第31話

 大目付の景元(かげもと)が江戸城内にて、南町奉行の鳥居(とりい)耀蔵(ようぞう)と目付の榊原(さかきばら)忠職(ただもと)の二人に暴行を加えた件…、ボコボコにした件は直ちに日記掛の目付であり佐々木(ささき)三蔵(さんぞう)を通じて将軍・家慶(いえよし)の耳にまで届いた。目付は若年寄支配ながら、一々、若年寄を通さずに直接、将軍に対して意見具申に及ぶことができる。そして今日のように江戸城内にて旗本が何か事件を起こしたとなれば、日記掛の目付の出番であった。目付には様々な掛(かかり)があり、それぞれ業務を分掌(ぶんしょう)していた。その中で日記掛とは、殿中における日常を記録する掛(かかり)であった。但し、実際に日記を記録するのは目付部屋坊主であったが、しかし、今日のように旗本が事件を起こしたとなれば、幕府の警察執行部隊である目付が旗本を取り調べることになり、その時、日記掛の目付の出番であった。日記掛の目付は二人おり、うち一人が取り調べ担当、もう一人が記録担当と、ちょうど警察の取り調べのようなものであった。


 だが今回、被害者の一人である忠職(ただもと)は日記掛の目付であったために、もう一人の日記掛の目付である佐々木(ささき)三蔵(さんぞう)が一人で取り調べと記録を担わなければならなかった。事件の当事者である被害者に取り調べをさせるわけにはゆかなかったからだが、それなら目付は他にもいるので、助けてやれば良いものを、目付の業務の分掌(ぶんしょう)は四角四面なまでに厳守されており、他の掛(かかり)の者が助けてやることは許されず、それゆえ、三蔵(さんぞう)が一人でこなさなければならなかった。


 そして、日記掛の目付は…、即(すなわ)ち三蔵(さんぞう)は加害者である景元(かげもと)、及び、被害者である耀蔵(ようぞう)と忠職(ただもと)を取り調べ、その内容を記録したならば、直ちに将軍に事件のあらましを伝える義務があった。


 一方、家慶(いえよし)は三蔵(さんぞう)より事件のあらましを聞かされるや、


「遂にやりおったか…」


 まずはそう思ったものである。景元(かげもと)が陰に陽(ひ)に、鳥居(とりい)耀蔵(ようぞう)よりいじめを受けているらしい…、そのことは既に、家慶(いえよし)も勘付いていた。それと言うのも、御側御用取次(おそばごようとりつぎ)の新見(しんみ)正路(まさみち)より、どうやら景元(かげもと)が耀蔵(ようぞう)からいじめを受けているらしいと、耳打ちされたことがあったからだ。


 それに対して家慶(いえよし)は、耀蔵(ようぞう)を直に呼びつけては訓戒(くんかい)するわけでもなし、さて景元(かげもと)はどうするであろうかと、事態の行方を…、景元(かげもと)はどのようにしていじめに対処するであろうかと、それを見守っていたのだ。


「もしかしたら将軍たるこのわしに泣きつくやも知れぬ…」


 家慶(いえよし)はそう思わぬでもなかった。その時こそ、家慶(いえよし)は直に耀蔵(ようぞう)を呼びつけて訓戒(くんかい)するつもりであったが、しかし、家慶(いえよし)としてはできれば景元(かげもと)にはその手は使って欲しくはなかった。あくまで景元(かげもと)自身の手で解決して欲しいと願っていた。


 家慶(いえよし)のその願いが通じたのか、景元(かげもと)は家慶(いえよし)に泣きつくどころか、いじめの張本人たる耀蔵(ようぞう)を叩きのめし、のみならず、その「腰ぎんちゃく」として有名な忠職(ただもと)まで叩きのめしたというのだから、家慶(いえよし)は内心、快哉(かいさい)を叫(さけ)ばずにはいられなかった。


