第28話 帰還
「どうやら、うまくいったようだな」
最初に目を覚ましたのは、竜人族の少女だった。ヴェンターの言葉には反応せず、少しだけ苛立ちを湛えた瞳で地面に横たわる青年を見つめ――
「起きろ」
――いきなり脇腹に蹴りをいれた。
「もうちょっと、優しく起こしてくれてもいいんじゃないか、エルム」
弱々しい声をあげて呻くガロエラ。彼は目を開いて、蹴りを入れたエルムの方に視線を向け、固まった。
「……誰?」
「はぁ!?」
すわ後遺症か、とヴェンターが最悪の可能性を考えるが、忙しなく視線を横に動かすガロエラを見て納得する。微妙に頬が赤い。
「ああ。そういうことか……」
「あんた、向こうで会ったときも言ってたわよね!? 私の顔を忘れたとでも――忘れ――」
「お姉ちゃん」
何かに気づいて絶句するエルムの肩を、レルムが叩く。
「お姉ちゃん、ガロエラに素顔見せるの、初めてでは?」
戦闘中はそんな余裕がなかった。黒ローブを焼き尽くされてからエルムはずっと素顔を晒したまま行動していたが、その間ガロエラに意識はなかったのだ。正面から見たことのない少女の顔を見ても、誰だかわからない。
「エルムの顔を見たことなかった……でも普通声で気づかない?」
「鎧着てると声が反響して……ってそんなことより、無事なのかエルム!? あいつの炎を喰らって――」
取り乱すガロエラを見て、ヴェンターはやれやれと肩を竦める。ソラリアは無言で溜息をつき、ルナリはにやにやと楽しそうに笑う。そんな周囲の様子を気にすることなく、ガロエラは目の前の少女に迫る。ようやく、彼女がエルムだと認識したらしい。
「無事よ、私竜人族だから。火には強いの」
「よかった……! 俺は、てっきりエルムが死んだのかと……!」
「はぁ? 死ぬわけないでしょ。勝算もなくあんたを庇ったりしない……わ……」
ちょっと待てよ、とエルムは首を捻る。
ガロエラの精神世界で出会ったときの反応も、自分のことをエルムだと認識していなかったなら腑に落ちる。額には角もあることだし、新しい3頭目の鬼だと思われていたのかもしれない。
(いやいやいや。待って。今こいつ、『死んでなくてよかった』って言ったわよね……)
彼が塞ぎ込んでいた理由は、『パーティメンバーを守れなかったから』。
エルムの脳裏に、顔を歪ませて叫ぶ少年の声がよぎる。
『お前は大切な人が死んでも、なんのショックも受けないってのか!?』
顔が熱い。収まれ、と念じても、早くなっていく鼓動は治らない。
「エルム? どうした?」
「なんでもない!」
顔を覗き込んでくるガロエラから逃げる。今この顔を見られるわけにはいかない。妹からのじっとりとした視線を感じるが、それよりもガロエラに見られないことのほうが重要だ。
そうだ、『仲間=大切な人』という意味だ。そうに違いない。
なんとか逃げ道を見つけて心を落ち着かせ、ガロエラに向き直った瞬間。
「なーんか怪しいなぁ。何、告白でもしちゃった!?」
ルナリが余計な油を注ぐ。訝しげに首を傾げたガロエラの顔が一気に紅潮する。彼もまた、エルムと同じ思考を辿ったのだろう。油を注いだ本人は飲み込みづらいものを口にいれてしまったような顔をして無言で背を向ける。
(逃げ道がああああああ!!)
一瞬で塞がれた逃げ道を思い、内心で涙を流すエルム。これでは『互いに異性として意識していない作戦』が使えない。今のガロエラの赤面を見て、そんな戯言を聞いてくれる者はいないだろう。
エルムの脳裏に、妹に冷たく嗤われ、ルナリにからかわれる最悪の未来図が浮かんだ。リーダーであるソラリアは比較的冷静だが、彼女だって女性だ。恋やらなんやらの話は好きである可能性が高い――
「では、無事意識を取り戻したので、帰りますよ。ガロエラはさっさと鎧を着てください」
「お! おう!」
救われた、と言わんばかりに顔を輝かせたガロエラが、いそいそと鎧を着込んでいく。ヴェンターは疲れたように首を横に振り、地面に転がっている【
「ええ~ソラリアちゃん。初めてのパーティカップル成立なんむぐっ!」
「パーティの不和しか招かない口は必要ですか?」
「ひひひ必要ですっ! 私の口は私にとってほんとマジで必要なのでやめてください!」
くすぶる火種に空気を送り込もうとしていたルナリの口を、ソラリアの右手が物理的に塞ぐ。少し乱暴だが普段通りのやりとりに、周囲の空気が弛緩していくのがわかった。
「レルム。可能であれば【
「ああ、それは俺が行こう。たぶん、切り取りづらいだろうからな」
「……ありがとうございます、先生」
6人全員で移動すれば、黒焦げの大地に4足で直立する【
『
「帰還します。隊列はいつも通り、私が先頭、その後ろにガロエラ。レルム、ルナリ、エルム、最後尾は先生にお願いします」
「わかった」
切り取った爪や皮、目玉などの素材を冒険者の鞄に放り込みながらヴェンターが答える。さすがに遺体を丸ごと持って帰ることはできないので少なめだ。しかしその手応えからしても、高値で売れることは予想できた。
(まあ高値で売れなきゃ、不幸中の幸いと言うこともできはしないか……)
なんにせよ、本来20層を住処としている【支配階層】が15層に現れたことの意味は重い。冒険者ギルドに報告せねばならない以上、その素材を高く売りつける必要もある。
(特殊パターンへの対応はまだ先の予定だったな。ここは代わりにやるか)
