第24話 神具

 ヴェンターが視界に捉えたのは、隠れることを全く想定していない純白の法衣を纏った男だった。薄布で作られたヴェールによって、顔の細かい造形は見えない。


 法衣、ということは教会の関係者だろう。迷宮ではまず見ることのない人種だ。だが冒険者の装備も持たずに15層にいることから考えても、それだけの実力か特殊な道具を持っている可能性が高い。


(様子見――も、危険な相手だな)


 もしも本当に教会の関係者ならどんな道具を持っているかわからない。聖教の歴史は長く、古の時代の遺物とも言うべき道具を保有している可能性がある。聖教全盛期時代には数十あった【神具】――それは聖教の崩壊と同時に流出した。


 意思を持つ武具や、魔術の威力を跳ね上げる装具。もしもそういった【神具】を持っているのであれば、決して油断していい相手ではない。


 差し当たって、あの【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】に力を供給しているのは、男が右手に持つ純白の宝珠だろう。ヴェンターに心当たりはない。有名な【神具】ではないのだろう。


 問答無用。

 話を聞いている間に何を仕掛けられるかわからない以上、ここで殺す。


 無言で駆けたヴェンターの槍が男に迫る。完全に避けられない状態になってから、男はヴェンターに気づいて視線を向けた。


(もう遅い――)


 魔素を注ぎ込まれたディルムスの穂先が赤熱する。防御力のなさそうな法衣を纏う人間など、たやすく引き裂けるはず。


 だが、ディルムスは突如として弾かれ、ヴェンターの手には痺れるような衝撃が残る。何か硬い物でも殴ったような。


(空気の壁、いや違う。魔術によって固まった空気の壁なら、多少なりとも揺らぎがあるはず。概念防壁か……面倒な)


「いきなり襲い掛かってくるとは……やはり、野蛮な生き物ですね、冒険者というのは」


 嘲るような声には耳を貸さない。侮蔑も嘲笑も考慮に値しない。


(これでどうだ)


 ディルムスを投擲。背後に回り込んで剣を引き抜く。ディルムスが防壁に弾かれた1秒後、ヴェンターの剣が男の背中めがけて振り下ろされるが、残念ながら同じように障壁に阻まれた。


(全方位型……術者の認識すら必要としない……常時展開、いや反応構築か? この男の魔素量は大したことがない。平均よりは多いが、この量なら反応構築か。その反応が、瞬時ともいうべき速さなのが厄介だな)


「まったく、人の話は聞くものですよ」


 肩を竦める男を無視して、ヴェンターの思考は加速する。教えられた知識を活用し、正解にたどり着くべく頭を回す。空中を飛ぶディルムスをつかみ取り、男の正面に対峙する。


「悩んでいるようですね。私のこの全方位型結界神具、【アイギス】の前では無理もありませんが」


 手の内をばらし始めた男に、思わずヴェンターの思考が止まる。


(はったりか?)


 ヴェンターの疑問をよそに、男はやれやれと首を横に振りながら言葉をつづけた。とりあえず聞いてみよう、と耳を澄ませる。


「ようやく聞く耳を持ちましたか。相手の話も聞かずに襲い掛かるなんて、まるで魔物のようではありませんか?」

「――聖教騎士団の残党か」


 相手を特定した。この男の言う通り、話は聞くべきものだった。2つの神具を保有しているのも、聖教騎士団の残党ならば納得できる。


「いかにも、その通り。この世界から魔物を消し去るべく、日々戦い続ける正義の集団。崇高なる使命を理解できない馬鹿どもによって我らの企みは一度、失敗しましたが、決してその思想は絶えたわけではありません」


「異種族まで魔物認定したから失敗したんだろ。あげくに迷宮都市の冒険者にぼろ負けしたし」


 事情を知る者として口を挟むヴェンター。

 混同されがちだが、迷宮に棲む生物たちはそれぞれ『魔獣』『魔虫』『魔菌』『悪魔』といった明確な分類が存在する。それとは別に、聖教が規定した『人間に仇なすもの』――その名称が『魔物』である。


 今では蔑称として扱われ、長命な異種族の中にはこの呼び名を忌み嫌う者もいる。かつて迷宮都市を襲った聖教の軍勢は、迷宮都市を滅ぼし迷宮を閉鎖するという目的があった。魔物を生み出す地だからだ。


 お笑い種なのが、そうして結成された聖教の軍勢にはそれなりに異種族がいたことだ。裏切者や教えに殉じるつもりの者、ただ戦力として雇われた異種族たちも、聖教の軍勢には存在した。


