第5話

 さて、忠邦(ただくに)は御側(おそば)御用人(ごようにん)、通称、側用人(そばようにん)である堀(ほり)大和守(やまとのかみ)親繁(ちかしげ)に対して、


「北町奉行・遠山(とおやま)左衛門尉(さえもんのじょう)の大目付への転任の人事案につき、上様に伝えてもらいたい」


 そう頼んだのであった。忠邦(ただくに)が直接、将軍・家慶(いえよし)に対して景元(かげもと)の左遷人事案をぶつけるという手もなくはなかったものの、将軍の居所とも言うべき中奥の最高長官として将軍の日常生活を支える側用人(そばようにん)が置かれている以上、側用人(そばようにん)の顔を立てる意味でも側用人(そばようにん)を通した方が無難であった。そうしないと…、側用人(そばようにん)を無視して将軍に直接何か提案しようものなら、側用人(そばようにん)は必ずや己が、


「蔑(ないがし)ろにされた…」


 そう思うに違いなく、そうなれば側用人(そばようにん)は意地でもその提案を通すまい、必ずや潰(つぶ)してみせると意気込み、側用人(そばようにん)には将軍に対して直に自分の意見を伝えることが許されているのを良いことに、その提案には反対である旨(むね)、自分の意見として将軍に伝える筈(はず)であった。そうなれば将軍も側用人(そばようにん)の申すことならばと、提案に反対するに違いなく、それを避(さ)けるためにも側用人(そばようにん)を通すのが無難であった。


 それに今の側用人(そばようにん)の堀(ほり)親繁(ちかしげ)は、その嫡男(ちゃくなん)の左近将監(さこんのしょうげん)親義(ちかよし)の正室に忠邦(ただくに)の実妹を迎えていたので、忠邦(ただくに)と親繁(ちかしげ)は縁戚関係で結ばれていた。それゆえ親繁(ちかしげ)は縁戚関係にある忠邦(ただくに)の進める「改革」には賛成の立場であり、忠邦(ただくに)も何かと話し易(やす)い相手であった。


 だがその親繁(ちかしげ)ですら、景元(かげもと)の左遷人事案を耳にするや、表情を曇(くも)らせたものである。無論、最終的には賛成したものの、それでもやはり他の幕閣(ばっかく)諸侯らと同様に、消極的賛意しか示さなかったことに、忠邦(ただくに)はこの時、最大級のショックを受けたものである。せめて親繁(ちかしげ)ぐらいは積極的に賛成してくれるに相違あるまい…、忠邦(ただくに)はそう信じていただけに親繁(ちかしげ)のこの反応は正直、大ショックであった。


 それでも消極的であろうと積極的であろうと、賛成には違いあるまいと、忠邦(ただくに)は気を取り直すと、景元(かげもと)は「改革」の最大の障碍(しょうがい)物であり、それを取り除くためにも景元(かげもと)の大目付への左遷が欠かせないとも付け加えて、親繁(ちかしげ)に対して将軍・家慶(いえよし)にその左遷人事案を伝えてくれるよう頼んだ。


 そうして親繁(ちかしげ)は将軍・家慶(いえよし)の下へと足を運ぶと、忠邦(ただくに)より承(うけたまわ)ったその景元(かげもと)の大目付への左遷人事案と共にその理由を、忠邦(ただくに)より承(うけたまわ)った伝言として、それをそのまま将軍・家慶(いえよし)に伝えたのであった。


 だが家慶(いえよし)にしても、幕閣(ばっかく)諸侯と同様に、いや、それ以上に景元(かげもと)のことを買っていたので、如何(いか)に将軍たる己が支持している忠邦(ただくに)の「改革」を進める上で景元(かげもと)の大目付への左遷が必要であるとは言え、さすがに容易にはうなずけなかった。


 そこで家慶(いえよし)は側用人(そばようにん)の親繁(ちかしげ)と共にもう一人の中奥の最高長官である御側(おそば)御用取次(ごようとりつぎ)の新見(しんみ)伊賀守(いがのかみ)正路(まさみち)を呼び寄せて、その意見を訊(き)いた。


