第29話 報酬

「俺たち6人は14層を抜けて、15層についた。そこで【中層の安息所】の野営地と接触したが、直後【巨大粘菌ソムレリアス】が崩壊。なんとかその波を凌いだが、そのあと【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】が現れた。これはその素材だ」


 机の上に出された、黒く煤けた爪を一瞥するフェルト。


「……にわかには信じがたい話ですね。確か、24年前に一度、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の素材は市場に出回っています。この爪がそうではない、という証拠は?」

「まだいくつかある」


 ヴェンターは続いて翼の一部分や鱗を取り出して机の上に並べていく。徐々に増えていく素材の数々に、フェルトの頬が引き攣った。


「……わかりました。素材の鑑定はゼムラバに任せましょう。では、今回の事態解決に関して報酬の希望を聞きましょう」


 ここからだ。


「今回の【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は危険な相手だった。この事態を把握できず、15層の冒険者を危険に晒したギルドの責任は重い。なにより、今回の【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の討伐に、中級冒険者である俺は手を貸していない。ソラリア達のパーティに金貨200枚の支払いを請求する」

「にひゃっ――!?」


 ルナリが悲鳴を上げ、エルムとレルムが目を見開き、ソラリアが真剣な表情でヴェンターとフェルトを見つめる。


「今回の件は冒険者ギルド規則第17条2項、『初めて潜入する階層における危険予測』に抵触します。皆さんのパーティは短期間で深い階層まで潜っています。12層より下の階層は自己責任となりますので、その範囲内と考えることができます。よって、その要求には応えかねます」


 冷たい声で切って捨てたフェルトに、ヴェンターも無表情で返す。


「第18条に『指定階層から上層に移動してきた魔獣に関して』の項目がある。そこには、『討伐に成功した場合、危険度に応じた報酬を支払う』ことが記載されている」

「……確かに。では、初級冒険者5名で討伐したことから鑑みて、15層に出現した【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の危険度をCランクと推定。それに応じた――」

「20層に出現する【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の危険度はBランクのはずだ」

「20層の環境も考慮した危険度の判定です。15層は足場も安定しており、環境による戦い辛さはなかったはず。そうでなければ初級冒険者が倒すことは不可能だったでしょう。であれば危険度はCランクが妥当と判断しますが?」

「【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は【支配階層】だぞ。周囲の環境を自分に適した環境に造りかえる。階層による危険度の変動は意味を為さない」

「なるほど。では、Bランクの危険度としましょう。冒険者ギルドの規定に伴い、今回の件を第3級特殊対応事態として処理します」

「冒険者ギルドからの事前警告がなかった。突発的対応を求められたこと、【中層の安息所】が壊滅していること、放っておけば被害が拡大したであろうことから、第2級特殊対応事例だと思うが」

「【中層の安息所】の崩壊は【巨大粘菌ソムレリアス】の狩りが原因だとのお話でした。【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の件とは無関係だと考えることもできます」

「【巨大粘菌ソムレリアス】は波になったあと逃げ出した。通常の狩りではなく、逃亡だったと判断できる。逃亡の原因はほぼ間違いなく【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】が現れたからだろう。無関係ではない」

「第2級特殊対応事例として処理します。規定に従って、金貨160枚の支払いになります」

「それなんだが、冒険者ギルドとしても現金支払いは色々と問題があるだろう?」

「何の話かわかりかねますが、提案があるならば聞きます」

「在庫になってる『冒険者の鞄』。あれで支払いを代用してもいい」


 フェルトの無表情に罅が入った。


「……どこでそれを」

「ゼムラバ」

「あの男は……まあいいです。在庫が捌けるなら、いい話ではあります」

「Aランクの冒険者の鞄なら、現金支払いはなしでいいぞ」

「御冗談を、Aランクの鞄は金貨250枚する代物ですよ。Bランクが限度です」

「末端価格でだろ? 俺、めっちゃ納品したからな。Aランクだ」

「……」


 悩むように腕を組むフェルトに、ヴェンターが迫る。


「ソラリア達は優秀だ。冒険者の鞄があればもっと深くまで潜れる。【中層の安息所】もなくなった、不幸な事故でな。メリットしかないはずだが」


 フェルトが無言でヴェンターを睨みつけ。ヴェンターは刺すようなその視線を飄々と受け流す。そばに立つソラリアは、不安そうに足を動かした。


「……私たち冒険者ギルドは、冒険者のサポートを理念としています」

「知っている。だが、利益があるならば他も説得しやすい、そうだろう?」

「……今回だけですよ。皆さんへの報酬は、Aランクの『冒険者の鞄』とします。以上、何か質問は?」


 フェルトの問いに、ヴェンターは一瞬、あの男のことを報告するかどうか悩む。が、結局口を閉ざした。確定しているわけでもない情報で混乱させることもないし――それに、冒険者ギルド自体が少々キナ臭い。うかつに首を突っ込めば藪蛇になる可能性もある。


「ソラリア、それでいいか?」

「えっあっはい! 大丈夫です!」


 首をがくがくと縦に振るソラリアたちを見て苦笑するヴェンター。


「現金の収入は、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の素材を売り払うことで補充しよう。おそらく、それなりの値段にはなるはずだからな」


