第17話 過去

 ミティル帝国。“夜鴉”。

 ミティル帝国は、大陸の西方に位置する国だ。みかどと呼ばれる存在が国の頂点を治め、帝の命令は勅命として絶対尊守される独裁国家。ひとたび帝の号令がかかれば、逆らうことは許されないという。


「ミティル帝国の軍隊には、ひとつだけ裏の顔がありました。汚れ仕事を専門に扱う名無しの部隊。公式の書類、軍議には一切痕跡を残さない部隊がいたんです」


 無表情で、ソラリアは語る。


「闇夜に紛れ、死肉を漁る鴉……そんな侮蔑を込めて、私たちは“夜鴉”と呼ばれていました。もちろん、どんな書類にも“夜鴉”なんて部隊は残っていませんが。“夜鴉”に、人としての繋がりを残している人間はいませんでした。私を含め、ほとんどの隊員が戦争孤児。私の一番古い記憶は、握りしめた短剣で死者から装備を剥ぎ取る記憶です。それ以前の記憶はありません」


 さも可笑しそうに笑うソラリア。その笑顔には一点の曇りもなかった。ヴェンターにはわかってしまった――彼女が、本心から笑っていることが。


「死体からの剥ぎ取り、住人からの略奪、放火に強盗に……どれだけの犯罪を重ねてきたか、私もすべては思い出せません。強姦だけはしたことないですけど。……ここ、笑うところですよ?」


 首を傾げるソラリアに、ヴェンターは首を横に振る。

 まあいいです、と息を吐き出したソラリアは言葉を繋ぐ。


「名無しの部隊、“夜鴉”に所属する者も当然、名前なんてありませんでした。隊員同士言葉を交わすことすら滅多になかったです。ほぼ全ての隊員が、いずれどこかの戦場で何も残せず死ぬのだろう、と思っていた……と思います。私はそうでしたから。だけど、転機が訪れたんです」


 ソラリアはヴェンターの太ももを押さえつけるように座り込んだ。両手が細やかに蠢き、ヴェンターの胸を撫でる。


「名も無き部隊、“夜鴉”は居場所、名前、存在すら秘匿されていましたが……暴れ過ぎたのでしょう。敵に襲撃を受けました。正面からの戦闘に向いている人材はさほどいませんでした。私たちは自衛の手段すらほとんどなかったんです。敵は――私たちが略奪の限りを尽くした、小国の生き残りでした」


 戦力は互角でした――と、ソラリアは何の感情も見せずに呟いた。


「戦闘が終わったとき、私と数人の隊員が生き延びていました。かつて同僚だったモノを弔うわけもなく、私たちは無言で報告のために撤収しようとしました。1人の隊員が言いました。『このまま、逃げないか?』と」


 私たちは、と後悔するように微かに澱んだ声色で吐き出す。


「その隊員を襲いました。離脱する者は殺せ、それが“夜鴉”のルールだったからです。しかし、5人がかりで襲い掛かった私たちを、その男は怪我ひとつ負うことなく叩き伏せました」


 ヴェンターは、相槌を打つこともなくソラリアの言葉を聞き続ける。何か余計なことを言えば、目の前の少女が溶けるように消えていきそうで。


「ああ、死ぬのだなと思いました。私たち5人の“夜鴉”を殺して、彼は生き延びるのだろうと思いました。だから、次の彼の言葉を聞いたときは、絶句しました」


 よし。お前は、『ソラリア』だな――


 男は、ソラリアの肩を叩きながらそう告げたという。続いて、地面に横たわる隊員たちの肩を叩きながら、名前を決めていったのだ。


 ムル。ナーディ。ソラリア。タムティ。ミック。


 5人に名前をつけたその男は、偉そうにふんぞり返って告げた。


 『俺の名前は、昨日決めておいた。ロージス――いい名前だろ?』


「意味が分かりませんでした。混乱状態だった私たちを連れて、ロージスは戦場を離脱しました。勝手に決めた私たちの名前を執拗に呼んでいたのだけはよく覚えています」


 名も無き部隊の隊員に名前を与える。ずっと、そうしたかったのだ、と笑うロージスのことを、皆が不思議そうに、あるいは気味悪そうに見ていた。


 名前を付けられた名無しの鴉たちは、やがて自分の思ったことを口にするようになった。ロージスの向こう見ずな提案をソラリアが止め、ムルが大人しそうな顔をして冷静に毒を吐き、ミックは他人事のような顔をして肩を竦め、タムティはもう一度説明するようにロージスに要求し、ナーディは腹が減ったと文句を言っていた。


「名も無い、死肉を漁る鴉たち。私はロージスに聞きました。これからどうするつもりか、と」


 答えは突拍子もないものでした、とソラリアは告げる。ここまで来れば、ヴェンターにもわかる。


「私たちの名前を本物にする。誰もが認める、俺たちの名前はこれなんだ、と世界中の人間に認めさせる」

「そのための、迷宮攻略というわけか」


 ソラリアという少女が迷宮に挑む理由を理解する。たとえ仲間と死別しようとも、彼女は生きている限り、迷宮に挑み続けるだろう。彼らの名前を『本物』にするために。


「ロージスは言っていた。私たちは死肉を貪る鴉じゃない。夜明けとともに飛び立つ【炎と風の鳥】なんだって――」


 ソラリアの瞳から、涙はこぼれない。


「だから私は迷宮に潜ります。固有魔術を手に入れて、いつか私たちの名前が高らかに呼ばれるようになるまで。【炎と風の鳥】に所属していた6人の名前を、大陸中の人間が知るまで」