 国境を越えて集った聖教の軍。当時間違いなく大陸最強の軍であった。


 迷宮都市の利権に釣られ、軍を貸した国もあった。


 だがそんな軍勢を蹴散らしたのは、当時上級冒険者であった4人の冒険者だった。


「まあ偉大なる先達は失敗したようですね。馬鹿正直に正面から攻める必要などないというのに」


 まるで敬意を感じられない態度で、男は鼻を鳴らす。目的を理解したヴェンターは、一応問いかけておくことにした。


「つまり、迷宮内の魔獣を強化して冒険者の戦力を削ろうという腹か」

「はてさて、どうでしょうねぇ……」


 にやにやと口元を笑みの形に歪める男を前にして、ヴェンターは頭を痛めた。聖教騎士団の残党と冒険者ギルドの争いなど、勝手にやっててくれ、という感じだが。この男が迷宮内の生態系を掻き回すようなら、ソラリアたちに危険が及ぶ。


「そいつはうちの生徒の努力を踏みにじる行いだぜ、認められるか」


 予測不能の事態に対処することも冒険者としての資質のひとつだが、それよりも重要視されるのは『予測不能の事態をそもそも起こさない』ことである。先輩の冒険者に聞くなり、資料を読むなり、様々な方法で迷宮の知識を蓄える。そして、安定した迷宮攻略を行う。


 なにせ、死ねばそこで終わりなのだ。


「予測不能な要素は、早めに潰しておかないとな」


 ヴェンターはディルムスを構え、男に向かって駆けだす。生け捕りにして情報を聞き出すつもりだったが、概念防壁を持っているのであればそれは難しい。聖教騎士団の残党ならば、まだ仲間がいる可能性もある。


「面倒なことになったな……あまり手加減は得意じゃないんだが」


 自分の持つ手札を並べ、奴を生け捕りにする方法を模索する。できないわけではないが、なるべくならば避けたい手段だった。


「こちらからも攻撃させてもらいますよ」


 足元に置かれた『冒険者の鞄』から男が取り出したのは、銀色の錫杖。その神具を見て、ヴェンターは前に進んでいた体を強引に横に飛ばした。


 瞬間、ヴェンターがいた場所を銀の閃光が撃ち抜く。


「神具【イアレス】……! 騎士団が持ち出していたのか!」


 その神具には、ヴェンターも覚えがあった。魔素を凝縮して撃ち出す神代の御業。今の魔術技術では一切再現ができない神具。錫杖の先端から、次々と凝縮魔素の閃光が撃ち出される。同時に宝珠も制御しているせいか、イアレスの本来の性能の20パーセントというところだが、それでもあの閃光が直撃すれば無事では済まないだろう。


「【アイギス】と【イアレス】。絶対の防御と攻撃。この2つがある限り、私に負けはありません」


 銀の閃光が地面を焦がす。ヴェンターは錫杖の向きを見て、なんとかその攻撃をかわしていた。幸いだったのは、イアレスから放たれる閃光は先端を向けてから発射までにわずかに時間が空くことだ。攻撃の方向を先読みしてかわし、ディルムスを叩きつけるが――


「無駄と言っているでしょう?」

「ちっ」


 アイギスの結界によって防がれ、舌打ちを残して跳ぶ。直後、銀の閃熱がヴェンターの服の端を焦がす。


「……わかりませんね」

「なにがだ?」


 顔をしかめた男に、ヴェンターが問い返す。


「あなたほどの実力があれば、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を追い返すこともできたはずです。それをせず、6人全員が死ぬことになる。あなたは私に、あの冒険者たちは【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】に殺されて」


 傲岸不遜。


 3つの神具を扱う男は、自分の優位が崩れることを微塵も疑っていない。


「まあ、俺一人だったらお前には勝てないかもしれないな」

「『かもしれない』は余計ですよ」


 不満げに口を挟む男に、ヴェンターは内心笑みを深める。高熱の銀の閃光を発射するイアレス。この神具以外に攻撃の手段があれば、この男の性格なら今のタイミングで出しているだろう。プライドが高く、自分の優位に胡坐を掻く。冒険者には向かない男だ。


「俺には仲間がいるんでな。お前はいるのか?」

「いませんよ。足手まといなど必要ありません」


 全て信用するわけではないが、とりあえず聞きたかったことを聞きだしたヴェンターは、ディルムスを眼前に構えて口を開く。


「――……っ」



 その呟きと同時に、男の視界の全てが真紅に染まった。




 † † † †




 力の高まりに気づいたのは、必然だった。


 魔術によって世界の法則を捻じ曲げる時、必ずその予兆が空間に揺らぎを起こす。そして魔術が起こした影響は世界からの修正を受け続けるため、いずれ消える。魔術によって火災を発生させるためには、炎の魔術を放つだけでは足りない。


 魔術は長時間持つことはない。影響はいずれ消えるので、何度も何度も魔術を扱う必要がある。


(行ける――)


 そのときおそらく全員がそう思っていた。ルナリの殴打が【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】に効いているのは間違いなかった。奴が防御するように身を縮めた瞬間、私は大規模魔術の詠唱に入っていた。