 無論、将軍としては喜色を浮かべるわけにもゆかず、家慶(いえよし)は難しい顔をしたまま、


「して、遠山は刀を抜いたか?」


 最も重要なポイントを尋ねた。殿中において抜刀(ばっとう)し、刃傷に及んだとなれば、どんなに家慶(いえよし)が景元(かげもと)に同情し、助けたいと思っていても、改易(かいえき)は免れない。


 殿中において刃傷に及び、被害者が怪我程度で済めば、加害者は切腹までには至(いた)らずとも、改易(かいえき)は免れない。そして被害者が死ねば、加害者は「乱心」と認定され、詮議(せんぎ)はそこで打ち切られ、直ちに切腹が命じられる。これはかの有名な「忠臣蔵」以降、確立された江戸城内における「ルール」であり、如何(いか)に将軍と言えどもその「ルール」を掣肘(せいちゅう)することはできなかった。


 だが三蔵(さんぞう)からの報(しら)せによると、幸いにも、景元(かげもと)は抜刀してはおらず、あくまで「拳」での…、それと「足」での、暴行に留まり、家慶(いえよし)は心底からホッとした。抜刀していないとなれば、将軍たる家慶(いえよし)の考えを差し挟(はさ)む余地があるからだ。


 一方、三蔵(さんぞう)はそんな家慶(いえよし)の心中など知る由(よし)もなく、


「されば今ひとつ、遠山が二人に暴行を加えしは、殿中にあらず…」


 事実のみ告げた。


「何と…、そはまことか?」


 家慶(いえよし)は思わず聞き返した。


「まことでござりまする。されば遠山は主に玄関の外にて二人に…、鳥居(とりい)と榊原(さかきばら)に暴行を加えた由(よし)にて…」


 三蔵(さんぞう)の話によると、景元(かげもと)は最初こそ町奉行専用の下部屋(しもべや)に入ろうとしていた耀蔵(ようぞう)を襲ったとのことであるが、その後で戦意喪失した耀蔵(ようぞう)を玄関の外へ引っ張って行き、そして外へ放り投げると、外で本格的に暴行を加え、そこへ景元(かげもと)を止めようと駆けつけた目付の忠職(ただもと)に対しても暴行を加え始めたとのことであり、それは加害者である景元(かげもと)、及び、被害者である耀蔵(ようぞう)と忠職(ただもと)より、それぞれ得られた供述と、それに目撃者の証言などからも裏付けられたとのことであった。


「左様か…」


 これなら景元(かげもと)を助けられるやも知れぬ…、そう確信した家慶(いえよし)は、


「されば将軍御直裁判を行う」


 そう断を下した。将軍御直裁判とはその名のとおり、将軍が自ら裁くことであり、五代将軍綱吉による「越後騒動」などが有名であったが、しかし、今はもう絶えて久しかった。その将軍御直裁判をやろうと言うのである、誰もが驚いたものの、強い反対は出なかった。忠邦(ただくに)でさえ反対はしなかった。それと言うのも、管轄が跨(またが)っていたからだ。


 どういうことかと言うと、加害者も被害者も共に旗本であるため、本来ならば旗本を支配する若年寄が裁判を行うべきところ…、所謂(いわゆる)、若年寄宅裁判になるべきところ、加害者である景元(かげもと)と被害者である耀蔵(ようぞう)は共に、今は老中支配の役職に就(つ)いていたために…、景元(かげもと)は大目付、耀蔵(ようぞう)は江戸町奉行と共に老中支配の役職であるために、老中が裁判を行うべきとも言えた…、所謂(いわゆる)、老中宅裁判であった。


 しかし、もう一人の被害者の忠職(ただもと)が就(つ)いているポストは目付であり、これは若年寄支配であるので、忠職(ただもと)を老中宅裁判に引っ張り出すわけにはゆかなかった。管轄が跨(またが)っているとはつまりはそういう意味であった。


 そこでこれを解決するには将軍直々による裁判、所謂(いわゆる)、将軍御直裁判しかなく、こうして中奥(なかおく)の御座之間(ござのま)にて将軍御直裁判が開廷した。

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