」


 母は小声で囁き、そのまま病室の外へ出ていった。

 松葉杖の女性は母とすれ違い際に軽く会釈をし、入れ違いに僕の傍らにやって来る。


「伊藤孝太郎……君?」


「はい」


 これが僕と、後に僕がこの世で一番嫌悪感を抱く女性、篠原理恵とのはじめての会話だった。


 篠原さんはとても美人で年齢不詳で、謎めいた雰囲気をもち、真っ黒でキレイなロングストレートの髪と包帯の白とのコントラストが見事だった。

 優しく微笑む篠原さんを見ている内にはっきり甦る。

 この人と僕に何があったかを。


 ******


 僕が目覚める数時間前。

 僕はまだから立ち直れず、定期的に通院していた。

 何気なく病院からの帰り道をいつもと違うルートで歩いていると、少し入り組んだ路地裏から声が聞こえ、何事かと覗くと篠原さんが倒れていた。

 周りには黒のスーツを身に纏った男性が数名。

 篠原さんを激しく罵りながら彼女を蹴っていた。

 彼女の顔は血で染まり、吐いた血が辺りに飛び散っている。

 とっさに体が動いた。

 今思えば、それが後悔への始まりだったに違いない。

 止めに入ったが案の定胸ぐらを捕まれ、息苦しくなり……

 覚えていたのはそこまで。

 発作と過呼吸で苦しくなり、意識が飛んだのだろう。

「やばいぞ、逃げろ」って声が聞こえたのは覚えているが、その後どうなったかは知らない。

 だが、今ここにいるということは結果的に篠原さんも僕も助かったのだろう。


「ありがとう。君のおかげで助かったわ」


 結果的に僕が篠原さんを助けた形となっていた。


「ところで、あなたのこと調べさせてもらったわ、伊藤孝太郎君」


 そう言いながら篠原さんは僕の寝ているベッドに腰掛ける。

 さっきまでの優しく好意的な顔は冷血な微笑に変わっていた。


「ずいぶんと大変な思いをしたみたいね。まぁそんなの、あなただけじゃないしどちらかというと個人的にはあなたのこと、負け組って思ってるから」


 果たしてそれは命の恩人に言うことなのだろうか?

 僕を調べたとはどういうことなのか?

 疑問だらけだった。


「あなたは私を救った。この出会いは私達にとって運命よ?そう思わない?思わないの?じゃあ教えてあげるわ。単純よ。都合のいいことだけ運命って思いたいの。仕事も恋愛も人生も。誰だってそうでしょ?都合のいいことだけ受け入れたいの。それを運命ってゆーの。ほんと、バカバカしいわ。だからあなたは仕事を辞めたこと、運命と思ってるんでしょ?辞めたんじゃなくて逃げたのかな?辛い現実から。目を逸らしたかったのよね?それ以外の理由なんてないでしょ?だからあなたは心のどこかでこう思ってる。仕事を辞めたのは運命だって。逃げたんじゃないんだって。そりゃそうよね。そう思った方が楽だもん。逃げたのは自分の意思じゃない。運命だって。あ、逃げてないって思ってたんだっけ?でも、自分の行動が正しいって認めたいのよね?じゃあやっぱり逃げたんじゃないの?仕事じゃなくて辛い現実から」


 早口で何を言っているのか全くわからなかったが、終始僕は苛立ちを隠せなかった。

 なぜなら、彼女の発言が僕の過去を侮辱し中傷しているように感じたからだ。


「前置きはここまでにして。君にお願いがあるの。私の仕事、手伝ってくれない?」


 唐突な話に僕は混乱した。

 あとから彼女に教えてもらったのだが、これは『ドアインザフェイス』と『ダブルバインド』という心理テクニックの応用だそうだ。

 完全に混乱し判断力のなくなった僕は彼女の言葉を理解する前に首を縦にするより他なかった。


「探してたの。君みたいな男の子。別段イケてるわけでもなく、どこかですれ違っても気にもとめないけど、でもどこかでみたことあるような男の子。お願いしたいのは『他人の人生の邪魔をする仕事』ってとこかしら。他人の人生のひとコマに土足で立ち入る仕事よ」


 彼女は早口に一気に彼女の要求のみをひたすら僕に語る。

 今思えば、あのときの僕は完全に放心状態だった。


「別れさせ屋」


 彼女は確かにそう言った。


「聞いたことない?恋仲の二人を自分達の意思で別れさせる。その手助けをあなたにしてもらいたいの。できるわよね?伊藤孝太郎君?」




 ******




 その後、退院した僕は彼女と頻繁に面会することとなった。

 待ち合わせはいつも、彼女の事務所の近くのカフェ。

 彼女の本職は弁護士らしいが、仕事柄探偵業とも繋がりがあるらしい。

 彼女は僕に心理、政経、法学、サブカル等の色々なことを教えてくれたが、そういった知識が増えるにつれ僕は彼女を気持ち悪く感じるようになっていった。

 僕に持ちかけてくる話はあまり知られたくない話らしく、詳しく聞いても答えてはくれない。

 その後何度となく依頼され、その度に他人の人生のひとコマに、僕という人間との甘く辛い一時が差し込まれた。

 ターゲットに違和感なく近づき、知り合い、心を引き寄せ、惚れさせ、自ら別れを切り出させる。

 その後、役目が終われば即座に姿を消す。

 時にはターゲットの相手の反感をかって暴力を受けることもあったし、場合によっては法外なことをすることもあった。

 その度に警察のお世話になったが、毎回翌日には彼女が迎えに来てくれた。

 何をしたかはわからないが、全てなかったことになっていた。



 ******



 ━孝太郎が彩音の前に現れる二ヶ月前━



 また、彼女から呼び出された。

 いつもの待ち合わせのカフェ。

 道を行き交う人々の目に僕はどう映っているのだろうか?

 僕のやっていることを知ったら、どれだけの人が僕を蔑んだ目で見るんだろうか?


 由依とはしばらく会ってないが、徹と別件で手を焼いていると聞いている。

 ベルが遠くからこっちを見ている。

 あの金髪のハーフは嫌いだ。

 いつもの監視役か暇潰しに見に来たんだろう。

 莉歌の姿が見えないので、今回は僕一人の呼び出しらしい。

 やっぱり莉歌のことを考えてしまう。

 莉歌のことが心配だ。


 そんなことを考えていると、篠原さんが来た。

 ハイヒールの音でわかる。

 簡単な書類だけ渡され、後日事務所に来るように言われた。

 なにも注文せず、そのまま立ち去る。

 いつものことだ。

 彼女の言う事務所とは、つまりは現在の僕の職場、新たな就職先だ。

 その書類には今回の主だった内容、つまり別れさせてほしいという依頼の文章が小難しく書かれていた。

 堅苦しく書かれた日本語の羅列に見覚えのある名前を見つけた。


「朝倉……彩音……」


 一人残された僕は、ぽそっとその名前を呟いてみた。

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