第4話 「……両親がなんですか?」
「……あーでね、あそこにいるのが源さんで色々なんでも知ってんのよ。千夏らいなかったら源さんに聞いて。孝太郎のことは話してあるから」
「わかりました」
「千夏は昼から岩盤だし、こことあそこ中心に見るから孝太郎は後ろついて来て」
「はい。で、桝屋さん。あっちの施設はなんなんですか?」
「あれ?あれはスパ関係じゃなくてBBQとかのレジャー関連の施設。で、こっちっ側に見えてるのがプール関連の施設。あっちにもスパ施設はあるけど、うちには勝てない。だってうちはスパが本業だもん。で、そのスパ関連の施設を仕切ってるのが彩音ってことになるの」
「へー!すごいですね」
「でしょ!千夏もそこだけは彩音に頭があがらんのよ」
横一列で仲良く会話しながら歩く三人。
久しぶりの同年代の従業員に浮かれているのか、彩音をいじるネタを探しているのか、千夏はどことなく上機嫌である。
孝太郎はその横で愛想よく相槌しながら興味津々に辺りをきょろきょろしていた。
そしてそのおしゃべりな千夏の横で、不機嫌にふてくされている女性がいる。
彩音である。
初対面とは思えないほどざっくばらんに会話している千夏と孝太郎に対して、楽しみにしていたデザートが食べれなかった彩音は誰が見てもわかるぐらいあからさまに不機嫌な顔をしていた。
彩音の不機嫌の原因は二つ。
デザートを食べられなかったこと。
孝太郎のことを聞かされておらず、それが自分の業務に支障をきたしていること。
割合としては後者の方がダントツで大きい。
自分の業務に支障をきたしている、と考えているが簡略な放置プレイの研修だったので実際はなんの支障もきたしてはいない。
しかし、そう考えないと自らの苛立ちの正当性を自らに主張できないのであった。
もっともその苛立ちの中には、孝太郎に馴れ馴れしく接する千夏への嫉妬も含まれているのだが、「そんな嫉妬は抱いていない」と必死に自分自身に言い聞かせる。
千夏と孝太郎の会話は弾み、ますます盛り上がっていく。
しかし、千夏の耳は「教えてくれないと色々と準備があるのに」「せっかく楽しみにしてたのに」とぼそぼそ呟く亡霊が如き彩音の独り言をちゃんと聞き取っていた。
千夏は普段のイラつき方と違う彩音に違和感を感じ始める。
「おっと!そろそろ戻ろっか!」
彩音の態度を察したのだろうか。
時間的にはまだ余裕があったが、千夏は早めに散策を切り上げることにした。
来た道を帰りながら、千夏と孝太郎はざっくばらんに会話を続けている。
千夏は会話に入ってこない彩音を不安気に横目で見ては興味を沸きそうな話をしてみるが、一向に会話に入ってこない。
一か八か、素朴でプライベートな質問を孝太郎に投げ掛けた。
「孝太郎は彼女いるの?」
ふいに話が変わったため、孝太郎はきょとんとした顔になる。
「いません。桝屋さんは?」
「いないー。てかつくらない。いらないし」
「そーなんですね」
「あ、でも彩音は彼氏いるよ」
「へー」
孝太郎がちらっと彩音の方へ視線を向ける。
孝太郎も機嫌の悪い彩音を気にかけていたようだが、どこか意識的に避けている様子もあった。
「彩音のこと狙ってた?」
孝太郎の視線を読み取った千夏は、半笑で直球の質問を投げかけた。
「いいえ、全然」
まるで初めから用意していたかのようなつまらない答えを聞いて、千夏は彩音の反応を伺った。
彩音の不機嫌の原因の一端を自分も担っていると自覚していた彼女は、なんとか彩音の機嫌を治そうと必死なのである。
「残念だったね、彩音」
「ん?あ、そうね」
普段ならこの手の会話の流れは、千夏と彩音の間で笑い話になるのだが、彩音はいつになく不機嫌に且つ素っ気なく答えた。
「でもさ、彩音とあいつはもう別れるんでしょ?」
「いやいや、別れるとかないから」
「別れたほうがいいって。てかさ、そんなにラブラブだっけ?」
「ラブラブ……ではないけど、あの人私いないとダメだし」
「でた!利用されるだけされてポイされる典型的な女のパターン」
「はぁ?なにそれ!最低」
和やかな雰囲気に持っていこうと、千夏はいつものように彩音をいじった冗談を言ったつもりだったが、かえって機嫌を損ねる形となってしまった。
千夏と彩音の間に微妙な空気が漂う。
「まぁまぁ二人とも」
なんとなく雰囲気を察した孝太郎が、話題を変えようと二人の空気の中に入ってきた。
「それより、二人ともここから家は近いんですか?」
「千夏は近いよ。実家がこの近くにあるからバイトもおのずとここになったって感じ。彩音は彼氏と同棲してるけど……」
