第26話 惑乱

 荒い息を吐く。全身から冷や汗が流れ、心臓は痛いくらいに脈打っている。


「なんだ、あの男は……!?」


 思わず、といった様子で法衣の男は呟く。そばに立つ木を殴りつけるが、心の苛立ちは何も解決しなかった。男は神具【アイギス】の防御能力を信用していた。30層より下の魔獣に対しても、このアイギスの防御は突破されることがなかった。


 アイギスの防御の内側から放たれる、イアレスの攻撃。


 これこそが男の考えた最強の戦闘法であったし、この二つの神具を揃えるのにはかなりの犠牲を払っている。


 だというのに、あの男の槍は。アイギスの防御を貫通した。


「だいたい冒険者のくせになぜ槍を……あの血のように朱い槍……」


 かすかに男の記憶が刺激される。形勢が逆転したとき、あの男は小声で何かを呟いていた。それからあの朱槍は輝きを増し、黒と赤の入り混じる呪いの槍のような姿に変貌したのだ。


 あの時、男はなんと言っていた?


 法衣の男の記憶の中で、男の唇が動く。声は聞こえなかったが、唇の動きくらいは読める。


「ディ……ル……ム……ス。ディルムス、ディルムスだと……!?」


 その槍の銘は、さほど有名ではない。だが各地の伝承に詳しい法衣の男は知っていた。伝説や噂を追って神具を探していた男は、その槍の逸話を知っている。


「“朱槍”ディルムス……! 血と炎を司る呪われた魔槍か!」


 必死に法衣の男は記憶を探る。もしも、あの槍が本当にディルムスなのだとしたら、アイギスの防御を突破したことにも納得がいく。

 使い手を選ばない神具に対し、魔武器は使い手が武器に認められる・・・・・・・・・・・・必要がある。その分、というわけではないだろうが、魔武器は強力なものが多い。最初はただの槍として使っていたようだが、本領を発揮したディルムスは凄まじかった。

 アイギスの防御を紙のように引き裂き、蛇のように蠢く炎が周囲を焼き払い、冒険者の男の繰り出す槍は一撃一撃が必殺だった。男が逃げ切れたのは、緊急用の転送神具【リトレス】があったこと、『突き』以外の攻撃はアイギスで弾けること。この二つの理由があったからだった。


 伝承に曰く。

 “朱槍”ディルムスは、かつて戦において最も多くの血を吸った魔槍である。槍の担い手は、戦場において嗤いながら槍を振るったという。やがて血を浴び、戦場の炎すら貫いたディルムスは、その身を魔武器へと変貌させた。ただの槍であったディルムスは、その担い手と同一視され、当時のディルムスの使い手もまた、ディルムスと呼ばれていた。


「だめか。この伝承は、比較的新しい……」


 “朱槍”ディルムスの伝承は迷宮都市周辺の都市に広がっていることから、おそらくディルムスの使い手は冒険者なのだろう。おそらくディルムスという魔武器が生まれたのは、さほど昔の話ではない。なにせ『対策』がない。伝承において、魔武器である“朱槍”ディルムスが敗北する逸話が存在しないのだ。


 だが、その力自体は本物だ。方法を選ぶとはいえ、古より現存する神具、アイギスの防御を貫くのだから。


「あの男……いったいどこで、“朱槍”を手に入れた……?」


 そんな冒険者の噂は聞いたことがない。ということは、あまり大っぴらに喧伝したりはしていないのだろう。魔武器を持つ冒険者の情報は、男とて怠ったことはない。神具に対抗できる可能性の持ち主はだいたい頭に入っている。というのに、“朱槍”を持つ冒険者――その情報は入ってきていない。


 不自然だ。喧伝していないのではない。隠している。


「理由がある。隠しているのには必ず理由がある」


 正攻法では勝てない、それはわかった。であれば、後背を突くだけである。法衣の男は自信家だが、愚かではなかった。法衣の端々が焼け焦げ、体のあちこちをすりむきながらも、男は反撃のために移動を開始する。