 たたみかけるときだ、と判断し、その場で舞う。


 口は詠唱を紡ぎ、足は地面を叩き、手と指はしなりをつけて回る。


 視界が廻る。体がわる。


 状況が見えなくなる。ならばいっそ、と目を閉じる。


 ソラリアがいる。レルムがいる。ルナリがいる。そして、ガロエラがいる。


 何度も迷宮に潜った。レルムと二人で潜っている時は、何度も危険な目にあった。命を落としそうになったのなんて、一度や二度ではない。むりやり魔術を使い、傷を負いながら強引に突破する。そんなやり方しか知らなかった。


 私は変わった。ソラリアの言うことを聞き、力を合わせれば――私たちが苦戦していた壁なんて、大したことはなかった。


 ソラリアの指示は常に的確だったし、ガロエラとレルムはほとんど私に敵を向かわせることはなかったし、ルナリの存在は私に勇気を与えてくれた。


 魔術の腕には自信があった。誰にも負けないという自負があった。


 だから、魔術を使うことに集中させてくれるみんなを信用している。


(だけど――)


 迷宮での彼らに不満は一切ない。私が魔術を使いやすいように、常に方法を考えてくれた。ティスラーエルムさんは、私たちがパーティを組めない理由を、『移髪』のせいと誤魔化してくれたらしい。だが、本当はそれだけではない。


 本当の理由を話したとき、彼らは私たちと一緒に迷宮に潜ってくれるだろうか?


 その不安があった。私にも、レルムにも。


 レルムの不安はきっと私よりも深刻だろう。あの子はかなり人見知りだから。


 目を開く。


 私の魔素が魔術という形に収束していく。魔導神言語ちからあることばに導かれ、世界の法則を歪めるために。

 もう少しで魔術は完成する。だがそのとき、背筋に氷を入れられたような悪寒が走る。


『悪い予感』だ。


 まさか、と【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を見る。そこには、詠唱を始める前から変わっていない、防御姿勢の奴の姿があった。まるで攻撃に怯えているように見えるが、それは違う。奴の周囲の魔素の雰囲気が変わっている。



 ――【支配階層】の魔獣は、自身の周囲の環境を制御下に置く。



 足が勝手に動いた。


 ルナリは自分に強化魔術をかけ直していた。ガロエラは素早く動けない。


 もしも、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の攻撃が周囲に影響を及ぼすものだったら、ガロエラは避けられない。


 魔素が奴に集まっていく。その様子を感じ取れたのは、おそらく自分だけ。


 詠唱を中断。収束した魔素が自分の体内で暴れるが、構うものか。


 私の体を痛みが襲う。魔術になりかけた魔素が、全身に拡散して痛みを生み出す。魔術になり切っていない分、症状は軽い。


 走る。


 最初に聞いた、存在を示すような高らかな咆哮ではなく、怒りに満ちた本気の咆哮をあげる【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】、頭上に出現する巨大な火球。


 このあたりすべてを火の海にするつもりだ。


 だが、間に合った。


 私たちの体は炎に耐性がある。多少は焼けるだろうが仕方がない。


 ガロエラに向けて迫る火球、その進路を遮るように割り込む。庇うところまでは予想通りだったが、まさか炸裂するとは思わなかった。私の体を衝撃と高熱が襲い、弾き飛ばされる。


 意識が揺れ、視界が定まらない。


 ガロエラも吹き飛ばされたが、その程度の衝撃で彼が死ぬわけがない。炎を防げれば十分だ、あとはルナリが――やってくれる。


 そう思い、ルナリを探す。吹き飛ばされたことでルナリの傍まで転がってきたらしい。


 徐々に、私の意識が戻り始めた。火傷の痛みも消え始めている。初めて味わうが、これがルナリの治癒術なのだろう。


 ……ってそうじゃない!


「私はいいから……!」


 ルナリと目が合う。酷く驚いたような顔をしていた。そういえば――彼女にこの体を見せるのは、初めてになるのか。


 ガロエラも吹き飛ばされた今、ルナリが叩かないと【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を止められない。だが、ルナリは私の治療を優先した。


(あ……私が、この体のことを話さなかったから……)


 炎に耐性があることも説明していない。それならば、ルナリが真っ先に私の治療を始めたのもわかる。


「ん……わかった。私が時間を稼ぐね」


 ルナリはその言葉を残してメイスを担いで走る。その姿を見て、私の胸の中に暖かい想いが満ちた。


「ちょっと、しんどいけど……誰かを頼れる、って悪い気持ちじゃないわね」


 私の呟きを背中に受けて、ルナリは走る。少しでも時間を稼ぐために。


「ガロエラ……」


 転がったまま動かない彼を蹴り飛ばしてやりたいが、あいにくと私の体も衝撃がまだ抜け切れていない。彼が立ち上がれるように願うことくらいしかできなかった。

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