第25話 獅子

 エルムが、俺を庇った。

 彼女を照らす赤い炎の輝きの中で、空色の瞳が強く強く、俺を見つめていた。


 火球を背中で受け止めた彼女は、勢いよく吹き飛ばされ、俺の横を通り抜けていった。


 後ろを振り返ることはできなかった。すぐに突進してきた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】に突き飛ばされたからなのか、それとも怖かったからなのか。

 少し前まで俺たちが押していた。たったひとつの魔術で形成は逆転した。


(まだできることがあるだろ……! 立てよ……!)


 だが体は動かない。エルムがやられただけだ。ソラリアもレルムもルナリも生きている。ならば、戦わなければならないはずだ。エルムも生きているかもしれない。今、ルナリが治しているはずだ。ならばその間、前線は俺が支えなければならない。


 俺は――すべてを守るために強くなったのではなかったのか?


 横たわる俺の横を、ルナリが駆け抜けていった。あの火球を受ければ、死ぬか重症になるはずだ。癒し手である彼女が前に出るということは、エルムには治療の必要がないということなのだろう。


 治療の必要がない。


(エルムは……死んだ、のか)


 それは驚くほどすんなりと、俺の心に落ちてきた。ジワジワと心が蝕まれる。心を蝕む黒く重い何か。心が重ければ体も重い。手足が動かない。脳からの指令が、手足に届かない。動かなければ、という思いだけが空回りする。


 空虚な諦めだけがあった。

 喪失感が俺の心を支配する。


(なら、いいか――)


 1人死ぬのも。2人死ぬのも。大した違いはない。


 誰も守れない俺など必要ない。だけど、まだ生きている仲間だけは守りたい。


 【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】と戦うルナリを見る。今まで戦ってこなかった彼女は、どんなに身体能力を強化しても、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の攻撃を避けられていない。傷つく体を無理やり癒し、殴りつける。すぐに限界が来るだろうことは見ればわかった。


 俺を守る彼女の背中を見つめ、俺は呟く。


「……この体をくれてやるよ、青夜叉。だから、誰よりも、俺を前に――」


 鬼の嘆く声が聞こえ、俺の意識は闇に包まれた。





 † † † †





 立ち昇る青の力。目に見えるほど解放された魔素の密度に空気が震える。魔素濃度が高い迷宮内部においても、見えるほどの魔素が集中する場所など存在しない。


 それほどの魔素が、人1人の体内に収まっていていいはずがない。


 【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】が何かを迷うような、戸惑いの唸り声を上げる。次の瞬間、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の顔面に、鎧に包まれた拳が直撃した。


 青の魔素を纏う鎧姿の男――ガロエラ。


「ナゲキ。ゼツボウ。アキラメ。カナシミ……」


 口は絶えず動き、意味を為さない言葉を垂れ流す。


「が、ガロエラ……?」


 ルナリの誰何の声に答えはない。天を仰いで、雄たけびを上げるガロエラ――否、青夜叉、と呼ぶべきか。


「――ケンオ。ジセキ。オビエ。カットウ」


 衝撃でよろめいた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の口を、上から青夜叉が抑えつける。青のオーラが噴き上がり、必死に暴れる【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の体を抑え込む。四肢を踏ん張り、頭を振り回し、なんとか青夜叉の拘束を逃れようとする【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】だが、青夜叉は圧倒的な膂力でそれを許さない。


「――コウカイ。シツボウ。スベテハ、オノレノセキ……」


 青の魔素を纏う青夜叉の顔面に、爆発が炸裂する。【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の魔術だろうが、青夜叉の防御は崩れない。煙が晴れたとき、青夜叉の体には傷ひとつついていなかった。


 【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は喉から唸り声を上げ、傷ついた翼を振るう。ほんの少しだけ地面から浮かび上がった【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は足が地面から離れた青夜叉を振り回す。自ら手を離した青夜叉は空中を飛び、大地を抉りながら着地。


 目に見えないほどの速度で青の魔素を散らしながら【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】に駆け寄り、顔面を殴りつける。


「オア……アアァァァ……ッ!!」


 拳の嵐。剣を拾うこともなく、度重なる殴打が【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を襲う。殴られるたびに血を散らしながら、それでも【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は倒れない。その黄色の瞳は憤怒に染まっていた。


「なんてタフな……!」


 息を荒げてソラリアは呟く。すぐにその戦いをガロエラに任せ、エルムのところに走る。あのような力、何のリスクもないのならばソラリアたちに話しているはず。だがリーダーである自分は何も聞いていない。ということは、あの力は実用できない、なんらかの理由があるはずなのだ。


 やめさせなければならない。やめさせるためには、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を倒してしまうのが一番手っ取り早い。


 そのためにはエルムの魔術が必要だ。


 同じことを考えたらしいルナリが、ソラリアと同時にエルムのもとへたどり着く。1人で【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を相手にしていたルナリの装備はすでに血にまみれている。もう、ほとんど鎧としての役割は果たしていない。


