第22話 野営

「俺はここの護衛をしているクイルってんだ。到達階層は27! よろしくな」


 クイルと名乗った青年は、見たところ軽戦士のようだった。ソラリアほどの軽装ではないものの、ガロエラとは比べるまでもないほどの軽装。腰に2本の剣を携えている。


「どうも、パーティリーダーのソラリアです」

「よろしく……ソラリア? ん? 聞いたことがあるような……」


 記憶を探るように首を傾げるクイルだが、すぐに諦めてソラリアの肩を叩く。


「まあいいか、面白いメンバーだね」

「この野営地を利用したいです。ルナリ」

「はい」


 借りてきた猫のように大人しくなっているルナリが、金貨を1枚取り出す。なけなしの共有資金だが、取り返す算段があるのだろう。


「ほいよ、野営地利用料、確かにいただきました。じゃあこいつを首から下げておいてくれ」


 木片に紐を通したものを、全員が首から下げる。垂れてくる汗をクイルは拭ってから、ソラリアを褒める。


「よく調べているね、感心感心」

「ありがとうございます。買取所はどこですか?」

「この先の、あの屋根が少し赤く塗られているテントがあるだろう? あそこで買い取ってもらえるよ。ただ、運送料含めて相場は下がるけどね」


 この野営地には、いくつかの役割がある。

 まずは、15層における冒険者たちの拠点の確保。運営はギルドではなく、有志の冒険者が集まったクラン――【中層の安息所】という団体が取り仕切っている。【巨大粘菌ソムレリアス】の狩りは、おおよそ10日前後のペースで行われるため、それに合わせて15層から14層へ移動、冒険者の鞄を使って素材の運搬・買い取りを代行している組織である。冒険者ギルドの領分に踏み込んでいる部分もあるのだが、広義の意味では荷物持ちポーターの集団として認識されている。


 この15層に慣れた冒険者を雇って働かせることもできる。いわゆる護衛任務のその場受注である。初めて15層に降りた新人冒険者は、ここで護衛を雇うことで比較的安全に15層の探索を行える、というわけだ。死亡率の低下も、冒険者ギルドが【中層の安息所】を黙認している要因のひとつだろう。


「で、ここを探索するなら、護衛に俺とかどう? 1日金貨5枚で請け負うよ?」


 クイルは初級冒険者である。本来であればその護衛料は遥か上、相場は金貨10枚前後。冒険者は30層を超えてから中級、45層を超えれば上級と呼ばれるようになる。とはいえ、ここは15層の拠点であり、護衛を行える人数も多い。そのため値下げ競争が起き、護衛は相場より安く雇えるというわけだ。


 それもまた、この野営地のメリットではあるのだが……


「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 この場で即決、というわけにはいかない。護衛を雇う機会はいくらでもあるし、ソラリアたちにはヴェンターもいる。余計な出費、と判断するのは早かった。


「そっか。じゃあまた気が変わったら言ってよ、ソラリアちゃんたち可愛いから、俺頑張っちゃうよ!」


 おどけてそう告げたクイルは、ソラリアたちが何か反応を返すまえに、手をヒラヒラと振りながら去っていった。


「……行きましょうか」


 緊張から一転、毒気を抜かれるようなやり取りに、微妙な空気が漂う。エルムとレルムはフードで顔が見えないくせに適当なこと言いやがって、と内心で怒りを堪えていた。ルナリはまんざらでもなさそうな顔をしていた。


 野営地の中は、テントこそ多いものの割と閑散としていた。すれ違う冒険者の装備を観察しながら、ソラリアたちは買取所と呼ばれていたテントの中に入る。


「よう。素材の買い取りか?」


 中にいたのは、赤髪を後ろに垂らした、気の強そうな女性冒険者だった。ガロエラとソラリアがここまで持ってきていた【荒裂き蟷螂セリガディス】の鎌を四本、慎重に手渡す。


「あー……こいつか……相場よりだいぶ安くなっちまうがいいか?」

「理由をお伺いしても?」


 ソラリアの問いかけに、女冒険者はガシガシと頭を掻いた。


「ここいらで一番危険な【荒裂き蟷螂セリガディス】の鎌。まあ、悪い素材じゃねぇ。だけど、あまりにも狩られすぎてて、あんまり需要がねぇんだよ。供給過多ってやつだな。在庫になっちまうから、高値では買えねぇ……結構溜まってきてるしな」


