第19話 準備
「12回目」
呟かれた声に、私は反応する。妹はあまり頻繁に喋るタイプではなく、興味のあることに対してだけ饒舌になるタイプだ。二人でいる時、妹から発言するのはなかなか珍しい。
「……何が?」
とはいえ、意味がわからなかったので聞き返す。
「今日、起きてから吐いた溜息の数」
「……誰の?」
「お姉ちゃんの」
顔がわずかに火照るのを感じ取る。自覚はなかったが、どうやら妹が気にする程度には溜息が漏れていたらしい。
「お姉ちゃんはチョロすぎ」
「う、うるさいわよ」
何を言っているのかを確認する必要はなかった。物心ついてから多くの時間を共に過ごしてきたのだ、互いに考えることなんて言わずともある程度はわかる。
「でもその、珍しいじゃない?」
「何が?」
いまいち伝わっていない様子の妹に、私は慎重に言葉を選びながら話す。私の心にある、このふわふわとしたよくわからない想いが、妹にすべて伝わってしまわないように。
「その、男の人……を気に入ったのが、片方だけなんて……」
「言い方……まあ、初めてじゃない?」
小さい頃から一緒に過ごしてきた私とレルムは、身に秘めた魔素量や確立させた戦闘法などの違いはあったものの、生活や考え方はほとんど同じだった。憧れている人も、気に入って懐いた相手も同じ。だからいつも、もらえるものは半分ずつにして分け合ってきた。
「趣味悪いな、とは思うけど」
「そ、そう?」
「なんで嬉しそうなの。重症」
この気持ちはまだ恋ではない、と私は思う。チョロいチョロいと妹は言うけれど、そんな簡単に惚れたりしない。気に入っているのは確かだけど。
「もう言ったの?」
「それはまだ」
だから、私たちの秘密をそう簡単に明かすわけにはいかない。今のパーティは居心地がいいのだ。なんとかその日暮らしをしていた昔と違って、今のメンバーならもっと下に潜って稼ぐことができるだろう。私たちの目的を果たすためにも、迷宮を深く潜る機会はできるだけ逃すべきではない。
「『
「……わかってる」
人間じゃないという言い方に反発しそうになって、何も言い返せずに同意を示す。純然なヒト種じゃない私たちが彼らと道行きを重ねることができるのは、迷宮という強大な敵がいるからだ。そうでなければ、私たちの種族はヒトと関わることすらなかっただろう。
せめてもう少し、近づいて。簡単に切り捨てられないくらい、彼らに近づいてから秘密を明かそう。きっと、そのときには黒ローブなんて必要なくなっているはずだから。
(願望が混じっているのは否定できないけど……)
希望的観測が多分に含まれている。けど、このパーティのリーダーなら、受け入れてくれると思ってしまう。『迷宮に挑む』ことを誰よりも見据えている彼女と、指導役の冒険者がいるなら。
中級冒険者ヴェンターという男は奇妙な男だ。世の中のすべてに興味がないような顔をしながら、些細な日常に目を輝かせる。中級冒険者にしては若い見た目が、少年のように見える時すらある。彼の実力を直接見たことはないが、感覚として『勝てないだろう』ということはわかる。こちらの魔術が一切通用する気がしないのだ。この感覚には妹も同意見だった。ガロエラ、私たち、ソラリア、ルナリ。5人で挑んでも易々と返り討ちにされそうな予感すらある。
「味方なら心強いけど」
「味方でよかったよね」
妹と二人、同時に溜息を吐き出す。考えることは多い。あまり頭を使うのは得意ではなく、ずっと妹に頼り切りだったが、これからはそうもいかないだろう。なにせ、パーティにおける最大火力は私の魔術なのだから。
「いよいよ、明日だね。10層より下に挑むのは初めて」
「私たちならいけるよ」
するり、と口からこぼれた『私たち』という言葉に、どこまでが含まれているのか。少し考えればわかりそうだったが、私はそれ以上考えることはしなかった。
† † † †
足元で水面が波紋を作り、広がっていく。どこまでも広がっていくその波を追いかけるように目線を上げると、少し離れた場所に赤黒い体表の人が立っていた。
いや、人というのはおかしいか。身長が3メートル以上で、額に角を生やした人間など存在しない。赤黒い体表はいかにも堅そうで、申し訳程度に股間を隠す腰布が揺れる。
『鬼』。
彼らのような種族は、そう呼ばれていた。
「久しぶりだな」
ガロエラは水面に波紋を揺らしながら、鬼に向かって近づいていく。赤の鬼は、微動だにせずただ黄色い眼光でガロエラを見つめていた。
『力を求めるか』
頭に直接響く、鬼の声。あと十歩ほどで鬼にたどり着く――瞬間、水面を割って錆びついた鎖が飛び出し、ガロエラの体に巻き付く。にわかに重みを増した体を引きずり、ガロエラは赤の鬼に向けて進む。
「ああ、求めるさ。必要なんでな」
『愚かな。力だけを手に入れることなどできない』
問答の間も、ガロエラの歩みは進む。一歩一歩、道を確かめるように確実に踏み出す。だが、進めば進むほど、水面から錆びた鎖が飛び出してガロエラを縛り付ける。あと数歩のところまで近づいて、鬼はガロエラを見下ろした。ガロエラは全身に力を籠めるが、何重にも巻き付いた鎖は微動だにしない。
