第18話 愚痴
「聞いてる!?」
「はいはい、聞いてる聞いてる」
管を巻く金髪の女性のコップにエールを注ぎながら、ヴェンターは適当に頷く。明日の彼女のことを考えるのであれば、このあたりで飲むのをやめさせて家に帰すべきだろう。しかし中途半端に酔っぱらった状態で彼女を家に帰すと、そのまま泣き上戸&絡み酒形態へと移行し、半強制的に家に連れ込まれるので酔い潰すに限る。
そのあたり、ヴェンターは割と容赦がない男だった。
「なぁにが『俺より強い女はちょっと……』よ。悔しかったら私より強くなってみせなさいよ根性なしぃ……あんたもそう思うでしょ!?」
「そうだなー」
注がれたエールを見もせずに喉に流し込む金髪の女性。冒険者ギルドが誇る、副ギルド長にして受付嬢のティスラーエルム・ララフィリーナである。久々に酒でも飲むか、と訪れた店でばったり出会い、そのままなし崩し的に巻き込まれた。先に3枚ほど金貨を積み上げて、「奢りよ、愚痴に付き合いなさい」といわれてしまえば、ヴェンターとしても断りづらかった。
落ち込んだかと思えば即座に怒りをあらわにする彼女は、だいぶ酔いが回っているようだ。ヴェンターはさっさと潰すべく酒の追加を注文する。
「私だって……私だって、強くなりたくてなったわけじゃないのよ。ただ生きていたら強くなっちゃっただけなの。だって同期がみんなやたらと強くて」
この呟きには、ヴェンターも同意せざるを得ない。彼女と同世代の冒険者たちは、誰も彼もが強かった。彼女のような永い時を生きるエルフならともかく、人間の冒険者もかなり強い世代だった。黄金世代と言ってもいいだろう。
「なのにあいつらさっさと死んじゃうし……残された私はどうすればいいのよ……」
泣き上戸に切り替わりそうだな、と察知したヴェンターはすかさずコップにエールを注ぐ。
「まあ飲め飲め。今日は俺が色々聞いてやるから、な?」
普段のヴェンターを知っている人間がいればその優しい口調に目を剥いただろうが、彼としては巻き込まれたくないだけである。何十回と彼女の愚痴に付き合ううちに、こうして慰めて酔い潰すのが一番ダメージが少ないことを学んだに過ぎない。
「う~……店変えるわよ! 来なさい! もっといい酒を飲みに行くわ!」
「よし来た」
奢りで高い酒が飲めるなら話は別である。高給取りかつ冒険者時代の貯金を大量に持つ彼女の誘いだ。遠慮容赦なく飲み比べしてやることを心に決め、ヴェンターは席を立った。
「迷惑料も兼ねてる、釣りはいらん」
自分の金ではないので気前よく店員に金貨を3枚支払い、ヴェンター達は連れ立って店を出る。
「どっちのオススメに行く?」
「最近、新規開拓したからそっち行くわ! ついてきなさい!」
それなりに酒場に精通している二人は、こうなった場合どちらかのオススメの酒場に行くのが通例だった。まあ彼女が「私の行きたいとこに行くのよ!」か「男らしく二次会はあんたがリードしなさい!」のどっちを言うか、という違いでしかないのだが。
見えない位置でこっそり首を横に振ったヴェンターは、ふらつく彼女を慌てて支える。一度倒れるとおんぶを要求してくるので面倒なのだ。
「気をつけろよ」
「うるさいわね……自分で歩けるわよ」
苛立った声でそうは言うものの、ふらついている自覚はあるのだろう、無理に引き離そうとはしない。柔らかな翠の街灯が照らす道を、2人はぶつくさと会話を交わしながら歩いていく。
「お、副ギルド長だ」
「ヴェンターさん、いつもお疲れさまです」
「お似合いだな、そのまま結婚しちまえよ!」
「「私(俺)にも選ぶ権利がある」」
