第23話 獅子

「……」


 俺は目を細める。空中を滑空する【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】――明らかに、俺が戦った時よりも強い。内部に秘めた魔素の量が桁違いだ。


 そして、ここは奴の好む灼熱の溶岩地帯ではない。だからその力は著しく弱体化するはずなのだが、減った魔素が補充されている。


 そこまで視れば、状況は理解できた。


 【巨大粘菌ソムレリアス】の大波も終わったところで、俺は炎熱結界を解除し、ディルムスを背負う。


「……ソラリア。あれ、お前らだけで倒せ」

「え?」


 【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は強敵だが、ソラリア達が倒せない敵ではない。それに加えて――


「あいつよりも厄介な奴がいる。あの【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を20層から追い出して、ここまで来させた奴がな」

「……ッ」


 何を企んでるか、わかったものじゃない。そして供給している力の質は、間違いなく【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】より上。こんなイレギュラーな事態を、何度も何度も起こさせるわけにはいかない。


 押し流された野営地を見る。一体何人が死んだのか……中には生きている奴もいると思うが、期待はできない。


「せっかくだから個人指導と行こうか、ガロエラ」


 俺は声をかける。勝算はあるが、負ける可能性もある。だが、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は完全にこちらに狙いを定めている。俺一人ならどうとでもなるだろうが、ソラリアたちだけでは逃げ切れない。


「……なんだよ、先生」

「お前の“力”は、なんのためのものか。もう一度考えてみるといい。なぜ、心の“鬼”がお前に従わないのかをな……そして、使うタイミングを間違えるなよ」

「っ、なんで知って――いや、やっぱりいい。ありがとよ」


 一瞬反駁しかけ、照れくさそうに頭を掻くガロエラ。裏表のない青年だ。ここで死なすには惜しい。


「エルム」


 続いて、俯く少女に語り掛ける。


「魔術とは汎用性だ。世界の法則を捻じ曲げる魔術は、術者の魔素量と技量で決まる。竜の瞳が欲しいなら、まずは今この時を見通せ」

「……はい」

「レルムは器用なのはいいが、遠慮しすぎだ。もっと自分を出していいんだぞ」

「……考えておきます」


 軽く頭を下げる双子。今はまあ、こんなものだろう。


「ルナリ。お前の治癒術は最後の手段だ。役割をはき違えるなよ」

「わかっています」

「……ソラリア」


 少しだけ悩む。彼女は、パーティリーダーとして高い適性を示した。努力もしている、知識もある。斥候としての能力も申し分ない。ただ、ひとつだけ気がかりなことがあり、それを言葉にするのは、少し覚悟が必要だった。


 だが、あの野営地で見せた、彼女の怒りが本物なら。


「仲間を舐められて怒るのはいいが、お前も助けてもらえ」

「――っ、はい。先生……」


 歯を食いしばって頷く彼女を見守り、俺は空を見据える。余計なことかもしれないが、お節介な先輩として、少しくらい後輩に贈り物をしてもバチは当たらないだろう。


「アルリアよ」


 冒険者の鞄から飛び出した“崩弓”アルリアを手にして、“朱槍”ディルムスをつがえる。あの時、【骨喰い蜈蚣ミルル=ミルガ】の変異体を相手にしたとき。その異様な防御力の骨を貫くために、俺はアルリアとディルムスの力を借りた。


「その翼、もらうぞ――」


 放つ。空を飛翔する銀と赤の流星。

 寸前で気づいた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】が身を捻ったせいで、2対ある翼そのものを切断することはできなかった。が、穴を開けることには成功した。多少は飛行に支障が出るだろう。


 そして、今の一撃で完全に敵だと認識されたようだった。それは、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】にではなく、奴に力を注いでいる何者かに、だ。


 溢れかえるように濃密な殺気を浴びて、俺は地面を蹴って走る。これだけ殺意をぶつけられれば、居場所くらいはわかる。


 俺は振り返らない。ソラリアたちならば、きっと勝てる。


 ディルムスを呼び戻し、アルリアを鞄に戻し、俺は草原を駆けた。





 † † † †






 ソラリア達は理解した。彼らが先生と慕う中級冒険者ヴェンターが相手をしに行くのは、自分たちでは相手にできない強敵なのだと。


「……まあ、あの先生が【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】から逃げるわけないわな」


 誤魔化すように告げるガロエラ。ほんの少しでも疑念を抱いた自分を恥じているのだろう。その気持ちは、エルムにもわかった。


「ちょっとでも疑った自分が恥ずかしい……」


 殺気をぶつけられ、『確実に勝てない』と思う相手は、エルムにとっても久しぶりだった。そして、ヴェンターがその相手を放置できないことも。放っておけばどうなるかわからない。そして、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は自分たちでもなんとかできる――そう判断したからこそ、この場を任せたのだと。


「たぶん、見抜かれてたね」


 レルムの疑心もお見通しだったというわけだ。溜息をつき、魔剣を構える。ヴェンターという男の観察眼はいっそ異様だ。まるで人を解き明かそうとするかのように、どこまでも的確な心理を突いてくる。


「私は先生と【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】、どっちと戦うか選べって言われたら【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を選ぶよ」


 メイスを取り出し、肩に担ぐルナリ。その視線は、飛翔するのを諦めて大地を駆ける【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】を見据えている。が、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】に踏みつぶされた草が焦げ付き、やがて炎となって広がっていくのを見て、嫌そうに顔をしかめた。


