第21話 蟷螂

 迷宮14層。迷宮最後の通路型の階層である。12層が登竜門であるならば、14層は腕試しの場所である。純然たる肉食魔虫の【荒裂き蟷螂セリガディス】が生態系の頂点に存在する。そんな【荒裂き蟷螂セリガディス】も、ひとつ階層が下がった15層では被捕食者なのだが、14層最強の魔虫であることに違いはない。


 ソラリア自身、【荒裂き蟷螂セリガディス】と対峙するのは初めてではない。だが、通路を埋め尽くすように現れたその姿を見て、ソラリアは自身の心が軋むのを感じる。


 フラッシュバックする、過去の記憶。脳裏を駆け巡っていく仲間の最期。『来るな』と叫んだ、誰よりも生きることを楽しんでいたロージスの死。


 意識の空白は停滞を呼び、停滞は疑念を呼び、疑念は最悪の結果となって現れる。


 ゆえに迷えない、悩めない。パーティリーダーとしての役割を果たす――それだけが、彼女の考える彼らへの手向けだった。


 彼らは笑うだろう。ソラリアと深い絆で結ばれていた彼らは、ソラリアの悩みを考えるに値しない、と笑うだろう。それがわかっているからこそ――


「ガロエラ! レルム! 連続攻撃に気を付けて、私も出る!」


 ――視界の端でヴェンターが頷くのを見ながら、ソラリアは前に出る。2対の鎌、切れ味は鋭く、生半可な鎧ならば引き裂いてしまう。どうやらガロエラの着込んでいる鎧はかなり強度が高く魔術的な強化も施されているようなので、おそらく大丈夫だとは思うが、対価が仲間の命となる危険な賭けを犯す理由はなかった。


「剣を合わせて!」


 それができる、と確信している。右腕上部の鎌の振り下ろし、飛び出たレルムの魔剣の側面を滑り、床に突き刺さる。左腕下部の鎌の薙ぎ払い、ガロエラの直剣が地面を支えに受け止める。

 残る鎌は2本。右腕下部、左腕上部。振り下ろされた右腕上部の鎌はまだ床にある。右腕下部の鎌を振るうことは構造上不可能。ならば、次来るのは――


 ガロエラの右に並び立ち、振り下ろされる左腕上部の鎌を弾いて逸らす。腕に走る強烈な衝撃。重さはさほどないとはいえ、その速度はそのまま衝撃となってソラリアの腕に痺れを残す。とはいえ、弾かなければ、ガロエラが頭から真っ二つに縦に割られてしまう。


「ルナリ、レルム!」


 死地の緊張で強張る口を無理やり動かして叫ぶ。元より、【荒裂き蟷螂セリガディス】に対する戦い方は決めてあった。いくつかのパターンに沿った対応、そのひとつ。


 空中を鈍色の光が走る。


 後衛にいたルナリが自身を強化魔術で強化して、メイスを投げたのだ。近接戦闘は素人、【荒裂き蟷螂セリガディス】に近づくのはリスクが高すぎる。だが近づかずに、巨大なメイスを投げるくらいなら。的も大きいし、何よりルナリはエルムと違ってコントロールがよかった。


 頭部に迫るメイスに、本能的に恐怖を感じたのだろう。強化状態で投げつけられたメイスは容易に頭を粉砕し得る。【荒裂き蟷螂セリガディス】自身、あまり外殻は固くない。素早く動くために軽く鋭く進化を遂げたのだろうが、それならば体を大きくするべきではなかった。


 メイスを避けるために下がった頭に、レルムの魔剣が迫る。


「『放熱フェルミ』!」


 普段は静かなレルムの気合の篭もった声。眼前に突き出された魔剣から放たれる火球を、【荒裂き蟷螂セリガディス】は避ける手段を持たなかった。目を焼かれ、触覚を焼かれ、【荒裂き蟷螂セリガディス】は苦しみながら後ずさる。ソラリア、ガロエラ、レルムの3人も、無理に【荒裂き蟷螂セリガディス】を追わずに下がる。


 そして、エルムの魔術が完成。通路を埋め尽くすように放たれた氷柱の弾丸は、いくつかは天井や壁にぶつかって砕け散りながらも、その多くが【荒裂き蟷螂セリガディス】の柔らかい腹に突き刺さり、【荒裂き蟷螂セリガディス】を絶命させたのだった。