「必ず貴様を殺すぞ……我らが騎士団の、正義のために」


 自分を奮い立たせ、男は逃げる。たとえ今惨めであろうと、未来に勝利をもたらすために。





 † † † †




 駆け寄ってきた男の姿を見て、ルナリが叫んだ。


「ヴェンターさん! ガロエラが……!」


 焼け焦げた大地に横たわる、全身金属鎧の男。ヴェンターが視線を巡らせると、見覚えのない少女が2人いた。白銀から真紅へと変遷する長い髪、空色の瞳。腰から伸びた真紅の鱗を持つ竜尾。竜人族だ。


「その姿……エルムと、レルムか。まあいい、話はあとで聞く。ソラリア、状況は?」


 ソラリアは、ガロエラが青く輝く魔素に包まれ、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】と互角の肉弾戦を繰り広げていたことを伝える。

 ヴェンターは少し悩むように顎に手を当てたが、すぐにやるべきことを優先させた。


「まずは運ぶぞ。死んでいるわけじゃなさそうだし、一時的な昏睡状態だろう」


 ヴェンターがディルムスを鞄にしまって、ガロエラの脇に手を入れると、両脚をエルムとレルムが担ぐ。かなりの重量だが、双子は問題なく鎧ごとガロエラの両脚を支えていた。


「重くないか?」

「竜人だから平気」


 ヴェンターの問いに短く答え、エルムは顔を背けた。隠していたうしろめたさがあるのだろうが、今はそのことを話しあえるような状況ではない。


「ソラリアは周囲の警戒を頼む。ルナリは……治癒術は試したのか?」

「うん。でも、ガロエラの体に異常はなかった」

「そうか……」


 ヴェンターは思考を続ける。ガロエラは北方の出身だ。北方の戦士は魔素を体内にため込み、ため込んだ魔素を一気に放出させて自らを強化する力がある。魔素を凄まじい勢いで吐き出すので、魔素枯渇状態になることはあり得ない話ではない。だが、ガロエラの体内にはまだ魔素が存在する。魔素枯渇状態による昏睡には見えない。


 ヴェンターはしばらく無言でガロエラを見る。まるで、鎧や肉体を見透かして、別のものを見ているかのようなヴェンターの視線に気づいた者はいなかった。


「……精神的なものだな。北方の者は、体内にため込んだ魔素を恐れ、『鬼』と呼称する。『鬼』と名付けられた魔素はやがて、自分から分離した・・・・・・・・自意識を持つ・・・・・・。今、ガロエラ本来の――と言うと少し語弊があるか。俺たちが知っているガロエラの意識は、『鬼』の意識と主導権を取り合っているところだろう。鬼を抑え込めればガロエラは目覚める」


 主導権を失えばどうなるのかなど、ヴェンターはわざわざ説明しなかった。


「私――私たちにできることは?」


 エルムの問いに、ヴェンターが答える。


「精神、言い換えるのであれば、魂への干渉だ。外側から働きかけることは難しいが、できないわけじゃない」


 ヴェンターがエルムの問いに答えると、音もなくソラリアが帰還する。表情は険しく、この状況に陥った責任を感じているようだったが――反省も後悔もあとだ。まずは現状を脱する必要があり、ソラリアはそれがわかっているのだろう。


「周囲に敵の気配はありませんでした。どうやら【巨大粘菌ソムレリアス】の大波で丸ごと流されたみたいです」

「不幸中の幸いか。戦闘現場からも十分離れられた……事は一刻を争う。始めるぞ」


 ヴェンターは冒険者の鞄を探ると、中から目玉のようなものを取り出した。透明な水晶のような素材の中に、紫色の珠が閉じ込められている。


「38層、【心滅魔セロ=アムス】の心臓。心に潜るにはこれが必要だ。それで問題は、誰が行くかなんだが……」


 ヴェンターがソラリアたち5人を見回せば、すぐに反応があった。エルムが迷いなく、一歩前に進み出る。その空色の瞳は決意の光が湛えられ、口は引き結ばれている。両手は硬く握りしめられ、引く気はないようだった。


