第23話
「この貞通(さだみち)の貞吉(さだきち)への接し方がそれほどお気に召(め)さずば、金四郎殿、そこもとが貞吉(さだきち)を引き取られては如何(いかが)かな?無論、日々の暮らし向きについては不自由せぬよう、仕送りいたすゆえ…」
平然とそう言い放つ貞通(さだみち)の冷血ぶりに、金四郎は思わずべらんめぇ調で、
「ああ、俺が育ててやるともっ!だがなっ、仕送りなんざいらねぇっ!」
そう叫んでいた。しまった、と金四郎は叫んだ後で即座に後悔したが、もう遅い。貞通(さだみち)は、「左様かっ!」と実に喜色を浮かべたかと思うと、
「さればお望み通り、その溝鼠(どぶねずみ)を金四郎殿に差し上げようぞ」
そう言い放ったのである。実の息子を溝鼠(どぶねずみ)呼ばわりするとは冷血ここに極まれり、であった。
金四郎がその冷血ぶりにさすがにギョッとしたものの、それでも貞吉(さだきち)の実父であることに変わりはなく、「それで良いか?」と金四郎は腰をおろして貞吉(さだきち)に顔を向けて尋ねた。
すると貞吉(さだきち)はうなずいたかと思うと、「これからは兄貴に家に住むっ!」と宣言したのであった。これが貞吉(さだきち)もとい正容(まさかた)が金四郎もとい景元(かげもと)のことを、
「兄貴」
と呼ぶようになったきっかけであった。
こうして金四郎は宣言通り、長屋へ貞吉(さだきち)を連れ帰り、二人暮らしを始めた。するとさすがに貞通(さだみち)も気が引けたのか、長屋へ用人を遣(つか)わし、仕送りを届けさせた。金四郎は当初は突っ返そうかとも思ったが、貞吉(さだきち)のために積み立てておくのも悪くないだろうと、そう思い直して、前言撤回、仕送りを受け取ることにした。但し、養育についてはあくまで己の力で稼いだ金で貞吉(さだきち)を育てることにした。すると貞吉(さだきち)も、「俺も働く」と宣言し、金四郎と共にドブ浚(さら)いに汗を流すようになった。金四郎は貞吉(さだきち)が働くことに最初は反対したものの、「俺も働きてぇんだっ」と貞吉(さだきち)に押し切られる格好で、貞吉(さだきち)と共に汗を流すようになった。その代わりというわけでもないが、暇(ひま)を見つけては金四郎は貞吉(さだきち)にせがまれて、喧嘩から「悪い遊び」までみっちり仕込んでやった。
景元(かげもと)にとってはこの頃が一番楽しかった。だがそんな楽しい日々も長くは続かなかった。金四郎に急遽、縁談が持ち上がったのである。
それは金四郎が貞吉(さだきち)と長屋暮らしを始めてから2年が経とうといていた文化11(1814)年のことであった。この頃、既に遠山家を継ぐ筈(はず)であった西城の小納戸(こなんど)であった景善(かげよし)が体調を崩しており、遠山家の重臣どもは協議の末、長崎奉行としてその任地に赴任していた景晋(かげみち)が先年、文化10(1813)年の7月にいったん江戸の帰還していたので、その機会を利用して、
「万が一の場合に備えて、金四郎様にはお屋敷にお戻りいただき、然(しか)るべき家よりご妻女を迎えられては…」
重臣どもは景晋(かげみち)にそう進言したのであった。景晋(かげみち)にしても江戸に帰って早々に跡継ぎの景善(かげよし)の病に邂逅(かいこう)し、跡継ぎ問題は頭の痛い問題であった。無論、景善(かげよし)の体が良くなることが一番であり、父親としては当然、それを望んでいたのだが、同時に遠山家の当主として御家の安泰(あんたい)を図らねばならず、御家の安泰(あんたい)を考えた時、金四郎に屋敷に戻ってもらうのが一番であり、重臣どもの進言にうなずき、そのように縁談を進めさせたのであった。
そして縁談の相手が見つかったので、そろそろ金四郎様にお話を…、と相成ったのが、その翌年の文化11(1814)年の2月の初めであった。長屋に遠山家の用人の宮島(みやじま)鉄右衛門(てつえもん)が姿を見せたのであった。
ちょうど仕事帰りであり、突然の来訪に金四郎は驚いたが、鉄右衛門(てつえもん)の驚きはその比ではなかった。長屋に独り暮らしと聞いていた鉄右衛門(てつえもん)にとって、貞吉(さだきち)という幼い同居人は鉄右衛門(てつえもん)を驚かせるに充分すぎた。
金四郎に招じ入れられた鉄右衛門(てつえもん)は貞吉(さだきち)の姿を見るなり、全身を強張(こわば)らせた。
「あの…、もしや金四郎様の御子でござりまするか?」
鉄右衛門(てつえもん)は金四郎の隣にいた貞吉(さだきち)を見て、恐る恐る尋ねた。どうやら鉄右衛門(てつえもん)は貞吉(さだきち)のことを金四郎がどこぞの女(おなご)に生ませた子かと、勘違いしている様子であったあ。金四郎はそうと察すると苦笑しながら、「そうではない」と手を振って見せた。
「されば一体…」
そう尋ねる鉄右衛門(てつえもん)に対して金四郎はこれまでの経緯(いきさつ)を説明した。すると鉄右衛門(てつえもん)も貞吉(さだきち)が金四郎が生ませた子でないと知り、安堵(あんど)すると、早速、本題に切り出そうとしたが、貞吉(さだきち)の前で話しても良いものか、躊躇(ちゅうちょ)した。すると貞吉(さだきち)も、もとを正せば武士の子であるだけに、こういう時はやはり勘の良さを発揮し、
「俺、遊んでくるわ」
そう言って外に出ようとしたので、金四郎は貞吉(さだきち)の襟首(えりくび)を掴(つか)んで、それを制した。
「生意気、言うんじゃねぇよ。ここにいろ。いいから話せ」
金四郎は貞吉(さだきち)を元の場所に座らせると、鉄右衛門(てつえもん)にそう促(うなが)した。こうなっては鉄右衛門(てつえもん)としても貞吉(さだきち)には外して欲しいとは言い出せず、観念(かんねん)して貞吉(さだきち)同席の元、本題に入ることにした。
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