「エルム……今、治すよ」


 ルナリの両手が群青の光を宿す。


「ルナリ、貴女寿命は……」

「ここで死ぬよりマシでしょ」


 有無を言わさず、ルナリの治癒術がエルムの傷を癒していく。焼け焦げていた真紅の鱗に覆われた尾も、徐々に元の姿を取り戻していった。


「――ありがと。この姿の説明は、戦いが終わったらね」


 真紅の尾で自分の体を支え、エルムは敵を見据える。


 真紅の竜尾と、額に白角を持つ種族。遥か南方の平原に暮らす彼らを、人々は竜の因子を体に宿す一族――竜人族と呼んでいた。


全力で行くわ・・・・・・……!」


 竜尾が踊る。竜人の少女は、男を救うために踊る。


「『破滅の種子/創造の火種/竜の眼/竜の爪/竜の牙/竜の翼/竜の鱗/纏え業火/紡げ獄炎』」


 『竜の因子』は世代を経るごとに薄まっていった。偉大なる竜と始まりの母より生まれしすべての竜人の始祖は、やがて1人の人と交わり子を成した。


「『天空の覇者よ/地上の王者よ/汝が末裔/エルム・ラ・シャフォーンがこいねがう』」


 100にも満たない竜人の里の住人たちは、その誰もが竜の因子を持つ。過去の事象を語り継ぎ、星を見て予知を紡ぎ、魔術を持って竜の力を再現する。


 始まりの母は、人の愛を。


 偉大なる竜は、戦う力を。


 故に彼らが扱う魔術の頂点は、竜の御業の再現となる。詠唱で魔術を作り、舞踏で範囲を広げ、それでもなお届かない竜の御業を目指して。


 エルムの持つすべての魔素が収束する。


「『我らが願いはただひとつ/我らが偉大なる竜よ/汝の御業をただひとつ/我らに貸し与えたまえ』!」


 高まる魔素の胎動に気づいた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】が、エルムを潰すべく青夜叉を振り切る。前を横切ろうとした【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の尾を掴み、青夜叉は【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を振り回して地面に叩きつけた。


「ダレヨリモ……マエデ……ッ!」


 青夜叉が吠える。もはや言葉は通じない。ただ目の前の敵を倒すために吠える。だが、最初にあった青の魔素は見るからに減っている。ガロエラの体内魔素を消費しているのだから、限界があるということだ。


「ちゃんと仕事したじゃない、ガロエラ」


 魔術を完成させるまで敵を食い止める――どのような状態であろうと、彼は役目を成し遂げた。であれば、敵を倒すのはエルムの役目だ。


「ソラリア、ルナリ、私の後ろに」


 あとは起動するだけとなった魔術を待機させ、エルムは二人を下がらせる。青夜叉に握られた尾を無理やり引きちぎり、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】がエルムに迫る。その間に割り込むように、黒の人影が割り込む。


「早く撃って」


 黒ローブを脱ぎ去ったレルムの尾の一撃が、横合いから【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の顔を殴りつけた。不意を打たれた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は痛烈な一撃に、一瞬怯む。レルムの方向に顔を向けた時、すでに彼女は身軽に戦線を離脱していた。両手の魔剣から風を迸らせ、飛ぶように地面をかける。それは、姉が放つ最高の魔術の威力を知っているからであった。同時に青夜叉も何かを察知して飛びのく。


「分かってるわよ――『竜の息吹ドラゴンブレス』」


 世界が歪む。


 かつて在りし日の熱獄を再現するべく、法則が捻じ曲がる。エルムの残りすべての魔素を捧げた火球が生まれ、火球の色が変わっていく。赤から橙に、橙から黄色に、黄色から白に。


 高温のブレスが草原を焼き払う。ただでさえ【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の炎でところどころが焦げていたというのに、竜のブレスは生き延びた草すらも焼き払い、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】めがけて伸びる。


 【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】が選んだのは防御でも逃走でもなく迎撃だった。再び【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の頭上に火球が出現。その巨大な火球は、ブレスの炎めがけて飛翔する。


 結果は一瞬だった。 


 エルムが放った魔術は火球を飲み込み、むしろその規模を増大させて【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】に迫る。その光景を黄色の瞳で見つめていた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は、ただその瞳に驚きだけを宿して炎に飲み込まれた。



『小さきものどもよ――次は、我が領域で相見ようぞ!』



 そんな言葉を、その場にいた5人の脳裏に叩き付けながら、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は息絶えた。【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の体から真紅の光が浮かび上がり、勢いよく地面をすり抜けて沈んでいく。


 【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は20層に戻り、再び力を蓄える。完全復活するまでには数百年単位でかかるので、おそらくもう二度とソラリアたちと出会うことはないのだが、彼は前にも一度同じ言葉を残しているので、あれは彼なりの挨拶なのだ。彼は小さきものどもの寿命には疎かった。


 荒い息を吐きながら、エルムが空の魔導石を取り出して胸に当てる。余剰魔素が魔導石によって吸い取られ、赤く染まった。合計4個の魔導石を赤色に染めたあと、エルムは呆然と呟く。


「あいつ……喋れたんだ……」


 力尽きてなお倒れない【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の死体を見て、溜息をつく。


「ガロエラ、お疲れ。大丈夫?」


 青夜叉は、その身にほとんど魔素を残していなかった。エルムが声をかけると、ガロエラはぎこちなく顔を上げ――そのまま、前に倒れた。金属鎧が擦れる耳障りな音が響く。


「え……ちょっと!?」

「ルナリ!」


 焼け焦げた大地を走り、4人がガロエラに駆け寄る。


 エルムが体を揺すっても、ソラリアが水をかけても、ルナリが治癒術を使ってもその日、ガロエラが目を覚ますことはなかった。






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