「赤夜叉――」
『我が力は滅びの力。敵を殺すためだけの力。その程度の覚悟で手に入れること能わず』
鎖が軋む。ガロエラは右手を伸ばすが、鬼に触れる前に何本も飛び出した鎖が右腕を縛り付ける。
黄色の眼光と灰色の眼光が交差する。
「必ずお前を調伏する」
『青夜叉を従えてからほざけ、小童が』
鬼の拳が、ガロエラの頭を破裂させる。体が解けるように虚空に消え、縛り付けていたものを失った鎖が次々と水の中に落ちていく。
『己が道を見出したら、話くらいは聞いてやろうぞ』
「――ッ!!」
体内を暴れまわる激痛に、ガロエラはなんとか悲鳴を堪えて悶絶した。灼けた鉄の棒で、内臓を焼かれているような激痛。あらかじめ用意していた桶に、口の中に溢れかえる鉄の匂いを吐き出す。
「がっ……はぁ……」
体内で好き勝手に暴れ回る魔素を押さえつけ、ゆっくりと呼吸を整える。浅かった呼吸が落ち着くにつれ、ようやく痛みも治まり始めた。
「あー……」
体内に棲む意思を持つ魔素。血筋に宿る『夜叉』の存在を従えるべく、ガロエラは試行錯誤を繰り返していた。比較的おとなしい『青夜叉』は状況によっては力を貸してくれることがあったが、『赤夜叉』はとりつくしまもない。『青夜叉』だって、力を貸し与えられた時のガロエラに自意識はほとんど存在しないのだ。理性を失い、感情のままに暴れまわる『鬼』と化す。
「クソが」
口の中にわずかに残った血を集め、桶に向かって唾とともに吐き出す。さすがに、もう一度挑戦する気力はなかった。繰り返し挑めば力を得られるというわけでもない。
北方の民は、幼いころより体内の魔素をコントロールし抑え付け、ため込む訓練を行う。厳しい北の大地では、体内魔素すら希少なエネルギーなのだ。魔素を用いて体の強化をしなければ、寒さで死ぬ。そうしてため込まれ続けた魔素は、本人の資質によって『鬼』となる。鬼の形態には人それぞれ形や意思が存在するが、ガロエラの場合は2体の鬼、という形で顕れた。
『赤夜叉』と『青夜叉』――そう名乗った鬼を調伏するべく、ガロエラの努力は続いていた。
今のところ、迷宮都市に来てから成果は上がっていない。
『赤夜叉』は話を聞く気があるとは思えないし、『青夜叉』とは会話が成立しない。青夜叉の力を宿らせた暴走状態はガロエラの切り札でもあるのだが、制御できない切り札は仲間がいる現状では腐り札にしかなっていない。
「水でも、貰いにいくか」
部屋の端に飾られた鎧を一瞥し、ガロエラは部屋を出る。磨き込まれた鎧は、ただ無言でガロエラの行く先を見守っていた。
† † † †
「ハァッ!」
ドゴン、と衝撃が撒き散らされる。地面を陥没させた一撃を見て、ルナリは顔を綻ばせ、ヴェンターは気のない拍手を贈った。
「おー、すごいすごい」
「もうちょっと丁寧に褒めてくれてもいいと思うんですけど!?」
身体強化の魔術は自分にもかけられる。神官団と呼ばれるセウィリ教の戦闘部隊は、自分に強化魔術をかけながら近接戦闘を行う肉体派だ。溢れる生命力が少々の手傷なら癒してしまうため、非常に強力な一団である。魔素や生命力に限りがあるため継戦能力に難があるが、癒し手は強力な前衛になり得るのだ。とはいえ、そこまで熟達した癒し手ならば冒険者にならずとも金を稼ぐ方法がいくらでもあるので、癒し手の冒険者は数が少ないのだが。ルナリも、セウィリ教を破門にされていなければ神官団で金を稼ぐこともできただろう。
「あくまで自衛の手段だからな」
「わかってる!」
巨大なメイスを振り回し、地面に向けて叩き付けるルナリ。一時的に強化された腕力は、明らかに無茶な軌道でメイスを操らせていた。技術は稚拙、扱いは未熟、されど人を超えた膂力によって叩き付けられるメイスは圧倒的な破壊力を生み出している。
(ああいう動きができるなら、俺の指導なんかいらないだろうなー……)
空中に跳び上がり、ぐるぐるとメイスを振り回しながら自分も回るルナリを見て、ヴェンターは内心溜息をつく。身体能力が大幅に向上した状態の冒険者の機動は滅茶苦茶だ。その動きに武術の術理など介在の余地がない。
「色々試してみると面白いんじゃないか」
「うん!」
「調子に乗ると体を痛めるからほどほどにな~」
結局のところ、本人が見つけるしかないのだ。ヴェンターも、剣や槍や弓などの指導はできる。剣の動きは、振り下ろす、振り上げる、といった基礎の動きがあらゆる武器に通じるので多少の手ほどきくらいは教えられるのだが、空中で3回転しながらメイスを振り回す少女に教えられる基礎など何もない。
ルナリは護身術をヴェンターに手とり足とり教えてもらおうと計画していたことをすっかり忘れ、自分の体が鳥のように飛び回る感覚に夢中になっていた。普段あれほど重く感じるメイスすら、今や羽ペンのように軽く感じる。
もちろん宿屋の裏庭を穴だらけにしたことで、ルナリは厳重注意を受けた。
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