第20話 登竜門

 迷宮12層へと降り立つための坂を前にして、ソラリアはわずかに身を強張らせた。今日、12層を抜けて15層を目指す。道中には【肉食蝙蝠スティア・ローク】をはじめ、【紫毒蛾フィスモス】や【荒裂き蟷螂セリガディス】など厄介な魔獣が多数存在する。だが、パーティの実力で言えば、一切問題ないはずだった。

 ガロエラの防御力、エルムの火力、レルムの応用力、ルナリの治癒術と強化術。ソラリアの理性は全て『問題なし』と告げている。


「……行きます」


 声をかけたソラリアを、ルナリが訝し気に窺った。少しだけ声が震えていたような気がしたのだ。


「落ち着け、ソラリア」


 普段は後ろに下がって何もしないヴェンターが、珍しくソラリアに声をかける。12層から下は、ソラリアにとって未知の領域。もちろん下調べはしているだろうが、それは所詮伝聞でしかない。そして、情報がない現象や魔獣ほど、迷宮では忌避すべきとされている。

 情報が残っているということは、遭遇した冒険者が『生きて帰ってこれた』ことを示している。逆に、入念な下調べをしたのに一切の情報がない相手と遭遇した場合。それはそのまま、危険度が高い相手ということを示している。


 だからこそ、冒険者は過去の記録を漁り、読み耽る。どんな些細な情報も、見落とせば自分の命と引き換えになる可能性があるのだから。


 雰囲気を変えようとしたのか、ガロエラが口を開く。


「ここに出る【肉食蝙蝠スティア・ローク】ってやつが厄介なんだよな。倒しても倒しても後ろから出てくるし」


「……【肉食蝙蝠スティア・ローク】は3種類のタイプがいます。攻撃役アタッカー防衛役ディフェンダー、そして誘引役インヴァイター誘引役インヴァイターは基本、天井付近で飛行しているはずですので、遭遇したら何が何でも倒してください。そいつが生きている限り、別の場所から【肉食蝙蝠スティア・ローク】を集め続けますので」


 普通は、どんな些細な情報も調べるのである。

 これは戻ったら久々に迷宮座学コースだな、と視線を逸らすガロエラとエルムとルナリを睨むソラリア。


「ちなみに、人の耳には聞こえない高周波の音で誘引してるから、大音量を上げ続けるのも有効だぞ」


 大変だけどな、と肩を竦めて補足するヴェンターに、ソラリアはようやく緊張がほぐれたようだった。


「もう誰も死なせません……行きましょう」


 自然体に戻ったソラリアが罠を調べ、5人はゆっくりと坂道を下り始めた。



 12層に降りて10分ほど経った頃、全員の耳が耳障りな羽ばたき音を捉えた。


「戦闘用意、敵【肉食蝙蝠スティア・ローク】、数は約10体」

「さっそくお出ましか! 前に出るぜ!」


 ソラリアの声と同時に、ガロエラが長剣を構えて前に出る。12層の天井は3メートル程度、天井付近を飛行する2匹の誘引役インヴァイターの【肉食蝙蝠スティア・ローク】まで、ガロエラの攻撃は届かない。なるほど、これでは彼が12層で詰まるのも頷ける。


「遠距離攻撃の手段が必要、つまり私の出番ってわけね。レルム、護衛よろしく」

「もうやってるから早く詠唱して」


 さっそくエルムに襲い掛かろうとした【肉食蝙蝠スティア・ローク】をレルムの剣が切り捨てる。徐々に赤熱していく右手の魔剣を振るい、怯む【肉食蝙蝠スティア・ローク】を威嚇する。一匹目を鮮やかに切り殺したせいか、戸惑うように【肉食蝙蝠スティア・ローク】たちが飛行を乱す。