行き交う冒険者たちの野次に顔をしかめながらも、2人とも本気では嫌がっていない。最後の野次を飛ばした相手にだけは、きっちりと否定していたが。
迷宮都市最強の一角が酔っぱらうとどんなことが起きるのか知っている彼らは、彼女の手綱を握るヴェンターをわりと信用しているのである。
「あれは……」
雑踏に紛れる茶色と水色の髪が、にわかに活気づいた通りの中心に目を向ける。
「――追いますよ」
「了解」
暇つぶしに買い物に出ていたソラリアとルナリは、偶然ヴェンターと副ギルド長に気づいた。ソラリアは助けられた時の副ギルド長の反応から二人がただならぬ関係であることを疑っていたが、こうして二人がともに行動しているところに出会うのは初めてだった。躊躇いなく尾行を決断する。脳内が恋愛色に染まっているルナリがそれを断るはずもなく、こうして2人は尾行を始めた。
「こんなところがあったのか」
「穴場よ、穴場」
壁面を覆う【
「ようこそ。カウンターとテーブルどちらになさいますか?」
「テーブルで」
1人で飲むならともかく、2人で来ているのだ。正面から愚痴を聞かせなければ気が済まない、とティスラーエルムは思っている。二人はウェイターの案内に従って粛々と席に着く。見たことのない酒を見つけ、とりあえず注文するヴェンター。
店内で一段上がった場所にあるステージでは、若い女性が穏やかに楽器を弾いていた。ステージだけは【
「なるほど、静かに飲むには向いてるかもな」
ヴェンターはこんな穴場を見つけ出していた彼女に内心舌を巻く。それなりに酒好きを自負してはいるが、こういった店を見つけるのは彼女の方が上手かった。
「感謝しなさいよ」
まあ目の前で自慢げに胸を張る彼女を見れば、抱いた細やかな感心と感謝の想いなど吹き飛ぶわけだが。
「……あんたは、昔から変わらないわね」
ヴェンターはそれはお前だろ――と思うが、突っ込みを入れると絶対に5倍くらいになって反論が返ってくるので、肩を竦めるにとどめる。
「私みたいなエルフにとってね、人の世の移ろいは早すぎるのよ」
琥珀色の蜂蜜酒を飲みながら、ティスラーエルムは呟く。物憂げな表情でグラスを傾ける美女。
(黙って酒さえ控えればな……見た目はいいのにな……)
もちろん絶対に面倒なことになるので、ヴェンターは言わないが。
「何年くらいここにいるんだっけ?」
「かれこれ400年くらいかしら。故郷に戻ろうにも、ギルド長から止められてるし……」
「冒険者ギルドが誇る上級冒険者だもんな。いや、“星屑の道”と呼んだ方がいいか?」
彼女の異名を出して揶揄えば、案の定眉をしかめる。
「やめてよ。その異名のせいで、私がどれだけ男を逃がしたと思ってるの」
たぶんその異名のせいじゃないと思うが、優しいヴェンターは思ったことを言わなかった。ついでに慰める。
「まあその程度で離れる男と一緒にならなくてよかったじゃないか」
「何、口説いてるの?」
「違うが?」
なんで違うのよ、と息巻く彼女にヴェンターは溜息をついた。
「口説いてもなびかないくせに……」
「うん。あんたとそういうのはないわ。昔馴染みだしね」
酒飲み仲間だし、という言葉を態度で示すように、蜂蜜酒で流し込むティスラーエルム。しばらく二人は、ペースを保ちつつ無言で酒を流し込んでいた。それは落ち着いたこの店の雰囲気がそうさせたのかもしれない。
「……あんたは、大丈夫なの」
唐突に漏れた呟きの意味を正確に汲み取ったヴェンターは、笑みを浮かべる。薄暗くて彼女からはよく見えなかったが、少しだけ無理をしているように思えた。
「そういうのはないな。昔から俺の望みは知ってるだろ?」
ヴェンターがあまり多くの人と関わらない理由を知っている彼女は、何か言いたげに口を開き、結局何も言わずに閉じる。かわりに出たのは、近況を訊ねる言葉だった。