 ああ、とヴェンターは内心で吐息を漏らす。

 美しいと、そう思った。亡くなった仲間の遺志を背負い、自身の死すら恐れず迷宮に挑む少女。鳶色の瞳を正面から見つめ、ヴェンターは頷いた。


「力を貸そう」


 死者から託された願いを断れない自分と、この少女はきっと似ている。


 そんな少女の願いと覚悟を利用しようとしている自分に、一瞬だけ嫌悪を覚えるが――彼女の願いを邪魔するわけではない。むしろ助けようとしているから、許してもらおう。


 彼らならきっとたどり着くだろう。炎を蹴散らし、氷を砕き、闇を払い、自らの魂の輝きを見つけ出すはずだ。


「信じてくれ。必ず、迷宮の深淵までお前たちを連れていく」


 力強いヴェンターの宣誓に何を想ったのか。それはソラリアにしかわからない。が、微かに笑って、救いを求めるように横になった少女を、ヴェンターは振りほどこうとはしなかった。




 † † † †




「被告、中級冒険者ヴェンター」

「おい」

「彼は護衛及び教導役という立場を利用し、被害者を無理やり手籠めにした容疑をかけられています。反論がある方は挙手を」

「挙手ってお前、この縄解けよ」

「反論がないようなので刑を執行します。今すぐ私に金貨を20枚納めることで不問としましょう」

「贈賄じゃねぇか」


 翌朝である。同じ宿に泊まっているヴェンター、ソラリア、ルナリの3人。先に眠っていたルナリは、同室であるソラリアが部屋に帰ってきた様子がないことに気づき、起きるなりヴェンターの部屋に突撃した。

 ルームメイトかつパーティリーダーであるソラリアを純粋に心配しての行動だった、と彼女は言う。


 そこで見たのは、明らかに二人寝るには狭いベッドに身を寄せ合うようにして眠るヴェンターとソラリアの姿だった。ソラリアを抱き寄せるようにヴェンターの左腕が体に乗っていたので、弁解の余地はない――と、ルナリはそう思っている。


「私の胸に反応しないと思ったら、まさか貧乳好きだったなんて」

「ちげぇよ!」

「えっじゃあ先生と教え子の方ですか!?」

「方じゃねぇよ! ていうか、ソラリアの胸はそこまで小さくない――」

「なんで知ってるんですか!? 確かに同室である私の見立てでは、少なくとも平均より少し上くらいのサイズはあると思いますが――」


 2人は首元に突き付けられたダガーを見て、目線でソラリアの許しを乞う。ソロソロと両手をあげるルナリに、ソラリアは酷く冷たい声を出した。


「それ以上私の身体的特徴について口に出すなら削ぎます」

「もう言いません!」


 何を、とは言わなかったが、ソラリアの視線が首の僅か下を向いているのを見て、ルナリは悲鳴混じりの宣言を行った。


「おい、俺は限りなく被害者じゃないか?」

「私に手を出さなかった罰として、朝食抜きです」

「そんな理不尽あるか!?」


 抗議を聞き流し、ソラリアとルナリは連れ立って部屋の外に出ていく。宿屋に併設された食堂に、朝食を食べに行くのだろう。「ごめんねソラリアちゃん」「その駄肉を譲ってくれれば許します」というなんとも心暖まる会話が遠ざかっていく。


「とりあえず……精神面は大丈夫そう、か?」


 呟き、縛られた右手から火種を作りだし、ロープを焼き切る。縄抜けの方法など、いくつかできるようになっておかないと真の冒険者とは言えないのさ、と嘯いていた男の顔を思い出す。長い時が経ったが、縄抜けの方法が役に立ったのはこれが初めてだった。


「今日の予定は確か、消耗品の買い出しだったか」


 ルナリの鬼のような値切り術を見るのは精神的に辛いため、二度寝することにしたヴェンター。今日は、特に同伴を求められたりはしていない。ヴェンターにとっては久しぶりの休日になるだろう。


「今日くらいは、酒を飲んでもいいか……」


 呟いて寝返りを打つ。泥酔しなければ、怒られることもないだろう。そろそろ副ギルド長もストレスが溜まっているころだろうし、と益体もないことを考える。


 通りから聞こえてくる喧騒に耳を澄ませる。


(まぁたインゼルムの奴が決闘してんのか……よくまあ飽きないな……)


 迷宮都市が誇る上級冒険者の男の姿を思い出し、ヴェンターは溜息をつく。『決闘王』の異名を持つ彼は、様々な人間と一対一の戦いを繰り返している。その強さは折り紙つきで、彼の決闘は迷宮都市の名物のひとつになってしまっている。相手に見せ場を作ったうえで圧倒するので、見世物として見応えがあるのだ。


「……」


 昔、奴と決闘したことを思い出して顔をしかめるヴェンター。街の古株の冒険者たちは一通り奴と決闘をしているはずだ。副ギルド長とインゼルムの戦いは、しばらく語り草になったほど。


 まあ結婚が遠ざかった原因のひとつだとヴェンターは思っているが。


「はっはっは! これで68966戦68964勝1負け1分けであるー!」


 高らかに響き渡る勝利宣言に、ヴェンターは煩わしそうに寝返りを打った。うるさい。


 拍手ではなく盛大な舌打ちが響く今日の迷宮都市は、どうやら平和なようだった。

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