「エルム、簡単な魔術でいいから誘引役インヴァイターが先!」


 レルムの魔術は射程が短い。せいぜい、剣の先から1メートルほどしか届かないため、長距離を攻撃するならエルムが魔術を使う必要があるのだが。


「あんまり得意じゃないわよ! 導け破滅の福音/底にて響け唸り声/我が灯火よ、敵を滅ぼせ!」


 エルムの手から伸びるように放たれた火球は、大きくカーブを描いて誰もいない天井に突き刺さり、焦げ目を作った。一瞬、【肉食蝙蝠スティア・ローク】との戦闘が止まる。

 慌てて気を取り直したガロエラが一匹を叩き切ると同時に、膠着した戦場が再び動き出す。


「へたくそ!」

「得意じゃないって言ったわ!」


 ソラリアの罵声にエルムが言い返す。レルムはこっそりと溜息をつきながら左手に魔剣を取り出し、二本の剣で姉にまとわりつこうとする【肉食蝙蝠スティア・ローク】を振り払う。


「ルナリ、強化魔術をガロエラに! エルム、範囲魔術用意!」


 いつものやつだ、と理解した二人が同時に詠唱を開始する。わずかに早く完成したルナリの強化魔術がガロエラの行動速度を強化した。


「ガロエラ!」


 ルナリの声かけに応え、ガロエラが大きく跳躍して下がる。突然の俊敏な動きに、【肉食蝙蝠スティア・ローク】たちはついていくことができない。空中で惑う【肉食蝙蝠スティア・ローク】たちを、大きく膨らんだ炎の波が丸ごと焼き払い、後に残ったのは焼け焦げた死体だけだった。


「ふぅ……いい仕事したわ」


 余剰の魔素が還ってこないように魔導石で魔素を吸い取りながら、エルムは呟く。戦果だけ見れば、ひとりで10匹近い【肉食蝙蝠スティア・ローク】を倒したのだ。だが、満足気に息を吐き出すエルムとは裏腹に、ソラリアとルナリが厳しい顔をしていた。


「もう純粋にコントロールがないのね。本当に……」

「魔導石だってタダじゃないのよ……」


 空の魔導石と火の魔導石だと、圧倒的に空の魔導石の方が値段が高い。迷宮都市の外に出ると値段が逆転するのだが、この都市の空の魔導石の需要は高いのだ。その分、大量に仕入れられているため、暴利な値段ではないことが救いといえば救いか。


「レルムちゃんを見習ってほしいわ。経済的」

「私は姉のように大規模な魔術は苦手なので」

「わ、私だって頑張ってるわよ! 最近、ちょっと氷雪系にも手を出してるんだから!」

「それで、成果は?」

「さ、寒いの苦手で……」


 火の魔導石よりも氷の魔導石の方が値段が高い。とはいえ微々たる違いなのだが。ソラリアに淡々と論破されたエルムの声が震える。助けを求めるように妹、続いて黙っているガロエラを見るが、2人ともソラリアと目を合わせてから明後日の方向を向いた。


「まあまあ、速度を上げて潜る、という意味ではエルムの高火力も悪いわけじゃない。確かに燃費は悪いけど、14層まで潜れれば、稼ぎは解決できるだろ?」

「先生……!」


 味方を見つけたエルムが、ヴェンターの後ろに隠れる。


「今初めて、先生のことを先生だと認識したわ」

「ははは」


 そういえばエルムにはあまり助言をしてないな、と己の行動を振り返って乾いた笑いをあげるヴェンター。とはいえ、魔術のコントロールに関してはあまり言ってやれることがない。


「コントロールが上手くいかないなら、範囲魔術の一部を顕現させる方法はどうだ?」

「そんな高等技術使えません」


 そうか、と頷くヴェンター。簡単な魔術のコントロールも難しいなら、余計難易度を上げるだけ。ヴェンターとて魔術は扱えるし、その基礎理論のようなものは理解しているのだが、専門家ではないためこれ以上の助言は送れそうもない。


