デザート+毒親(地雷)=過呼吸!?

第3話 「彩音も一緒にくるよね?」

 孝太郎は彩音にとって、ある種の憧れの先輩だった。

 初恋の相手ではないが、彩音の人生で初めて自分から告白した男性。

 そんな孝太郎が自分の仕切る職場に配属され、且つ部下となるという急な展開に、普段以上にあわあわしていた。

 一方の千夏は、そんな彩音をどうやってからかおうか考え心踊らせている。


 孝太郎をネタに千夏が面白半分で絡んできているいうこともあるが、客観的に見て彩音はなぜかイライラしていた。


 つまるところ、彩音はイレギュラーに弱い。

 最初はあわあわするが、ものの数分でその原因に対してイラつき始める。

 千夏がいれば彼女がフォローして終わるのだが、いない時はそこそこ機嫌が悪い。

 八つ当たりや嫌味な言動に出たりはしないが、逆に彩音が機嫌悪いのを見て周りの従業員が「今日は桝屋休みか」とわかるほどだ。


 彩音のイライラの原因は、三宅支配人との一連の流れにあった。

 通常、新規従業員が配属される際は前もって彩音に連絡が入る。

 スパ単体ではなく複合施設での採用となるため、採用人員の配置は各支配人が決め、配属日時などが予め伝えられる。

 そこから研修予定やシフト調整を組み立て、最終的な労働時間や人件費、利益見込みを確定させていた。

 しかし、今回は彩音にその連絡も相談も何もなかったのだ。

 イレギュラーが起こると勝手にテンパって次第にイライラし始める。

 彩音はそういう性格の持ち主だった。




 彩音の提案で、午前中は彩音が簡単な研修をし、休憩をはさんで午後に千夏が彼女の通常業務の傍ら孝太郎の面倒をみることとなった。

 簡単な研修といっても直接孝太郎に教育するのではなく、研修映像の視聴や会社概要の映像説明など事務的なものである。

 もっとも、急な展開にイラつき出した彩音にとっては、イライラしながらあれこれ教えるよりも事務的な放置プレイ研修のほうが都合がよかった。


 資料映像をみながら、孝太郎は配布されたテキストを確認しつつ映し出される映像の数々を、あくび一つせず真面目に視聴している。

 一方でパソコンとにらめっこしながら、時折孝太郎を横目でちらちらと確認する。

 どのように孝太郎に接していいのかわからず、意味もなくパソコンに向き合う。


 パソコンの液晶に自分の荒れた唇が映る。

 その唇が無意識にあの日の記憶をこじ開けようとする。

 唇を重ねたあの瞬間を……


 ──痛っ!


 無意識に触っていた唇に、ずきりと痛みが走る。

 数日前に切れた箇所がまだ治ってなかったようだ。

 我に帰り慌ててキーボードをタップし、すでに作成したデータファイルを開いては閉じ開いては閉じを繰り返し、忙しくて手が離せない雰囲気を必死に醸した。


 放置プレイな研修も終わりが見えてくるにつれ、二人の間に変な緊張感が漂い始める。

 彩音だけがテンパっているだけなのだが、それが無自覚に、彼女の心にイライラを重ねていく。

 