 机の上に置かれていた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の素材をそそくさと冒険者の鞄に回収して部屋を去るヴェンターたちを、フェルトと副ギルド長は複雑な感情が入り混じった視線で見送った。


「……憎まれ役ご苦労さま」

「憎まれない憎まれ役に何の意味があるんですか。茶番ですよ茶番」


 鼻で笑って席を立つフェルト。必要以上に事務的に、支払いを渋るギルド職員として話してみせた。そういった職員がいることは確かだが、フェルト自身はそうではない。冒険者が残した功績には金銭を以て答えることに誇りを持っている。だが、そういった職員だけではない。なかにはできる限り冒険者ギルドの利益を確保するのが仕事だと思っている職員もいるし、報酬を値切れば評価する上司もいる。


「いい勉強になったんじゃないかしら」

「そうだといいですけどね」


 優秀な冒険者の数は少ない。それこそ上級冒険者と呼ばれる冒険者たちの行動を制限する力は、今の冒険者ギルドには存在しない。彼らは世界の法則ルールすら造りかえるので、制限のほとんどが意味を為さないのだ。たった1人で軍隊に匹敵する、文字通りの一騎当千。


 そして、フェルトの前に立つ金髪のエルフもまた、そんな上級冒険者の1人である。


「“導く金の星”……」

「ちょっと、昔の二つ名で呼ぶのやめてくれる?」


 囁くように呟いたフェルトに、ティスラーエルムは嫌そうに顔を歪める。かつて彼女が現役の冒険者として迷宮に潜っていたころの二つ名だ。長い時が経ち、知っている人も少なくなってきたというのに、彼女のようなファンが語り継ぐせいでなかなか風化してくれない。


「過去の4人ほどではないですが、お姉さまも十分以上に吹っ飛んでますからね」


 だから、影響力を考える。彼女ほどの実力者が、たった1人の冒険者と親しくすることを、冒険者ギルドはよしとしない。正確に言うのであれば、冒険者ギルドは『上級冒険者同士が手を組む』ことを恐れている。


「まあ、そうねぇ。否定する気はないけれど」

「固有魔術。この存在が、上級冒険者が恐れられる理由です」

「意味がわからないものね」

「お姉さまも使い手ですが?」

「インゼルムもでしょ」

「彼のは比較的無害なので」


 上級冒険者は、たった1人でも都市を、国を滅ぼしかねない存在だ。滅多に力を振るうことがないため、半ば都市伝説のように語られているが、ティスラーエルムがは可能かどうかを問われれば是と答える。彼女にとって都市ひとつを滅ぼすことは、そう難しいことではない。


「お姉さまは特に破壊特化ですから。そういえば――あのヴェンター、とかいう男も固有魔術を持っているのですか?」


 固有魔術。

 45層を超えた上級冒険者が発現させることがある、一種の超常能力。自らの意思と名前を以て、世界の法則を作り替える、いわば神の御業。教会の人間に聞かれれば、ただでは済まないだろうが、そう言わざるを得ない。

 問われたティスラーエルムは微かに微笑む。その微笑みが、あまりにも暗く、そして儚くて。フェルトは僅かに身を引いてしまった。


 ティスラーエルム・ララフィリーナという女性が抱く、あまりにも深い闇を恐れて。


「持ってるわよ。あまりにもといえば、あまりにも哀しすぎる固有魔術を」

「……そうですか。詳しくは聞きませんが、お姉さま」


 ひどく言い辛そうに口を動かすフェルトに、ティスラーエルムは優しく微笑んだ。先ほどの仄暗い笑顔ではなく、後輩を気遣う微笑。その姿に安心し、フェルトは気兼ねなく頼みごとを口にすることにした。


「彼らへの報酬のAランク冒険者の鞄、取ってきてもらっていいですか。宝物庫、私の権限じゃ開けられないので」

「そ、そうね。いってくるわ」


 敬愛する冒険者ギルドの職員が少しショックを受けた様子で宝物庫に歩いていくのを見送り、フェルトは溜息を吐く。


「固有魔術持ち。でも、冒険者ギルドのデータにはほとんど情報がなく、永い時を生きるエルフと知り合い。インゼルムとの決闘の記録もある」


 背筋に這ってくる悪寒に、身を震わせる。人の持つ闇ではない。もっと深く、そして理解の及ばないナニカを覗き込んでしまったような、違和感から来る怖気。


 ヴェンターという男がわからない。


 知らない人間なんて無数にいる。世の中の圧倒的多数の人間が、一生口を利くこともない有象無象だ。だが、冒険者ギルドに所属している冒険者――所属して生きてきた人間が、ほとんど痕跡を残さない、なんてことができるはずがない。


 人は生きていく。人の口に戸は立てられない。情報とは軽やかに空を舞う鳥であり、地面を這い進む獣だ。早きにしろ遅くにしろ、いずれバレるのだ。まして固有魔術もちの冒険者など、人の波に埋もれるような凡百の存在ではない。


「中級冒険者ヴェンター。あの男はいったい……」


 フェルトのその呟きは誰も居なくなった会議室に、妙に空々しく響き渡り。微かな笑い声が聞こえたような気がして振り返ったが、フェルトの視覚も聴覚も、それ以上の違和感を訴えることはなかった。

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