「効率、という面で見れば……」


 珍しく焼け焦げなかった魔虫の死体から鎌を剥ぎ取りつつ、ソラリアが呟く。作業中だったガロエラはともかく、メイスを拾って戻ってきたルナリ、休憩中だったエルムとレルムが訝し気な目線をソラリアに向ける。


「エルムの魔術は、非常に役立っています。あのサイズの【荒裂き蟷螂セリガディス】をこの速度で討伐しようと思えば、複数人の剣士が腹に張り付いてめった刺しにする必要があります」


 独り言のように呟かれた言葉に、エルムが固まった。革袋から口を離し、左手からは空の魔導石がこぼれ落ちた。


「……何か?」

「り、リーダーが……私のこと、褒めた……?」

「な、何ですか急に。褒めることくらいあります」

「いやいやいやいや、褒められた記憶、ある!?」


 エルムの誰何の声に、ガロエラとルナリが揃って首を横に振る。レルムは「私はあるけど?」と言いたげに涼しい顔をして我関せず、だ。


「そ、ソラリア……」

「何ですかその妙な顔は」


 頬を赤らめて近寄ってくるルナリに対し、ソラリアは警戒するように身を引いた。


「私のことも褒めて?」


 妙に体をくねらせながら恥じらうルナリは、男性にとっては目に毒だったろうが、慣れているヴェンターは完全に無視、ガロエラはなぜかエルムに蹴られていた。そしてソラリアは意味の分からないその要望を断ろうとしたが、寸前で思いとどまる。


(円滑なコミュニケーションや連携のためには、私ももう少しみんなのことを褒めるべきなのかもしれない……最近読んだ資料にもそんなことが書いてあったし……)


 『デキる上司は部下を褒めて伸ばす! ~褒めない上司の倒し方~』に書かれていたことを実践しようと、とりあえず脳内にルナリのいいところを思い浮かべるソラリア。


「……コントロールがいいですよね。正確に頭を狙って投げられるのは凄いと思います。正直癒し手は後ろで棒立ちくらいの役目しかないかな、と思っていたのですが、嬉しい誤算でした。今のところ大きな怪我は誰もしていませんが、怪我した時はお願いしますね」

「ん、んん~微妙! なんかちょっと貶された気がする! けどソラリアちゃんの貴重なデレが見れたのでよし!」


 満足したのか、上機嫌な足取りで去っていくルナリをソラリアは胡乱な目で見送り、止まっていた剥ぎ取り作業に戻ろうと視線を落とす。が、何か言いたげな視線を感じて、顔を上げる。


 ガロエラがこっちを見ていた。


「お、俺は?」

「……」


 数秒悩むが、まあ別に大した労力でもない、と評価を伝える。


「まさか全身金属鎧フルプレートメイルを着込んだままそこまで動けるとは思っていませんでした。体力も化け物に近いレベルで持ってますね。私ではその鎧は装着することすら難しいでしょう。剣技もかなりの腕前で、安心感があります。まあ集団戦に慣れていなくて、たまに敵に突っ込んでいってしまうのは直してほしいです。こんなところですね」


 微妙な気恥ずかしさを感じ、わずかに紅潮した頬を隠すように俯き、鎌を剥ぎ取る作業に戻る。何かが震えているような金属音、続いてまるで誰かが何かに蹴りを入れたような音が響くが、ソラリアは何も見ていない。


「ソラリア……もしかして、リーダーとしての資質、めちゃくちゃ高いのでは……?」


 完全にメンバーを手玉に取ってやる気を引き出した一連の会話を見て、ヴェンターが震える声で呟く。これが狙ってやっているならばわかるが、ソラリアは完全に無意識だ。完全に無意識で、『落として上げる』を実践している。


 普段厳しい相手に認められれば、それだけで嬉しさは倍増するものだ。


 おりを見てもう少しメンバーのことを認めてやるように伝えるつもりだったヴェンターは、生徒の才能が嬉しいような、自分の出番が奪われて悔しいような、微妙な気持ちになるのだった。



 † † † †



 迷宮15層。

 松明を手にしたソラリアたちは、眼前に広がる光景に目が点になった。話に聞いてはいたが、実際に目で見ると信じられない。その気持ちは、ヴェンターにはよくわからない。こういうものだ、と思って育ってきたからだ。慣れているともいえる。


 地下に草原が広がっている。遠く彼方まで見渡せそうなほど広く、穏やかな風が肌を撫でていく。わずかに湿気を含んだ風が、ソラリアにここに水場が存在することを予感させた。