 御側御用取次は御側衆の筆頭であり…、それゆえ御用取次以外の御側衆は平御側(ひらおそば)とも呼ばれていた…、側用人同様、将軍の日常生活を支え、将軍と老中や若年寄など諸役人との間に立って、御用を伝えるのがその仕事であり、そして老中や若年寄より託(たく)された御用…、提案につき自分の意見を将軍に対して直に伝えることが許されていた。


 御側御用取次は現在、4人おり、その中でも新見(しんみ)正路(まさみち)は西城にて暮らす、次期将軍である家定の御用取次をも兼ねており、その威勢(いせい)たるや、側用人(そばようにん)の親繁(ちかしげ)と双璧(そうへき)を成しており、尚(なお)且(か)つ、この二人は激しいライバル関係にあった。


 現在、中奥においては忠邦(ただくに)の「改革」を支持する「改革派」と、逆に猛反対する「抵抗勢力」の二派に分かれて相(あい)争い、「改革派」の旗頭が親繁(ちかしげ)であり、「抵抗勢力」の旗頭が正路(まさみち)であった。ちなみに忠邦(ただくに)の推し進める「改革」には大奥もターゲットとされており…、主に大奥の予算削減など…、それゆえ「抵抗勢力」の背後には大奥もついていた。


 親繁(ちかしげ)と正路(まさみち)はそのような間柄であるので、親繁(ちかしげ)が右と言えば正路(まさみち)は左と答え、その逆に正路(まさみち)が右と言えば親繁(ちかしげ)は左と答える具合であった。


 家慶(いえよし)は正路(まさみち)に対して、親繁(ちかしげ)より伝え聞いた話として、その上で、忠邦(ただくに)の提案である旨(むね)、前置きしてから景元(かげもと)の大目付への左遷人事案を伝えた上で、正路(まさみち)の意見を尋ねた。


 それに対して正路(まさみち)はやはり景元(かげもと)のことを買っており、その上、左遷人事案の出処(でどころ)が忠邦(ただくに)だと知るや、当然の如(ごと)く猛反対した。


 家慶(いえよし)はうなずくと、次に親繁(ちかしげ)に対してその意見を求めた。正路(まさみち)が猛反対した以上は親繁(ちかしげ)はきっと逆に積極的に賛意を示すに違いない…、家慶(いえよし)はそう思い、またとうの本人とも言うべき正路(まさみち)もそう信じて疑わなかった。


 だが案に相違して親繁(ちかしげ)は、


「勝手掛老中が左様に申しておりますれば…」


 と消極的な賛意しか示さなかったのだ。これには家慶(いえよし)も正路(まさみち)も大いに驚かされたものである。とりわけ正路(まさみち)は大いに驚いた。それだけ景元(かげもと)のことを買っていた証(あかし)とも言えた。


 さて二人の意見を聞いた家慶(いえよし)は決断を迫られた。ここは景元(かげもと)の左遷人事案に反対するか、それとももう少しだけ忠邦(ただくに)の推し進める「改革」を信じて、それこそ断腸の思いで景元(かげもと)の左遷人事案に賛成するか…、家慶(いえよし)が選んだのは後者であった。


 但し、家慶(いえよし)はせめてもの「餞(はなむけ)」として、


「人事の申し渡しにつき、余(よ)が遠山に直々に申し渡す」


 そう断を下して、二人を驚かせた。それと言うのも、将軍から直々に人事を申し渡すのは大名役に限られており、旗本役は老中より申し渡すのが決まりであったからだ。さすがに親繁(ちかしげ)も、


「それは…」


 と言って制止しようとしたものの、


「余(よ)の命が聞けぬと申すか?」


 家慶(いえよし)からそう返されて、親繁(ちかしげ)は震え上がると同時に、即座に「ははぁっ」と平伏(へいふく)してみせた。一方、元より景元(かげもと)の左遷人事案に反対であった正路(まさみち)は親繁(ちかしげ)のその「ザマ」に大いに溜飲が下がると共に、やはり「ははぁっ」と平伏(へいふく)した。


 こうして極めて異例のことではあるが、景元(かげもと)の左遷人事案は大名役と同様、将軍・家慶(いえよし)より直々に申し渡されることになったのである。これはひとえに景元(かげもと)を大名として扱うことに他ならず、異例の厚遇と言えた。

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