「朝倉さん、終わりました」


 ふいに孝太郎に話しかけられ、びくっとなる。


「あ、はい、では少しお待ち下さい」


 目も合わせず、事務的な返事で済ます。

 彩音の緊張を感じ取ったのか、孝太郎は優しい口調で話しかけた。


「彩音。めっちゃ久しぶりだね。俺が卒業して以来?」


 少し照れの入った、しかしはっきりとした聞き取りやすい声。

 以前と変わらず気さくな孝太郎のその一言で、胸の緊張は溶けていく。


「もー。いきなり先輩が現れたからびっくりしましたよ!」


 そう言うと、さっきまでのピシッとした姿勢から、力が抜けたようにだらんと椅子の背もたれにもたれかかる。


「俺も。彩音がいるならもっとシャキッとしたらよかった。朝早いしめっちゃ眠い」


「ですよね。私はもう慣れましたけど。あ、でも先輩って確か結構おっきな会社に就職したんじゃなかったでした?」


「まぁ、うん」


「彩音ー、おつかれー」


 二人が和やかに話始めたところへ、タイミングを見計らったように千夏が事務所へ戻ってきた。

 その和やかな雰囲気を察しつつ彩音に視線をやると、微かに顔がにやけている。

 それを見た千夏はどこかおかしくて吹き出しそうになった。

 どうやら千夏にしかわからない、彩音の女の表情があるらしい。


「ごめんごめん、大事なところに」


「なにそれ!あ、ちょうど研修終わったところだから。千夏も行けるならこのまま休憩行こっか」


「え?いーよいーよ。あとちょっとやることあるし、それに……ね♪」


 邪魔物者消えるよ、とでも言いたげに彩音に目配せする。

 その態度にイラッとし、睨み返す。


「なに?千夏」


「いやいや、なんでもなんでも」


「なんでもなによ!」


 珍しく声を荒らげる。

 怒鳴るまではいかないが、機嫌が悪いことはその言動から察しがついた。


 千夏は必要な備品を取りに来ただけらしく、手慣れた様子で作業しながら時計を見る。


「てか、やることって言っても十分以内に終わるからすぐ戻ってくるー。そのあと休憩いこ!……三人で!」


『三人で』という余計な一言を置き土産に、千夏は事務所から出ていった。

 その『三人で』という余計な一言に彩音は全くいい気がしない。

 普段なら全く気にも止めないし、逆に冗談で返すようなやり取りだが、この日に限っては妙にその言葉が引っ掛かった。


「こっちは目処ついてるから待ってるね」


 苛つきを抑えながら作り笑顔で懸命に笑う。

 だが、その口調は確実にイライラしている時のものだった。


「おけおけ。すぐ戻ってくる」


 そう言って千夏は、そそくさと事務所を出て行き、戻ってきたのはそれから数分後のことであった。


 その間、彩音と孝太郎は思い出話に花を咲かせていたが、孝太郎が自分の話をすることは一切なかった。


 ******



 三人で休憩をとる。

 彩音はコンビニ惣菜パン。

 千夏は意外にも自作のお弁当。

 休憩室はいつものように二人の女子トークで盛り上がっている。

 軽く食事を済ませた孝太郎が、ふいに立ち上がった。


「ちょっと色々見学してきます」


「あ、待って。私たちも行く」


 そういって立ち上がり孝太郎を呼び止めた千夏であったが、いつもと違う展開に足が止まる。

 普段なら、彩音も一緒に立ち上がり、行動を共にするのが常であった。

 しかし、彩音は自分の前にある食後のデザートを、目を輝かせながら見つめている。


「あれ?彩音行かないの?」


「え?うん。私、これ食べなきゃいけないし」


 彩音の前には今日新発売のコンビニスイーツが数点並んでいた。

 シュークリームにエクレア……

 中でも『生クリーム増量!!(当社比)』と書かれたプリンの入った小さなパフェを見て、目を輝かせていた。

 誘っても一切目を合わせず、ただ食後のデザートを頬張ることしか頭にない彩音の空返事。

 千夏はついムキになって誘い返す。


「えー。一緒にいこーよ。冷蔵庫いれときゃ大丈夫だって」


「でも、これ今日発売の新商品で早起きして手に入れたやつだし。今日のお昼はこれ食べるって決めてたから」


 千夏を上目遣いにちらっと見上げる。

 その仕草を千夏は愛しそうに見下す。


 ──ほんと、かわいいな。いじめたくなる。


「彩音……」


 彩音の思いを受け入れたことを伝えるかのように、千夏の唇が艶かしくゆっくり動く。


「千夏……」


 千夏へ思いが通じたことへの安堵の吐息と共に、彩音も同じように唇をゆっくり動かした。

 楽しみにしていたデザートが食べられることへの感動と安堵で目をうるうると潤ませる。


 名前を呼びあいお互いを見つめあう。

 仲の良い二人にしかわからない心地よい沈黙。

 

 



「彩音も一緒にくるよね?」


「へ?」


 至福の一時が約束された彩音を、千夏が満面の笑みで潰しにかかる。


「一緒にくるよね?」


 もはや彩音に返答の余地はなかった。

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