第32話

 本城の中奥の御座之間(ござのま)において開廷されることとなった、久方ぶりの将軍御直裁判…、上段には裁判長たる将軍・家慶(いえよし)が着座し、下段には検事団とでも呼ぶべき老中、若年寄、寺社奉行、江戸町奉行、公事方勘定奉行がそれぞれ、上段に着座する将軍・家慶(いえよし)を真ん中に挟(はさ)んで、両側に居並び、そして、被告人の立場である景元(かげもと)はやはり彼ら検事団の真ん中に挟(はさ)まれる格好で、上段に着座する将軍・家慶(いえよし)と向かい合った。尚(なお)、被害者の南町奉行の鳥居(とりい)耀蔵(ようぞう)と目付の榊原(さかきばら)忠職(ただもと)は証人として、被告人である景元(かげもと)のすぐ横に控(ひか)えていた。本来ならば耀蔵(ようぞう)は江戸南町奉行として検事団の一員に加わるべきところ、被害者であるために検事団には加われず、目付の忠職(ただもと)はそもそも、目付の身分では検事団に加わる資格はなかった。


 そして入側(いりがわ)…、廊下には従六位(じゅろくい)に相当する布衣(ほい)以上の諸役人が裁判の行方を注視(ちゅうし)していた。それと言うのも、家慶(いえよし)自身が久方ぶりの将軍御直裁判ということで、従六位(じゅろくい)に相当する布衣(ほい)以上の諸役人の傍聴を許したのであった。家慶(いえよし)は表向(おもてむき)役人、中奥(なかおく)役人の別なく傍聴を許したため、この世紀の裁判を見届けようと、傍聴希望者…、布衣(ほい)以上の諸役人が殺到し、そのため入側(いりがわ)に人が溢(あふ)れかえったために急遽(きゅうきょ)、制限しなければならなくなったほどである。


 さてこうして午前10時過ぎに開廷した将軍御直裁判であるが、まずは検事団の手足とでも言うべき目付の佐々木(ささき)三蔵(さんぞう)の「冒頭陳述(ぼうとうちんじゅつ)」から始まった。三蔵(さんぞう)は耀蔵(ようぞう)や忠職(ただもと)とは反対側、景元(かげもと)の横に控(ひか)えており、吟味調書を読み上げ始めた。


「まったく…、殿中にて暴力を振るうなど、言語道断ぞっ!」


 吟味調書の朗読が終わるなり、勝手掛老中の水野(みずの)忠邦(ただくに)がまずそう怒鳴ったかと思うと、「そうでござろう」と隣に座る老中首座の土井(どい)利位(としつら)に同意を求めた。利位(としつら)は老中首座として、勝手掛老中たる忠邦(ただくに)の上席にあったものの、実際には忠邦(ただくに)が己の「改革」を進めるに当たっての、「弾除(たまよ)け」として利位(としつら)を老中首座に祭り上げたのであり、利位(としつら)は忠邦(ただくに)の「ロボット」に過ぎず、それゆえ、忠邦(ただくに)の言葉には無条件にうなずいた。


 忠邦(ただくに)は利位(としつら)の賛同に気を良くしたらしく、


「されば遠山は現職の大目付であるゆえ、相役(あいやく)にも連帯責任を取らせるべきであろう」


 などと牽強(けんきょう)付会(ふかい)も良いところの論法を持ち出した。これには被害者としてこの場に陪席(ばいせき)していた耀蔵(ようぞう)も忠職(ただもと)もその通りと言わんばかりにうなずいた。


 そこで、「あいや、暫(しばら)く」と若年寄の堀田(ほった)正衡(まさひら)が待ったをかけた。


「何だ?」


 忠邦(ただくに)は不機嫌さを隠そうともせず、不躾(ぶしつけ)に尋ねた。


「されば遠山より事前に…、ことを起こす前に、御役御免隠居の願(ねがい)を預かっておりまする」


 正衡(まさひら)はそう答えると、懐中より景元(かげもと)より預かったその御役御免隠居の願(ねがい)を取り出した。すると家慶(いえよし)は、「許す、これへ持て」と正衡(まさひら)に命じた。正衡(まさひら)は、「ははっ」と平伏(へいふく)してから立ち上がると、その景元(かげもと)より預かった御役御免隠居の願(ねがい)を携(たずさ)えて、下段から上段へと歩み寄り、そして上段の中ほどに着座する家慶(いえよし)の下まで歩み寄ると、そこで立ち止まり、腰をおとして膝立ちとなると恭(うやうや)しく手にしていたその願(ねがい)を家慶(いえよし)の差し出した。家慶(いえよし)は正衡(まさひら)よりその願(ねがい)を受け取ると、「さがって良い」と正衡(まさひら)に命じると同時に、願(ねがい)に目を通し始めた。


「なるほどのう…、確かにこれは紛(まぎ)れもなく、御役御免隠居の願(ねがい)なれば、されば大目付まで巻き込もうといたすのは如何(いかが)なものであろうかのう…」


 家慶(いえよし)は下段に座る忠邦(ただくに)に諭(さと)すように言った。こうなるとさしもの忠邦(ただくに)も、「ははぁっ」と平伏(へいふく)し、大目付にまで連帯責任と称して罪を被(かぶ)せることは諦(あきら)めなければならなかった。


 だが忠邦(ただくに)はその代わり、「さればせめて遠山家そのものを改易(かいえき)に処すべきでござりましょう」と将軍・家慶(いえよし)に対してそう意見具申に及ぶと、


