第8話

 御座之間(ござのま)を退出した景元(かげもと)はその足で表向(おもてむき)の中之間(なかのま)に向かった。景元(かげもと)は未だ北町奉行職にあり…、後任の阿部(あべ)遠江守(とおとうみのかみ)正蔵(しょうぞう)が北町奉行に着任するのは今月、2月の晦日(みそか)、すなわち30日であり、それまでは景元(かげもと)は北町奉行であった。


 そして江戸町奉行の殿中席…、詰(つ)める席は本来、芙蓉之間(ふようのま)であり、それゆえ景元(かげもと)が向かうべきは芙蓉之間(ふようのま)であったが、間もなく昼になろうとしていたので、あえて芙蓉之間(ふようのま)には向かわずに中之間(なかのま)へと向かったのである。


 どういうことかと言うと、昼になると老中が江戸城本丸の表向(おもてむき)の各部屋を見廻る、


「廻り」


 という習慣があったためである。この「廻り」は特別な行事日を除いて…、例えば毎月ある、月次(つきなみ)御礼(おんれい)なる諸大名や旗本らの登城日などを除いて、平日は毎日行われる。


 そして本来、殿中席が芙蓉之間(ふようのま)である留守居(るすい)や大目付、町奉行や勘定奉行、作事奉行や普請(ふしん)奉行らは昼前になるとぞろぞろと芙蓉之間(ふようのま)を後にして、中之間(なかのま)へと向かい、そこで中之間(なかのま)が殿中席である小普請(こぶしん)奉行や目付と共に老中の「廻り」を待ち受けるのである。それゆえ景元(かげもと)はあえて芙蓉之間(ふようのま)には戻らずに中之間(なかのま)へと向かったのである。


 中之間(なかのま)には既に、芙蓉之間(ふようのま)より移動してきた大目付らの姿があった。南町奉行の鳥居(とりい)耀蔵(ようぞう)と、それに公事方勘定奉行の跡部(あとべ)能登守(のとのかみ)良弼(よしすけ)の姿もあった。ちなみに跡部(あとべ)良弼(よしすけ)は老中・水野(みずの)忠邦(ただくに)の実弟である。それゆえ忠邦(ただくに)の腹心の部下とも言うべき耀蔵(ようぞう)と忠邦(ただくに)の実弟である良弼(よしすけ)は仲良し…、と思われがちだが、それは大いなる誤解であった。


 耀蔵(ようぞう)と良弼(よしすけ)は共に忠邦(ただくに)と縁がありながらも互いに反目(はんもく)し合っていた。いや、反目(はんもく)などという生易(なまやさ)しいものではなかった。憎悪し合っていたのだ。


 もしこれで良弼(よしすけ)が忠邦(ただくに)の実弟でなかったならば、耀蔵(ようぞう)は定謙(さだかた)にしたのと同様、良弼(よしすけ)をも無実の罪に堕(お)としていたに違いなかった。


 どうして二人がここまで反目(はんもく)するようになったかと言えば、それは互いに策士(さくし)気取りであるが故の、近親(きんじん)憎悪(ぞうお)であった。だがどちらかと言えば耀蔵(ようぞう)の方が一方的に良弼(よしすけ)のことを憎悪(ぞうお)し、良弼(よしすけ)もそんな耀蔵(ようぞう)のことを憎悪(ぞうお)するようになった、という側面がある。


 それでは耀蔵(ようぞう)は何ゆえに良弼(よしすけ)のことを憎悪(ぞうお)するようになったのかと言うと、それはズバリ良弼(よしすけ)のその腰の定まらぬ態度にあった。


 どういうことかと言うと、耀蔵(ようぞう)は忠邦(ただくに)一筋(ひとすじ)、忠邦(ただくに)のためならばと、忠邦(ただくに)の邪魔になる者は…、例えば矢部(やべ)定謙(さだかた)である…、例え無実の罪に堕(お)としてでも排除する…、そんな気概があるのに対して、良弼(よしすけ)にはそんな気概は微塵(みじん)も窺(うかが)えなかった。それどころか、所謂(いわゆる)、


「反・水野派」


 とでも呼ぶべき者とも親しく交わっていた。例えば中奥(なかおく)において、忠邦(ただくに)の推し進める改革に猛反対する「抵抗勢力」の旗印である御側御用取次の新見(しんみ)正路(まさみち)とも親しく交わっていた。忠邦(ただくに)の実弟である良弼(よしすけ)がなぜ、という疑問が当然出てくるであろうが、その点、良弼(よしすけ)は極めて冷徹である、というのがその答えであった。


 良弼(よしすけ)は老中・忠邦(ただくに)の実弟として、忠邦(ただくに)の威光をバックにここまでのし上がってきた。当然、良弼(よしすけ)は実兄である忠邦(ただくに)に感謝すべきであり、実際、良弼(よしすけ)は実兄である忠邦(ただくに)に感謝していた。だが同時に良弼(よしすけ)は、


「兄上が推し進められる改革はそのうち失敗に終わるに相違あるまい…」


 そう冷徹に見通してもいた。良弼(よしすけ)としてはこれまで自分を引き立ててくれた実兄・忠邦(ただくに)に感謝はするものの、実兄・忠邦(ただくに)の推し進める「改革」が失敗に終わった時、忠邦(ただくに)が失脚するのは当然として、実兄・忠邦(ただくに)の威光(いこう)をバックにここまで出世してきた己も連坐(れんざ)する格好で失脚するやも知れず、良弼(よしすけ)としては兄・忠邦(ただくに)の「トバッチリ」を食うのは御免(ごめん)であった。


 そこで良弼(よしすけ)はいつ「改革」が失敗に終わっても良いように、つまりはいつ、実兄・忠邦(ただくに)が失脚しても良いように、それに備えて今のうちから「反・水野派」とも仲良くしていたわけである。


 なるほど、忠邦(ただくに)一筋(ひとすじ)の耀蔵(ようぞう)からすれば、良弼(よしすけ)のこの態度は、


「腰の定まらぬ…」


 態度とその瞳に映るに違いなかった。だが裏を返せば、良弼(よしすけ)はそれだけ


「したたか」


 と言うことも出来、したたかさという点においては良弼(よしすけ)は耀蔵(ようぞう)よりも遥(はる)かに優っていた。


 この時もまた…、景元(かげもと)が御座之間(ござのま)より直接、中之間(なかのま)へと向かい、そうして中之間(なかのま)に姿を見せた時もまた、既に景元(かげもと)のことを、敬愛してやまない忠邦(ただくに)の推し進める「改革」の最大の障碍(しょうがい)物として、景元(かげもと)のことを今やすっかり「敵」認定した耀蔵(ようぞう)が景元(かげもと)のことを完全無視していたのに対して良弼(よしすけ)は立ち上がると、中之間(なかのま)の出入口に立つ景元(かげもと)の元へと自ら足を運んだものである。

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