「まあ私も寒いのは苦手なので血筋でしょうね」


 両手を合わせて擦り合わせ、なんとか熱を確保しているレルムが口を挟む。確かに、言われてみれば戦闘後のレルムはよくこうして手を擦り合わせていた。左手に氷雪系の魔術を使っているので、冷えるのだろう。


「いずれにせよ、こうも燃やされてしまうと何も売れませんね。牙が採れるかどうかだけ確認しましょう」

「あいよ」


 ソラリアとガロエラが手慣れた様子で死骸をひっくり返し、牙を引き抜いていく。無事な牙は少なかったが、頭が炭化しているため簡単に引き抜くことができ、とりあえずギリギリ黒字にはなりそうだった。


「魔素の残量は?」

「結構余裕があります」

「私も」

「じゃあ行きましょう。【肉食蝙蝠スティア・ローク】以外の魔獣は魔術なしで行きますので、温存しておいてください」


 ソラリアの指示に従って、再びパーティは移動を開始する。そのあとは問題なく戦闘をこなし、13層へと降りるための坂道へとたどり着く。


 ここから先は、ソラリアにとっても未知の領域だ。ヴェンターから伝え聞いていた知識を思い出し、13層へと足を踏み入れる。


 まず――12層、冒険者の登竜門と呼ばれる階層との違いは、その暗さだ。


「明かりをつけます」

「任せて」


 ソラリアが掲げる松明に、レルムの魔剣が押し当てられて、勢いよく燃え始める。一度火がつけば3時間は燃え続ける松明の炎によって、周囲が明るく照らし出される。

 熱と光を嫌がった【骨喰い蜈蚣ミルル=ミルガ】が渇いた音を立てながら逃げていく。


「……先生」


 ああ、と頷いてヴェンターがソラリアの傍に寄る。【骨喰い蜈蚣ミルル=ミルガ】自体は14層の魔虫のはずだが、たまにこうして上がってくることはある。そのことをソラリアに伝えると、安堵したように強張っていた体から力が抜けた。とりあえず、あの変異体を倒したヴェンターがそばにいれば、問題はなさそうだ。


「行きます。15層まで行ければ、明るくなりますので、決してはぐれないようにしてください。何か気づいたことがあれば、すぐ言うように」


 真剣な鳶色の瞳で見つめられた4人が神妙に頷く。彼らも感じ取っているのだ。この13層からは、ソラリアにとって未知の領域であり、不可測な事態が起きることも十分にあり得ることを。


 壁が、蠢いた。


 反応したガロエラを、ソラリアが制する。


「これは無害……と言い切るのも難しいですが、触れなければ問題ありません。ちょうどいいので、知識を共有しておきましょう」


 松明の光を近づけるが、その魔虫は逃げようともせずに触覚を蠢かすだけだ。扁平な茶褐色の体に、赤黒い斑点。毒々しい警告色に、エルム、レルム、ルナリの三人は明らかに警戒しながらじりじりとにじり寄ってきた。


「【臭虫ブムース】という魔虫です。刺激したり、危害を加えると強烈な臭いのガスを発生させて敵を追い払います。死ぬほど臭くて、3日ほどその臭いが体から取れないそうですが、害はありません」

「めちゃくちゃ有害じゃない……」


 13層があまり話題にならない理由を理解し、エルムが溜息をつく。


「異様な臭気を感じたら言ってください。コレ、14層の【荒裂き蟷螂セリガディス】がたまに餌にするらしいんです。つまり……」

「こいつが危険だと感じて臭いを出していれば、近くに【荒裂き蟷螂セリガディス】がいる可能性が高いってことか」


 ソラリアは、基本的には【臭虫ブムース】のせいで、13層にはほとんどほかの魔獣が存在しないことを告げる。とはいえ、油断している状態で【荒裂き蟷螂セリガディス】に遭遇すれば苦戦は免れない。決して気を抜かないように忠告し、探索に戻る。


 じりじりと暗闇を警戒しながらの探索は、彼らの精神を疲弊させたが……無事に、彼らは13層を抜けて14層にたどりつくことに成功したのだった。

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