「皆もそう思うであろう」


 と他の幕閣(ばっかく)にも同意を求めた。するとそれに対してやはり正衡(まさひら)が、


「あいや、暫(しばら)く」


 とまたしても待ったをかけたので、忠邦(ただくに)は露骨(ろこつ)に嫌な顔を見せ、一方、それとは対照的に家慶(いえよし)は期待を込(こ)めた顔付きで、「許す、申せ」と忠邦(ただくに)の代わりに指名した。


「ははっ、されば殿中における喧嘩(けんか)は両成敗(りょうせいばい)にて、遠山を改易(かいえき)に処すならば、鳥居(とりい)、榊原(さかきばら)の両名についても改易(かいえき)に処するが妥当かと思われまする」


 正衡(まさひら)が家慶(いえよし)にそう意見具申に及ぶと、景元(かげもと)のすぐ横でそれを耳にした耀蔵(ようぞう)と忠職(ただもと)の両名は当然ながら、「そんな馬鹿な」とでも言いたげな顔をし、忠邦(ただくに)がそんな二人に代わって、「そんな馬鹿なことがあってたまるかっ」と反対意見を述べた。


「されば佐々木が吟味調書を朗読いたした通り、遠山は一方的に鳥居(とりい)と榊原(さかきばら)に暴行を加えたのだ。その間、鳥居(とりい)と榊原(さかきばら)は無抵抗にて、されば喧嘩(けんか)にあらずして、喧嘩(けんか)両成敗(りょうせいばい)の原則が入り込む余地はどこにもあるまい」


 忠邦(ただくに)は反対意見の理由を述べると、耀蔵(ようぞう)と忠職(ただもと)も、その通りだと言わんばかりにうなずいた。


「ほう…、なれどまこと、鳥居(とりい)と榊原(さかきばら)の両名が一方的に遠山から…、遠山一人から暴行を加えられたのだとすると、些(いささ)か具合(ぐあい)が悪いことと相成(あいな)りましょうぞ」


「具合(ぐあい)が悪い、だと?」


「左様。されば仮に、遠山が抜刀し、鳥居(とりい)と榊原(さかきばら)に対して刃傷に及んだというのであれば、なるほど、これに対抗すべく鳥居(とりい)と榊原(さかきばら)までもが抜刀いたして、刀を抜き合わせれば、喧嘩(けんか)両成敗(りょうせいばい)と看做(みな)されて、遠山のみならず、鳥居(とりい)と榊原(さかきばら)までもが罰せられることと…、改易(かいえき)となるやも知れず、それゆえ、鳥居(とりい)も榊原(さかきばら)も御家大事と、それを恐れて刀を抜き合わせることなく逃げ回るのに終始した…、となればそれも致し方ないことでござりましょうが、なれど遠山は抜刀に及んだわけではなく、言わば拳にて襲いかかったのであり、さればそれに対して拳で応戦…、つまり拳を交(まじ)えしところで、喧嘩(けんか)両成敗(りょうせいばい)の原則が入り込む余地はどこにもなく、改易(かいえき)を恐れる必要はどこにもないわけでござりまして、されば鳥居(とりい)も榊原(さかきばら)も遠山同様、武人である以上、拳を交(まじ)えるべきでござった。にもかかわらず鳥居(とりい)も榊原(さかきばら)も遠山と拳を交(まじ)えるどころか、戦意喪失いたして、遠山一人からいいように暴行を…、一方的に殴る蹴るの暴行を受けるだけで、他の目付が遠山を取り押さえるまで些(いささ)かも抵抗を試みぬとは、これでは武人失格でござりましょう。これが百姓、町人であればいざ知らず、百姓、町人を守るべき立場の武人が二人も揃(そろ)いも揃(そろ)うて、たった一人から殴る蹴るの暴行を加えられながらも、一切の反撃(はんげき)を試みぬとは、これでは武人としてものの役にはたちもうさず、されば遠山を罰するというのであれば、鳥居(とりい)と榊原(さかきばら)も一切の抵抗を試みぬとは到底、武人の所業にあらずとして、同じく罰するべきでござりましょう」


 正衡(まさひら)が滔々(とうとう)と語ってみせると…、景元(かげもと)を弁護してみせると、他の幕閣(ばっかく)も皆、うなずいたものである。なるほど、確かに忠邦(ただくに)は怖いが、しかし、それ以上に忠邦(ただくに)の腰ぎんちゃく…、実際には金魚の糞(ふん)に過ぎぬ分際で、何を勘違いしているのか御城でデカイ面(つら)をして闊歩(かっぽ)している耀蔵(ようぞう)と忠職(ただもと)のことを嫌っており、それゆえ忠邦(ただくに)の目を恐れながらも、耀蔵(ようぞう)と忠職(ただもと)の両名の嫌悪感の方が遥(はる)かに勝(まさ)り、正衡(まさひら)の弁論にうなずいた次第であった。これには忠邦(ただくに)も衝撃を受けた。


 それはともかく、正衡(まさひら)の意見、もとい弁論には一理あった。耀蔵(ようぞう)も忠職(ただもと)も武人である以上、無法な行為に対しては抵抗する義務があるのだ。無論、相手が刀を振り回したために、自分も刀を振り回して応戦すれば、喧嘩(けんか)両成敗(りょうせいばい)に問われ、それゆえ刀を抜き合わせることがなかったとしても致し方ないが…、しかしその場合でも刀を抜かずに鞘(さや)で応戦する義務があった…、しかるに景元(かげもと)は刀を振り回したわけではなく、あくまで拳を振り回したに過ぎず、これに一切、抵抗を見せないとは…、つまりは拳を交(まじ)えないとは、これでは武人失格であった。純然たる暴行傷害の被害者に過ぎない、との論法は武人には通用しないのだ。

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