~復讐の夜~ 9

「ありがとうございました」

 幸恵は真樹に向かって頭を下げた。暫くしてバーに来てみると、すでに香奈の姿はなかった。真樹はカウンターでカクテルを飲んでいたのを中断し、慌てて腰を上げる。

「お疲れ様でした。いかがでしたか?貴方の要望通り、香奈様が復讐を実行するタイミングで、ここにお越しいただきましたが。香奈様は無事、復讐の方は諦めていただけますかね?」

 幸恵は苦笑いして返答する。

「いえ、それは分かりません。私に似て、あの子も頑固なので。でも、きっと前を向いてくれるんじゃないかという希望は持つことが出来ました」

 真樹は満足そうな表情を浮かべる。

「そうですか。それなら、後は香奈様を信じるとしましょう」

「あの子にはまだ先があります。私にはそれが本当に羨ましい」

「五十嵐様、あなたにもまだ先があるかもしれませんよ」

 真樹を見ながら、幸恵は寂しそうに微笑む。

「いえ、私は復讐を実行します。もし、香奈が心変わりして復讐をしようとしても、相手が居なければそれはできません。私は本当の事を香奈に伝えました。これで宗佑が殺されることはないはずです。殺しに行くとしたら加藤でしょう。だから、私が加藤を殺してしまえばいい」

「いいのですか?あなたが復讐を実行したら、もう二度と香奈様を見守ることも、天国で会うことも出来ないのですよ」

 幸恵はそれでも「構いません」と、覚悟を決めている様子だった。

 真樹は「そうですか」と言い、何故かカウンターの向こう側に回る。

「最後に一杯、どうですか?」

 そういえば、ここでカクテルを飲んだのはかなり前だ。カクテルの名前は忘れたけど、美味しかった記憶だけはある。自分の思いを遂げる前に、一杯飲ませてもらうのも悪くない。死んでるからどうせタダだろうし。幸恵はそう思い、カウンターに着席する。

 真樹の手つきは実に軽快で、滑らかだった。前に飲んだときは女性のバーテンダーだったはずで、真樹はその時、カウンター席でスコッチを飲んでいたと記憶している。真樹がその心を悟り、答える。

「そうですよ。私は確かにここで飲んでましたね。普段はちゃんとその女性のバーテンダーが居るんです。でも、きょうはたまたま休暇をいただいておりましてね。私がここに立っているんです。そう、香奈様にもお伝えしましたが、レアですよ。本当に」

 そう語っているうちに、カクテルが完成した。目の前のカクテルグラスに、シェーカーからそのカクテルが注がれていく。

「お待たせ致しました。サイドカーでございます」

 幸恵は何故か、懐かしい感覚に包まれた。

「これは、あの時飲んだカクテルですね」

「そうです。それを先ほど、香奈様にも飲んでいただきました」

 このカクテルが香奈との永遠の別れを告げる一杯になる。そう思うと、感慨深いものがあった。味わいはやはり、感動を覚えるほど美味しい。

 幸恵は香奈と過ごした日々を思い出していた。

 幼い頃は本当に良く、喧嘩をした。私のおもちゃをどうしてもほしいと泣きじゃくる香奈。それを駄目だと言い聞かせた私。取っ組み合いの喧嘩になった。妹なんてもういらないと何度も思った。

 おっちょこちょいなところもあって、家族旅行で行ったキャンプで、香奈は水とお父さんの日本酒を間違えて飲んで、酔っ払ったっけ。お父さんもお母さんもびっくりして、慌てて水をこれでもかってくらい飲ませたりして。

 でも、成長した香奈はどんどんしっかりしていった。そして、私との仲も良くなって、一緒にいろんなところに旅行に行ったなあ。お父さんとお母さんが居なくなってから、二人で生きてきた時間は、本当に輝いてた。

幸恵のそんな思いを真樹は聞こえているはずだが、それを遮ることなく、カクテルグラスを磨き続けている。

「真樹さん」

 真樹を手を止めて「はい」とだけ答える。

「香奈は、香奈は助かるんでしょうか?」

 真樹は持っていたカクテルグラスを置きながら答える。

「それは、私にも分かりません。ただ、香奈様に生きようとする意思がなければ、100%助からないでしょう。ですが、もし、香奈様が生きようとするのであれば、奇跡が起きる可能性もあります」

 幸恵はカクテルをもう一口含んで、目を閉じた。この味を心に刻もうと。真樹が説明する。

「このカクテルの由来については諸説あるのですが、一九〇〇年代初頭にフランスで生まれたとされているカクテルです。五十嵐様が初めてこの店を訪れたときに、偶然か必然か、このカクテルを注文されました。その時に私は驚いたのです」

「驚いたって、何にですか?」

「それは、このカクテルが貴方と香奈様の二人を表しているカクテルだったからですよ。サイドカーのカクテル言葉は『ずっと二人で』ですから」

 両親が死んでから、香奈と二人で生きてきた。その間、家族というものの大切さを実感した。当たり前だった日常は、必ずしも当たり前じゃなかった。でも、香奈は父と母が居なくなってからも唯一の家族として、私の隣にずっと居てくれたじゃないか。私がするべきなのは本当に復讐なのだろうか。

「香奈様もきっと思っているはずですよ。五十嵐様が香奈様に幸せになって欲しいと思っているのと同様に。お姉様にも復讐などに手を染めて欲しくはないはずです」

 幸恵の涙の雫がサイドカーの中に一粒、落ちた。

「そうですよね。私がするべきなのは人を殺すことじゃない。あの子の隣で、ずっと見守り続けることなのかもしれない」

 真樹は微笑んで頷く。すると店の外から除夜の鐘が聞こえてきた。

「年が明けるようですね」

 幸恵にとって、その鐘の音を聞くのは久しぶりだった。残っていたカクテルを飲み干し、幸恵は席を立つ。

「真樹さん、本当にありがとうございました」

 真樹は照れくさそうに頭を掻く。

「こちらこそ、カクテル作りには不慣れな者で、お口に合ったかどうか。それと、お会計の方ですが実はタダじゃないんですよね」

「え?私、もう死んでますけど」

 真樹は笑い声を上げる。

「お会計と言ってもお金を頂こうというのではありません。貴方に探して頂きたいのです。それが今夜のお代になります。どうやら、香奈様も生きる決意をされたようですので」

 香奈はすでに帰宅している。離れていても、その相手の心の動きが読めるというのか。幸恵は驚きながら質問する。

「探すって、何をですか?」

 幸恵は驚きながら真樹の顔を見つめる。


「何って、決まってるじゃないですか。香奈様のドナーをです」

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