「エルムか。心が飲み込まれれば帰ってこれない可能性もあるが……」


 エルムが小さく頷く。どうやら覚悟は決まっているようだった。


「必ず連れ戻す」

「……中の状況は、俺にもわからん。多少は予想はついているが、ガロエラが背負ってきたものの中味を知らないからな。いいか、同情も共感もしてもいいが、決してそれに引きずられるな。その感情に呑まれれば、お前も起きられなくなるぞ」


 ヴェンターから【心滅魔セロ=アムス】の心臓を受け取り、ガロエラに歩み寄るエルム。ヴェンターが手早く鎧を脱がせると、精悍な顔立ちをした1人の青年の姿が露わになる。呼吸は穏やかで、眠っているだけのように見える。だが、時折苦しそうに顔を歪めているのは、彼の抵抗の証だろう。


「それを握って、ガロエラの胸に当てろ」

「……はい」

「行くぞ――」


 声かけはそれだけだった。ヴェンターが魔素を放つのと同時、【心滅魔セロ=アムス】の心臓を握りしめたエルムの目がゆっくりと閉じられる。意識を失ったのだ。彼女の意識は今、ガロエラの心の中に入り込み、その奥に向かって旅をしている。


「……止めなくてよかったの?」


 ルナリの問いに。


「お姉ちゃんは、基本思い込みが激しいので。ああなったら止めても聞きません」


 寂しそうに笑って、レルムは答えた。


 そしてガロエラの隣で跪くヴェンターに向けて、胡乱気な視線を向ける。


 この時、レルムは密かに疑念を抱いていた。

 単純な姉や、常識知らずのルナリや、少々おつむが弱いガロエラや、盲信気味なソラリアでは見ることができない視点から、『ヴェンター』という男を見つめていた。


(この男――何者……なの?)


 自身を中級冒険者と名乗り、おそらく【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】より強いであろう敵を相手取り、息も乱していない。わずかに疲労はしているようだが、それは肉体的なものではなく、どちらかというと気疲れのように見える。


 彼自身なんの得もない初級者パーティに同行し、見たことも聞いたこともない38層の悪魔の素材を渡す。それは、好意的に捉えるのであれば『とんでもないお人好し』としての行動に思えた。悪意的に見れば、『薄気味悪い』。


 レルムの本能は違う。彼に『悪意』を感じない。それは姉も同じだろう。直感を大切にする竜人族の二人は、彼からは悪意を感じないという感覚を信じている。だが、姉と違って感覚を『あくまで判断基準のひとつ』としてとらえているレルムからしてみれば、この男は存在自体が怪しい。


 だいたい、見た目は20代成りたての青年のようにしか見えないのに、中級冒険者とはどういうことか。そこから怪しい。年齢を聞いたことはないが、絶対に変だ。怪しい薬をやっていてもレルムは驚かない。むしろ、そのために近づいたのかと納得すらするだろう。


 直感は『信頼して大丈夫』と言っているが、理性的に考えれば不審人物以外の表現が思いつかないほどに怪しい。


 それがレルムにとっての、冒険者ヴェンターという男だった。


 口に出して問い詰めたい気持ちはある。肉親である姉の精神が危険にさらされているのだ、心穏やかというわけにはいかなかった。二人の目的を果たすための迷宮探索にガロエラが必要なのは、感じ取れている。まあ、姉の入れ込みようには絶対にそれ以外の理由があるが。


 だが、状況を考えてその疑問は置いておく。本当に、今はそれどころではないのだ。


しかし、レルムの疑問の答えが得られるのは、だいぶ先のことになるのだった。





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