「ソラリアちゃんたちとはどう? うまくやってる?」
「ああ、素直で優秀な子たちだぞ。俺の出番がほとんどないくらいだ」
「最近どうも、上がキナ臭いわ。ギルドもだけど、教会もね」
気をつけなさい、という警告を匂わせるティスラーエルムに、ヴェンターは黙って頭を下げた。
「変異体の報告もギルド長には上げたけど、どうも反応が鈍いのよね。対策を立てるわけでもなく。ただ、調査チームは送ったみたいだけど……もう少しで帰ってくるはずなんだけどね」
ま、あんたがついてるなら大丈夫か――と、ティスラーエルムは笑った。彼女は知っている。目の前の男が、上級冒険者並の実力を持っていることを。迷宮都市に20人もいない現役の上級冒険者たち。その中でも別格の強さを誇る《三ツ星》。戦闘能力だけなら、ヴェンターは彼らに勝るとも劣らない。
「しかし、あんたが先生ね。見た目が若いから違和感が半端ないわ。どうなの、年頃の少年少女から『先生』って呼ばれて慕われる気持ちは?」
「どうってなにが」
「なんかこう、誇らしくなったりしないわけ?」
「んー……そういうのはないな。まあ、眩しくはあるが」
「あー……失われた青春の輝きってやつね。私はなかったけど」
「俺もなかったが」
なんとなく黙り、酒を煽る。偶然だろうが、流れる曲が物哀しげなメロディに切り替わる。ちらっと奏者を見た彼女が絡みに行くんじゃないかと内心慌てるヴェンターだったが、さすがにそこまで良識知らずではなかったようだ。
「ああ……なんか、こうやって若さを食い潰していくのかーって思うとやるせないわね……」
「若さ」
そうか、エルフ的にはまだ若いのか、と考えていることがバレたら殺されそうなことを思うヴェンター。ならば彼女の少女趣味的な恋愛観も許され――いや、許されるとしても大人の人間の男とは合わない気がする。ルナリと良い勝負だ。
「身持ち硬かったもんな」
「当たり前よ。心に決めた相手にしか、体は捧げないわ」
性欲が薄いエルフだから言える言葉だな、とヴェンターは思う。万年発情期の人間という種族は、長期で迷宮に潜ると支障をきたすのだ。だからこそ、冒険者たちは基本貞操観念が緩い。というか、ティスラーエルムが格別硬い、という扱いになってしまうほど、迷宮都市はわりと性に開放的である。
「若さゆえの過ちとかしたくないのよね。まだまだ先は長いし」
「そうだな」
その考え方の良し悪しはともかく、冒険者が多いこの都市ではあまり男受けはしないだろうな、とぼんやりと考えるヴェンター。成人したて――事実は知らないが見た目的には――の娘が男の部屋に忍び込む、というのはまあ確かにあまり褒められた行為ではないが、迷宮都市ではそこまで珍しい話ではない。そういう行為があったとしても、彼女はそばに人のぬくもりが欲しかったのだろう。
「あ~……頭痛くなってきた……」
今日は比較的落ち着いていたな、と思いながらヴェンターは机に突っ伏したティスラーエルムの脇に体を入れて抱え上がる。上の宿を使うか聞いてくるウェイターにやんわりと断りをいれ、会計を済ませる。
「ああ、あと。隣の席の奴らの分も俺が払う」
「かしこまりました」
余計な詮索をせず、恭しく金貨を受け取るウェイターに片手をあげ、ヴェンターは
「き、気づかれてた……」
「覚悟の上でしたが、さすがですね……」
ルナリとソラリアは、居たたまれない気持ちを抱えたまま、ヴェンターを追うようにこっそりと店を後にするのだった。
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