「ちょっと千夏!今その話どうでもいいでしょ!」
いつになく声を張り上げる。
さすがの千夏もこれには驚いたらしく、言い返すことができなかった。
「朝倉さん、同棲されてるんですか?」
「えぇ、まぁ……、はい……」
孝太郎に話しかけられ冷静に返答はしたものの、相変わらず素っ気ないものだった。
「でも、同棲してると実家のご両親が心配されませんか?」
孝太郎がごくありふれた質問を、投げ掛ける。
まさにその瞬間。
二人の間にいた千夏の顔が一瞬で青ざめる。
もともとぱっちりだった目をさらに大きく見開き、顔面蒼白とはこの事だとばかりの表情になった。
その表情からは「今日1日終わった」という絶望感が安易に読み取れる。
目には見えない地雷。
触れてはいけない空気。
決して口に出してはいけない話題。
孝太郎は彩音との会話ではタブーとされている話題を、なんの悪気もなくしてしまったのだ。
「あ、そ、そだ、彩音!こないだ行ったクラブでさ」
千夏は慌てて話を変えようと彩音の方へ向き直るが、既に遅かった。
恐ろしいほどの形相で孝太郎を睨み付ける彩音。
「……なんですか?」
細く冷たく、それでいて怒りに震えた彩音の声。
「え?」
状況を飲み込めない孝太郎の気の抜けた返事。
次の瞬間、彩音は目の前に立つ千夏を思いっきり両手で払いのけると、千夏はその勢いで倒れ、尻餅をつく。
払いのけた勢いそのまま孝太郎に詰め寄り、彼の襟元を両手で掴み上げた。
とっさのことにバランスを崩した孝太郎はそのまま壁へ叩きつけられる。
ドンッ!!
「……両親がなんなんですか?」
重く鈍い衝撃音と甲高い怒号が辺りに響く。
息を荒くし、物凄い剣幕で孝太郎を睨み付ける。
なすがまま壁に押し付けられ動けない孝太郎。
彩音の口から悲憤慷慨な怒号が暴れだす。
「ねえ!両親がなんだってゆーの!あなたに関係ないでしょ!あんな人たちのことなんて、私には関係ないの!あなたに何がわかるってゆーの!答えて!ねぇ答えてよ!私はもう邪魔されたくないの!私は私!それがわからない!ねえ!私は私の人生を生きるの!!」
次第に大粒の涙が彩音の瞳を滲ませる。
孝太郎はなにもできず、ただ茫然としていた。
「いい!誰も私の生き方に口出しなんてできないの!私が考えて私が決めるの!私が決めたことにあれこれ言うのはやめて!もう嫌なの!もううんざりなの!お願い……私は、私の人生を生きたいの……お願いだから、邪魔しないで……」
彩音の怒号は、いつしか泣き叫ぶ女性の悲痛な訴えへと変わっていた。
「そうよ、これは私の人生!私が誰を好きになって誰とどうなろうが私の勝手なの!
誰かを愛するのは自分の自由だって、自分の責任だってちゃんとわかってるの!」
感情が高ぶり、より一層孝太郎の襟元を締め上げた。
堪えきれない涙が頬を伝い、顎から落ちる。
その時。
我を忘れた彩音の背中に、温かい物がそっと触れる。
「……大丈夫だよ、彩音」
千夏の優しく穏やかな声。
彩音を後ろから優しくぎゅっと包み込む。
千夏の目も、うっすら滲んでいた。
「大丈夫……大丈夫だから。そうだよ、彩音……彩音は彩音だよ」
諭すように千夏が続ける。
「これは彩音の人生。どうしたいかは彩音が決めればいいの」
穏やかな表情で優しく彩音を抱擁する。
息を荒げながらもようやく落ち着いた彩音は、脱け殻のようにうなだれる。
千夏は孝太郎の襟元を握りしめた彩音の手をゆっくり解きほぐし、その手をぎゅっと握りしめ、静かに孝太郎から離した。
孝太郎は胸に手をやり、茫然とその場に立ち尽くす。
「ごめん、孝太郎。ちょっと彩音を休ませてくる。しばらくしたらまた来るから色々見学してきて」
うなだれた彩音の手をしっかりと握りしめ、千夏はその場を去ろうとする。
だが、それができなかった。
できなくなった。
ドサッ……
鈍い音と共に、千夏に本日2回目の「今日1日終わった」が発生した。
音のした方を振り替えるが、そこに立っているはずの孝太郎がいない。
目線を下にやると、1人の若い男性が胸を押さえながら、息苦しそうに倒れていた。
それは紛れもなく、孝太郎その人である。
彩音の叱責に混乱し、まるで過呼吸にでもなったかのように倒れこんでいた。
「なんだこれは……」
さすがの千夏も、これには動揺を隠せず、思ったことが口から出てしまう。
だが、心のどこかで非日常なその光景と出来事に少しうきうきしている千夏がいた。
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