 溜息を吐く女冒険者が、ちらりと店の後ろを見る。ソラリアが覗き込むと、なるほど確かにそこには大量に並んだ【荒裂き蟷螂セリガディス】の鎌があった。


「とりあえず、私たちが持っててもしょうがないので、言い値で売ります」

「ちょっ」


 ソラリアのあまりにもあけすけな言い方にルナリが慌てる。売るにしても買うにしても値段交渉はするべきである。安く買い叩ける、と舐められたら負けなのだ。


「私たちは15層を通過します。こんなところで・・・・・・・くすぶるつもりはありません。重荷になる素材は不要です。で、いくらですか?」

「……へぇ、嬢ちゃん、見た目に似合わず毒舌だね」

「何の話でしょうか」


 後ろで聞いていたヴェンターが、やれやれと肩を竦める。分かりづらいが、ソラリアは苛ついていた。表情には出ていないが、纏っている雰囲気が妙に刺々しく、喧嘩腰なのだ。


「この野営地が気に喰わないのかい?」

「いえ、別に。ただ、このようなやり方で金を稼ぎ、冒険者を名乗る・・・・・・・とは片腹痛いな・・・・・・・、とは思いますが」

「……どういう意味だ」


 女冒険者の目が細くなり、目の前の華奢な少女を威圧する。しかし、無数の死線を潜り抜けてきた冒険者の眼光でも、ソラリアは怯まない。


「迷宮の中で商人の真似事ですか。冒険者ギルドの・・・・・・・相場は崩れない・・・・・・・――賢しらに需要と供給などを騙るのはやめてもらえますか」


 冒険者ギルドの素材買取相場は崩れない。なぜなら、冒険者ギルドは都市外部にも流通経路を持っており、大陸各国はこぞって迷宮産の素材を欲しがるからだ。10層より下の魔獣の素材ともなれば、その価値は跳ね上がる。迷宮都市内部だけならともかく、外部の需要がなくなることはあり得ない――ソラリアはそう言っているのだ。


「あなた方が安く素材を買い叩き、冒険者ギルドに売り、その差額で儲けを出すのは構いません。ですが、くだらない嘘で煙に巻こうとするのであれば、私はこの野営地に協力しませんよ」

「……来たばっかりの新人が、言うじゃないか。あんたらの協力がなくなったところで、私たちは困らない」

「はっ、見る目がなさすぎますね。その【荒裂き蟷螂セリガディス】の鎌を見ても、私たちをただの新人と侮るとは」


 小馬鹿にするソラリアは、何がそんなに腹に据えかねたのか、恐ろしいほどに強気だ。後ろでオロオロする仲間たちを無視して、言葉を繋ぐ。


「説明しなきゃわかりませんか? 私たちは、一撃で【荒裂き蟷螂セリガディス】を狩る実力があるって言ってるんですよ。そんな刃こぼれだらけの鎌じゃなくて、完品に近い素材をとってこれる。そこらの初級冒険者にソレができますか?」


 渡した4本の鎌のうち、一か所だけ欠けている鎌が3本、1本は欠けのない完璧な美品。刃物としてだけでなく、観賞用にも耐えるだろう。【荒裂き蟷螂セリガディス】との戦いは、どうしたって鎌との打ち合いになる。遠くから魔術で攻撃しようにも、彼らは鎌で魔術から身を守ろうとするため、戦闘を行えば間違いなく鎌に傷がつく。ソラリアの言葉に、女冒険者は額に浮き出た汗を拭う。


「――なるほど、実力はあるってわけかい。だが、ここでは関係ない。この15層で生きていくなら、うちらのルールには従ってもらう。金貨3枚だよ」


  相場の半分以下の値段を提示されたソラリアは、苛立つように口を開きかけ、一度閉じた。周囲を見回し、いつの間にか浮き上がっていた汗を拭い――


「それで結構です」


 ソラリアは頷く。女冒険者は驚いたように目を見開いたが、金貨を3枚ソラリアに手渡した。


「言っても無駄だと思いますが、一応忠告しておきます。そのままだと、たぶん死にますよ」

「――何?」

「今すぐ逃げることをオススメしますし、私はそうします――行きますよ」


 ソラリアは、仲間を引き連れて買取所を後にすると、足早に野営地の入り口に向かって歩く。


「おい、どうしたんだソラリア? らしくないぞ」


 ガロエラが思わずといった様子で問いかける。わずかに息が上がった様子のガロエラに、ソラリアは向き直った。


「詳しく説明する時間はありません。ルナリ、お金だけ持って荷物は放棄。今すぐこの階層を離れ、地上に戻ります――ヴェンターさん、余裕はどれくらいありますか?」

「そうだな。運が良ければ間に合うんじゃないか――おっと、ダメだこれは。逃げるぞ」


 ヴェンターの視線が遥か彼方にそびえる【巨大粘菌ソムレリアス】に向けられる。よく見ればその全身は震えており、今にも崩れ落ちそうである。


「もう少し早く気付ければ……! 逃げますよ!」

「お、おいおい、どういうことか説明してくれよ!」


 ガロエラは文句を言うものの、それどころではないということを雰囲気で察したのか、必死に走り始める。ソラリアを先頭にして、レルム、ルナリ、ガロエラ、エルムが走る。ヴェンターは最後尾を走りながら背後を見据えていた。


「崩れるな」


 【巨大粘菌ソムレリアス】の緑色の巨体が、転がり始めた。それはまっすぐに野営地に向かっており、このままでは押しつぶされるだろう。汗を拭い、ソラリア達は走る。


「お、おいなんだあれ……!」

「なんで【巨大粘菌ソムレリアス】が動いてるんだよ!」

「落ち着け! まずは撤退の準備を――!」

「いっつも余裕を持って移動してるのに、間に合うわけねぇだろ!」

「まだ、こないだ狩りをしたばっかりなのに……!」


 背後の野営地から聞こえてくる喧騒に耳を貸さず、ソラリアたちは走り続ける。ソラリアは転がって移動をする【巨大粘菌ソムレリアス】の経路を予想し、そこから直角に逃げる。もし、ソラリアの予想が正しいならば。


「ちっ……ソラリア、止まれ。陣を作る。アレやっぱり、崩れるぞ」

「くっ……! 間に合いませんでしたか!」


 ヴェンターが『冒険者の鞄』から“朱槍”ディルムスを取り出すのと、遠く彼方に見えた【巨大粘菌ソムレリアス】の巨体が崩壊するのは同時だった。


「他言無用で頼むぞ――転輪にて護れ/座して唱えよ/焔の加護よ/導を示し/竜の息吹よ/槍の担い手よ/我が魂の領域の盾となれ!」


 地面に突き立てられた“朱槍”ディルムスから青白い輝きが2つ、周囲を舞うように踊る。気付けば、地面には真紅の線がソラリア達を囲むように刻まれ、煌々と輝いていた。

 ヴェンターによる結界魔術完成直後、【巨大粘菌ソムレリアス】の体が崩れる。ゼリー状の形態を崩し、さながら水面を走る大波のように大地を覆い尽くす。途中にいたほとんどの魔獣を巻き込み、【巨大粘菌ソムレリアス】は一直線に野営地に向かって崩れ迫った。


 その高さ、およそ4メートル。迷宮内部に築き上げた確かな人の営みは、【巨大粘菌ソムレリアス】の体液による波に浚われた。唸りを上げて大地を飲み込み、人も魔獣も関係なく浚っていく大波。これこそが【巨大粘菌ソムレリアス】の狩りの方法である。


 直接的な狙いではなかったとはいえ、ソラリアたちのところにも消化液の波は来た。だがソラリアたちのところに到達した【巨大粘菌ソムレリアス】の体液は、薄赤の結界に触れて片端から蒸発していく。


「すご……」

「これで、多少・・……?」


 ソラリアの前以外では初めて行使して見せたヴェンターの魔術に、ルナリとエルムが驚きの声を漏らす。


 しかし、ヴェンターとソラリアの表情は厳しい。


 本来であれば獲物を喰らったまま元の巨体に戻る【巨大粘菌ソムレリアス】が、そのまま融け込むように川に向かって消えていく。


 まるで逃げるように・・・・・・・・・


「【巨大粘菌ソムレリアス】が逃げる相手……」

「上昇し始めた気温――」


 ソラリアの顔が引き攣る。まるで、笑って誤魔化そうとして失敗したような歪な表情に、ガロエラたちも恐る恐るそちらを見た。


 揺らめく陽炎の向こう側。


 翼を動かすことなく、空中を滑空するその獣の姿。


 ヴェンターは経験として、ソラリアたちは知識として、その獣の名を知っていた。


「20層の【支配階層】、【灼熱を纏う獅子フレイドル・サーベラ】……」


 15層に、高らかな咆哮が響き渡った。

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