「明るい……」

「草だ……」


 発光する天井の光は、弱く柔らかい【翠苔ラケ】のものではない。もっと強い、白に輝く光だ。それがこの階層全体を照らしている。ソラリアは汗を拭う。14層に比べ、気温が高いように感じる。


 そうして周囲を見渡すと、遠く彼方に緑色の小山が見えた。


「あれが、【巨大粘菌ソムレリアス】……でか……」


 ソラリアから珍しく、呆然とした呟きがこぼれる。15層の支配者にして、最強の捕食生物。【荒裂き蟷螂セリガディス】も、あの魔獣の前にはただの被捕食者に過ぎない。波のように広がり、触れた魔獣に殺到、包み込んで窒息させ捕食するという魔獣。消化中は動かないので安全だが、定期的に狩りを行うので、狩りを行う前にはこの階層から撤退する必要がある。しかし奴を討伐してしまうと、広い階層に【荒裂き蟷螂セリガディス】が溢れかえることは目に見えているので、討伐されていない。旨味がないという理由もある。


「……ずっとこうしているつもりか?」


 ヴェンターの揶揄い混じりの言葉に、全員がハッ、と意識を取り戻す。持ち回りで荷物を担いでいたルナリが不満を言う。


「重いから早く行こう……これ本当に重い……」


 テントなどを収納した背嚢である。ヴェンターが持つ『冒険者の鞄』と違い、見た目通りの容量しかない。ここまで潜れるようになったのなら、荷物持ちポーターを雇うのも視野に入るだろう。『冒険者の鞄』を持っている荷物持ちポーターは高いが、それに見合うだけの稼ぎを約束してくれる。


「とりあえず、この階層で一泊します。冒険者たちとすれ違っていないので、【巨大粘菌ソムレリアス】の狩りはまだなのでしょう。野営地を探しましょう」


 おー、と気の抜けた返事を返した仲間たちを連れて、ソラリアは先頭で索敵をしながら進む。草原は見晴らしがいいが、通路型の迷宮に比べ自然の動きが多い。風に揺れる草のパターンを覚え、不自然な動きを見逃さないように努める。


 魔獣に不意打ちされれば一気に不利に陥るのだから、気は抜けなかった。


(方角はこっちのはず……)


 脳裏に冒険者ギルドのなかにあった簡易地図の図面を思い出しながら、ソラリアは慎重に移動する。もう少しこの階層に慣れればマッピングもできるのだろうが、さすがにそこまでの余裕はない。


 ちなみに、資料の閲覧料は全てソラリアの自費である。


「……魔導石も経費なんだから、閲覧料も経費で落ちますよね?」

「やむを得ません……」


 ソラリアの問いかけに、倹約家だがケチではないルナリが応じる。今後深い階層に潜るのであれば閲覧料は徐々に高くなっていくことが予測される。冒険者ギルドも命にかかわる情報は積極的に開示しているが、稼ぎどころや狩りのポイントなどは冒険者自身が秘匿していることが多い。


 そういう秘密主義な体質がヴェンターやソラリアから『信用できない』という言葉を引き出しているのだが、副ギルド長いわく、「慈善事業ではない」とのこと。情報の集約、という点では間違いなく便利なので、冒険者たちも表立って文句は言わないだけだ。


「水の音がしますね……全員、警戒」


 水は迷宮内において貴重な資源だ。すぐ傍に野営地を作るのはタブーとされているが、それでも遠すぎれば移動中に襲われる危険がある。水場には魔獣や魔虫が集まりやすいので、ソラリア達は慎重に歩みを進めた。


 やがて、その光景が目に飛び込んでくる。


 茶色と緑色の混合で構成されたテントの数々。およそ20ほどあるテントの周辺で人が動き回り、装備の手入れや炎の管理、情報の交換などを行っている。その光景は圧巻だった。ここが迷宮の中であることを、しばらく忘れさせるほどの。

 話は聞いていたソラリアも、思わず気圧される。人の領域ではないはずの迷宮内部だが、そこには人の営みが存在した。


 ソラリアたちに気づいた1人の男が駆け寄ってくる。


「やあ、初めまして。君たちは見たところ新人パーティだね? ようこそ、15層のキャンプ地へ!」


 明るい茶髪を揺らし、額の汗を拭ったその青年は、呆然とするソラリア達に向けて人好きのする笑みを浮かべるのだった。

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