「やりましょう。私たちなら勝てます。――もちろん、誰一人欠けることなく」


 ソラリアの言葉が合図だった。走る勢いそのままに突撃してきた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の進路から逃れるように、ソラリアとレルムが左右に離れる。ガロエラが剣を収め、真正面から【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の突撃を受け止めた。


「うおおおおおお!」


 ――ルナリの強化魔術があるとはいえ、膂力が違う。体格が違う。それでも、ガロエラは吹き飛ばされず、数メートルを引きずられたものの、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の突進を受け止めた。


「雫よ/誕生の鐘よ/満たし癒せ/増えて織り成せ/冷たき風よ/吹き荒れよ!」


 燃え広がろうとする炎を巻き込んだ嵐。水と風が、炎を吹き飛ばし周囲の気温を下げる。火に火で抗うのは愚か者のすること。得手不得手はあれど、水も氷も風も使えないというわけではない。次に使う魔術を考え、エルムは舞う。その舞踏に遅れなく、その詠唱に迷いなく。





 気に入らない水を浴びせられた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】は、激情を抑えて黄色の瞳で周囲を睥睨する。自慢の突進を止めた妙な銀色も気に喰わないが、それ以上に中途半端に熱を冷まされたことのほうが問題だった。


 ――あいつか。


 魔素の高まりから、その生き物が一番厄介な敵だと判断する。そちらに向きを変える【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の視界を、扁平な剣の腹が遮った。


「『凍風ウィラン』!」


 ぶつけられた氷の礫は、大したダメージにはなりもしない。だが、煩わしい。左側にいる小娘は気にする必要はない。ケン、とやらで我が体に斬りつけているが、一切のダメージはない。そのような武器で我が体を傷つけることなどできない。


「ハアアアアッ!!」


 衝撃が、腹を貫いた。体が傾ぐほどの一撃。とてつもなく重いその攻撃は、どうやら後ろに下がっていた女が生み出したらしい。その両手に握られた鈍色の鈍器。なるほど、あれで我が腹を殴りつけたようだ。


 冷静に思考できたのは、そこまでだった。


 矮小な。このような、このような生き物が、我に傷を与えるなど。あってはならないことだ。

 思いとは裏腹に、我は小さなその生き物たちに翻弄され続けた。







(行ける――)


 確かな手ごたえを感じながら、ルナリはメイスを振るった。生物である以上、どんんなに表面が硬くても中には柔らかい内臓がある。【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の体をメイスで殴りつけるたびに、反動で両手の手首の骨が砕けるのを感じる。痛みもある。だが、体に溢れる生命力が、瞬く間に傷を癒し、私は強化魔術をかけ直して【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】に向かう。


 ソラリアの攻撃は気を引くことはできても、有効打にはなりそうもない。レルムの攻撃も同じく。ガロエラの剣は、多少衝撃はあるようだが、血が滲む程度の傷しかついていない。エルムが時間をかければ大魔術でダメージを与えられそうだが、そのあとが続かない。魔導石で余剰魔素を吸う余裕なんてないだろう。


 すでにルナリの装備もメイスも、自分の血と【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の血で真っ赤に染まっていた。


(まるで殺人鬼みたい……見たこと、ないけど)


 くだらない感想を振り払い、再び自分に強化魔術をかけ、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の元へ飛び込もうとした、そのとき。【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】が怒りに満ちた咆哮をあげた。





 【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】の頭上に顕れたのは、巨大な火球。まるで太陽のように轟轟と燃え盛るその火球は、人が生み出す魔術の炎とは全く違っていた。


「嘘――」


 巨大な火球は一瞬でいくつもの火球にわかれ、全方位へと放たれた。数を数えるのが馬鹿らしくなるほどの火球の嵐。ソラリアが必死に後ろに下がりながら避ける。レルムは魔剣を振り回し、なんとか致命傷を回避したようだった。だが、そばに着弾した火球は爆風を巻き起こし、小柄なレルムの体が吹き飛ぶ。


 そして、ガロエラは避けられない。ルナリの強化魔術は、今自分にかけたばかり。どうやっても間に合わない。いくらあの鎧が高性能だからといって、あの火球が直撃すれば即死だろう。


 どんな癒し手も、死者を蘇らせることはできない。


 ガロエラに迫る火球の前に、黒い人影が飛び出した。ヴェンターさんが帰ってきてくれたのか、と私は一瞬期待した。しかし見るからに小柄な、その人影は――




「なん、で……」




 両手を広げたエルムは、ガロエラに向かった火球を自らの背中で受け止めていた。

 炸裂した火球の爆風で吹き飛ばされ、地面を転がるエルム。もはやトレードマークのようになっていた黒ローブは焼け落ち、銀と赤の髪が零れ落ちる。


 無理だ、助からない。


 鎧を着ているガロエラですら死を確信するほどの威力の火球。その直撃を受ければ、ただの黒ローブなど防御力は髪に等しい。あの火球の直撃を受けた人間が、生きていられるわけがない。


 一瞬、戦場が止まる。唸り声を上げた【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】が力強く大地を踏みしめ、突進の構えをとる。このまま蹂躙するつもりなのだろう。


 ガロエラが容易く吹き飛ばされ、鎧ごと大地に叩き付けられるのを私はただ見ていることしかできなかった。

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