冒険者ギルドとのこういったやりとりは知識だけでは不可能だ。交渉力や、経験が必要不可欠となる。まだソラリアには荷が重い。今回は見学に回ってもらおう。
15層から数時間ほどかけて迷宮を出た6人。相変わらず立て看板が立ち並ぶ冒険者ギルドに足を踏み入れる。時刻は夜。今日は15層で一泊する予定だったため、さすがに皆疲労の色が濃い。
「副ギルド長。話したいことがある」
「……第3会議室で待ってなさい」
「あと、フェルトを連れてきてくれ」
「わかったわ」
ティスラーエルムの姿を見つけたヴェンターの顔が綻ぶ。彼女さえいれば、話が通るのは早い。報酬についてごねていたらしい冒険者を適当にあしらい、ティスラーエルムは鍵を投げ渡す。冒険者としての規則を知っているソラリアが帳簿に記入しようと手を出すが、ティスラーエルムは『いいから早く行きなさい』と手を振ってソラリアを追い払う。
ヴェンターがわざわざ自分に声をかけることの意味を、彼女は知っている。
「さ、さすがに疲れたわね……」
「クタクタ……」
会議室に入った瞬間、身を投げ出すエルムとルナリ。皆【
「きっつ……」
「今回は俺がやるが、ソラリア。ここから先も、パーティリーダーとしての役目だからな」
「わかりました」
神妙に頷くソラリアに頷き返し、ヴェンターは息を吸い込む。生きていれば色々なことがある。例えば――
「お姉さまと密室で二人っきりで何しようとしてんですかー!!!」
――とある人の熱烈なファンに絡まれたり、だ。
扉を蹴破って入ってきたのは、眼鏡をかけた小柄な女性だ。冒険者ギルドの制服に身を包み、小脇に書類を抱えたまま、扉を蹴破った姿勢で首を傾げる。
「あれ? なんか人がいっぱいいますね。クソ野郎もいますが」
「こいつはフェルト。冒険者ギルドの経理を一手に担ってるすごい奴だ」
「……つまり金持ち!?」
「座ってろルナリ」
急に目を輝かせて腰を浮かせたルナリをヴェンターが目線で黙らせる。
「金持ちじゃねーですよ。私は冒険者ギルドのいち職員に過ぎないのです」
「と、言っているが、だいぶ上の方の立場にいる。ナンバー4くらいの立ち位置だな」
「なんでお前は冒険者ギルド内の力関係に妙に詳しいんですか!?」
「どこかの誰かが酒の席で愚痴るからかな……」
「私もお姉さまと酒飲みに行きたい!」
「あんたと飲みに行くと間違いが起きそうで嫌なのよね……」
疲れた様子で溜息をつきながら、ティスラーエルムが現れる。
「何が間違いですか、大正解ですよお姉さま!」
「あんたにとってはそうでもね、私にとっては間違いなのよ。酔わせて何する気よ」
「え、ここで言うのはちょっと……」
「良識が残っていることを喜ぶべきか、今ここで何をするつもりだったのか問い詰めるべきか悩むわね……」
顎に手を当てて真剣に悩むティスラーエルムを、緩んだ笑顔で見つめるフェルト。その様子を見たソラリアたちは、少しだけ冒険者ギルドという組織に不安を抱いた。
「ま、その話は今はいいわ。フェルトを連れてこさせたってことはそういうことなんでしょ、ヴェンター」
「ああ。お前とやっても参考にはならないだろうからな」
「そうでしょうね。雑な感じになっちゃうし。じゃ、フェルト、頼んだわよ」
「お姉さまの頼みなので仕方なくやってやりますが、本来、私が出張ってくるまではもっと段階があるので、その点をお忘れなく」
「わかってるよ」
経理を担う冒険者ギルドのナンバー4。その存在は、普通に冒険者ギルドに登録しているだけではお目に掛かれない。なにか冒険者ギルドに重大な損失・もしくは利益がある場合のみ、彼女は冒険者たちの前に姿を見せる。つまり、彼らとの話は『とてもいい話』か『とても悪い話』のどちらかになるのだ。
「――では」
書類を机の上に投げ出し、椅子に座るフェルト。ヴェンターがその正面に座り、ティスラーエルムは腕を組んで2人を見守る。ソラリアは一言一句聞き逃すまい、と耳を澄ませ、ガロエラは自分の顔が見えないのをいいことに速やかに意識を夢の世界に飛ばした。ルナリは金の匂いを感じて顔を輝かせ、エルムとレルムは興味なさげに自らの竜尾の手入れを始める。
「……なるほど、ずいぶんとキワモノパーティのようですね」
頬を引き攣らせるフェルトにヴェンターが苦笑する。
「ま、優秀なリーダーがいるからな。適材適所ってやつだ」
「………………ま、いいでしょう。見た感じ、貴方に交渉を任せることに不満があるわけではなさそうですからね」
「そこは安心してくれていい。最終的な判断はソラリアがすることになるけどな」
ソラリアが頷き、フェルトは一瞬顔に疑念を浮かべたが、すぐに表情を消した。先ほどまでの明るい調子とは打って変わって、冷たく響く声で宣言する。
「ではこれより査定を開始します。以降、査定終了までの一切の発言は記録されますのでそのつもりで」
「了解した」
右手に羽ペンを持ち、資料の中から分厚い羊皮紙を取り出したフェルトは、眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
ヴェンターも居住まいを正し、正面から目を見返した。これから先のために、先輩冒険者としての役割を見せてやらなければなるまい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます